今日は待ちに待ったベノ生誕祭だ。ここさいきん毎日楽しくやっていた石男EXEも、とびだせ、海賊の島も今日はおやすみにして、私はせかせかと支度をしていた。

 アンラッキーさんがベノの写真集をぺちぺち叩いている。それは大事なものだからあまり叩かないでほしい。言っても小さな獣がやめてくれるわけがないので黙って写真集を鞄へとしまった。

「いってきます」

 ベッドに腰かける。外はあいにくの雨だから、ベッドの脇についているパネルを操作して、天蓋モードにする。

 今日のために購入した『鈍行』とデカデカと書かれた動力を詰め込んで、ベッドの出発ボタンを押した。

 ベッドが窓ガラスをぶち抜いて飛び出す。ガシャアン! と盛大な音が鼓膜を貫く。

 ああ。いけない。なにせ、ベッドに動力を入れて出かけるのは久しぶりだから、窓をあけておくのを忘れてしまっていた。修理、依頼しないとな。

 今日の目的はベノ生誕祭会場に行くこと。ベノの残滓脳と会話すること。去年も話した。今年はどんな話ができるか楽しみで仕方ない。雨の中、トロトロとベッドが進んでいった。


 ベノ生誕祭の会場はすでに賑わっていた。

 身体が残っていたら、二十五になるベノ。当時、残滓脳になる選択をした彼の決断は誰もが驚いたが、今は受け入れられている。いや、受け入れられない人はファンをやめたのかもしれないけれど、それはそれでしかたのないことと私は思っている。

 ベノの残滓脳との会話は一人三十秒。限定百人の先着を勝ち取ってもたった三十秒しか逢瀬が許されないのはいささか理不尽な気がする。それが終われば、生誕ライブが始まる。それでも、ライブの前に彼との時間があることにとても胸が踊った。

 そわそわと浮足立っている。自分の番はまだかと、何度もセンター問い合わせをして、確認する。

 そして、私の番がやってきた。アンドロイドに個室に案内される。

 扉をあけると、私の目の前に彼がいた。正確には、彼の残滓脳を記憶したアンドロイドだけど、そんなことはどうでもよかった。

「一年ぶりですね!」

 私は興奮気味に言った。

「うん。一年ぶり! 昨年の方が素敵だったね」

 え?

「ぼくとは違う青い目をしていた」

「ベノと同じ、黄色いカラーディスプレイを埋め込んだんだけど……」

「うん。だから言ってるじゃん。前の方が素敵だったって」

 目の前にいるのは何? ベノの笑顔が私を見ている。ううん。ベノの残滓脳を埋め込まれたアンドロイドが笑っている。

「これにテ終リョウデース」

 ベノの皮をかぶったアンドロイドが無機質な声で言った。

 私は脱力するしかなかった。おしゃれをしたのだ。私の目の前で、そこかしこにイラストやら、グッズやらにデカデカとペイントされたベノはずっと笑っている。どうして。そればかりが頭を過った。

 生誕ライブは耳に入ってこなかった。何度も彼の歌った曲を練習した。

 コール&レスポンスも。ダンスのふりつけだって全部覚えた。なのに何もできないで、棒立ちのまま。終わる。一年に一度しかないイベントが。

 靴に鉛が入ったように足取りは重い。呆然としたまま、ベッドに乗り込んだ。

 帰りのベッドの中、金銭をやりくりするために鈍行を選んだわけだが、これがなかなか本当に鈍足だ。行きはそんなに遅いと感じなかったはずだ。もう少し速くならないかな。問いかけても、ベッドがしゃべるわけもない。

 ただ、ふわふわと進んでいる。ふりしきる雨はいつまでたっても止む気配はない。

 私は膝に顔をうずめてしずかに息を吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る