(3)

「ハァ……ハァ…………!」


 息を切らせて屋上への扉を開いたのはさくらだった。ハルは、いつもさくらが座っている場所に腰掛けていた。


「な、なんですか! こんなもの送ってきてっ……!」


"今から飛び降りる"


 さくらのスマホに、ハルからのメッセージが映っていた。


「何って……約束したから」


 表情ひとつ変えずに言うハルに、彼女が本気なのだと分かった。


「い、痛いですよ! 飛び降りたら!」


「うん」


「こう、顔がぶつかって血が出て、なんか、内臓がグチャグチャーって!」


「うん」


「…………………………なんでですか」


「前に言ったよ?」


「……ずるいです。人には生きろって言っといて」


「まあ、座りなよ」


 促されて、さくらは隣に腰かけた。


「うちの家、ちょっと変わってるんだ」


 ハルは穏やかに話し始めた。その落ち着いた口調が決意の固さを示していた。


「あんまり一般的じゃない信仰らしいんだけど、なんかね、明日で世界が終わるらしいんだ。昔からの予言とかなんとか」


「え? なんですかそれ。まさか信じてないですよね?」


「うーん……信じるとか信じないとか、そういうんじゃないんだよね。子供の頃からの刷り込みだから」


「何言ってるんですか。そんなのバカげてますよ。絶対終わりませんし。それこそ『しょーもな』ですよ」


「だよね。そんなこと、私もわかってるんだ」


「だったら……」


「勇気が無いんだよ。終わらなかった世界を見る勇気が。信じているものが間違っていたと認める勇気が」


「……………………」


「いろんな本を読んだり、カウンセリングを受けたり、やれることはやったつもり。でもダメだった。……フフッ、三つ子の魂百までって言葉、あれ本当なんだね」


「……………………」


 心を支える柱──寄りかかれるものを失って生きることの怖さ。そんなハルの繊細な心中を察するには、さくらの生き方はあまりに軽薄だった。


 だから。


「はいっ!」


 さくらはいきなり立ち上がると、右手を掲げて宣言した。


「一年二組、木崎さくら! 死にます!」


 その右手を振り下ろして落下防止のフェンスを掴むと、屋上のへりに足をかけ、まるでジャングルジムでも遊ぶかのような気軽さでそれを登り始めた。


「なっ!」


 ハルは反射的にさくらの腰に両腕を回し、彼女の進行を食い止めた。


「んん〜っ!」


「わ! わわっ!」


 後ろに体重をかけてさくらの細腕をフェンスから引き離すと、ふたりは崩れたバックドロップのような体制で背中から屋上のコンクリートに倒れ込んだ。


「いったぁ〜〜〜!」


「何してんだバカっ!」


 さくらが逃げ出さないようにしっかりと抱えたままハルが怒鳴ると、さくらは逆にハルを怒鳴り返した。


「殺す気ですか!」


「助けたんだよ!」


「じゃあ、次も助けてくださいよ! あなたが飛び降りちゃったら、これから一体誰が私の飛び降りを止めるんですか!? あなたが死んだら私も死ぬんですよ!? 無責任すぎます!」


「はあ!?」


 あまりに自分勝手な論理の飛躍に、ハルは呆れて返す言葉を失った。


「あなた、私に痛みを怖がらずになんでもやれって言いましたよね! なら! これから先、私が失恋して泣いた時も! 友達とケンカして傷ついた時も! 最後まで責任持って私を慰めてくださいよ! 私が飛び降りなくって済むように!」


「お前、自分がむちゃくちゃ言ってるのわかって……」


「私のために! 生きてくださいって! 言ってるんですっ!」


「んなっ……!」


 バカだ。


 バカの言葉だ。


 けれど。


 生きる理由なんて、それくらいでよかったんだ。


 寝そべって見上げた空は、思っていたよりもずっと広かった。


※ ※ ※


 一夜明けて。


 結局、やっぱり、世界は変わらずそこにあった。


 そして。


 いつもと変わらない屋上に、いつもと変わらないふたりの、いつもと変わらない放課後があった。


「はー……」


 並んで座るハルとさくらの髪を、熱気をはらんだ夏の風が揺らした。


「で、きょーそ様はなんて?」


「……あー、なんかさー。『予言に新解釈が見つかり、実は世界崩壊は五年後であることがわかった!』……だってさ」


 わざとらしく神妙な口調でモノマネするハルに、さくらは思わず吹き出した。


「延長戦ですか。ウケますね。で、五年経ったら次は十年後~とか?」


「ねーウケるよねー……って言いたいとこだけど、正直、まだ笑い飛ばすには複雑な気持ち」


「この際、ハルもやりたいことやったらいいじゃないですか。……あっ! もし飛び降りたくなったら私が止めてあげますよ?」


 言って、さくらがケラケラと無邪気に笑った。まったくもって頼りない。心の拠り所にするには、あまりにもすぐに折れそうな柱だ。


(……ま、こいつが折れたら寄りかからせてやるか)


 時に寄りかかり、時に寄りかからせる。そういう生き方もいいなとハルは思った。

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