幕間 義輝と側室

永禄六年(1563年)

山城国 二条御所



 畿内全土を巻き込んだ動乱が終わり、一年も経っていない京の都。

 定位置となった楓さんの膝枕でくつろぐ俺に、楓さんの固い声が降りかかる。


「そろそろおしとねを辞退せねばなりません」

「えっ……」


 しとね? いわゆる同衾というお布団にご一緒するやつですよね。

 辞退とは事前にお断りする際に使うやつですよね。


 今日はまだお誘いしていないんですけど何故なんですか⁉

 何か不手際でもございましたでしょうか⁈


「そんなお顔をなさらないでください。致し方なきことなのです」


 致し方ないことでお断り……?

 毎晩のことだから正妻の綾姫からクレーム?

 それとも頻度のせいで楓さんが耐えられない?


「何か問題あったかな?」

「問題はあるにはありますが……、理由は慶事ですので」


 問題あったの⁈ なんだ? この間、興が乗り過ぎて悪ノリしすぎたやつか?


 それに慶次とは? 俺が知っている慶次は……。


「慶次と言うと、花の……?」

「お花は何の慶事か、わかりませぬ。どういうことでしょう?」


「いや、ごめん。忘れてくれ。それで何が問題だったのだ?」

「問題の方が先ですか? それより上様の稚児ややこが出来たんですよ!」


「へっ? 稚児ややこ? 俺の?」

「そうです! 上様しかありえませんよ! 毎晩毎晩じゃないですか!」


「それはすみません。つい……」

「つい、じゃありません! まったく。……でも、良かったです。私は石女うまずめなんじゃないかと心配していたので」


「ってことは! 俺が父親になるのか!」

「そうです。ただ、まだまだ生まれるのは先ですし、今後何があるか分かりません」


「そうだよな! とにかく身体を冷やさないようにして、護衛のお仕事も引き継がないと!」

「義輝様! 落ち着いてくださいね。それよりも重要なことがありますので」


「重要なこと?」

「そうです。上様の御子を授かったからには、夜にご一緒することは叶いませぬ。そろそろ別の女性にょしょうを側室になさるお話を前向きに進めてください」


「あー、それでおしとねを辞退って話になるのか。そうだよな。赤ちゃんがいるのに良くないよな」

「前々から申し上げておりましたが、義輝様のような高貴なお方に側室が一人では少な過ぎまする。綾姫様はアレなので、そういう関係にならないのは理解しております。だからこそ、側室を増やさねばなりません」


 綾姫こと綾小路まろまろ先生は、すでに大御所とも呼ぶべき発行部数を誇っている。本人は奥に籠って執筆を続けているので、あまり気にしていないが、先生のBL本は戦国の世をあまねく普及していらっしゃる。俺の武威よりも広く遠くまで。

 こればかりは忍者営業部の販売網が優秀過ぎたことも原因になっているのだが。


 珍しく彼女が外に出ている時は、二条御所の侍たちの観察をするためだ。つまりネタ集め。執筆に行き詰まると、新たな話のネタを探し、お忍びで観察している。


 このように彼女には大切な世界があって、それが守られていれば、金銭すら頓着しないという筋金入りなので、先生の本の売り上げは幕府の運営費に加えられている。

 つまり、俺の正妻として武家社会に居続けることが出来ることだけが重要なのである。


 こんな彼女なので、稀に子作り関係はしているけど、子は出来ないということになっている。本人は、楓さんの産んだ子を正妻の子として育てるから、それで良いとのこと。

 もちろん、忙しい綾姫が子育てをするわけじゃないし、近衛家から乳母などを連れてくるわけじゃない。名目上そういうことにしておくというだけ。


 近衛家からすると、早く子をと願っているだろうが、あの問題児を嫁にしてくれたという引け目があるせいで、大っぴらには言ってこない。

 ただ、藤孝くんを筆頭に幕臣たちは俺の子を待ち望んでいた。


 だからこそ、楓さんと毎日励んでいたのだが……。いや、それがなくとも励んでいたか……。


 それはともかく、俺に子が出来た! 血筋云々や後継者がどうのという面倒くさい理由抜きにして嬉しい。が、新たな側室問題は厄介だ。


 立場的にも時代的にも、側室が必要なのは分かるのだけれど、心の根っこの所で引っかかっている。こればかりは、生まれてからずっと植え付けられてきた倫理観のせいなのか、楓さんに惚れた弱みか。


 側室を断ることも出来ないし、綾姫と仲良くしていることにするか……。ただ、みんなを騙すのはなぁ。次の子も、と期待しているだろうし。


 俺としては、俺に子がいなければ、大和国にいるらしい弟の覚慶(のちの義秋、義昭。以降、義昭で統一します)に譲るでも良いんだけどな。さすがに平島公方の流れは拙いだろうけど、義昭も直系の血筋なんだし。

 そうは言っても、大人の事情という厄介なものがある。俺個人の気持ちではなく幕府全体で考えると、側室問題は抗しがたい。


 何より、足利家には兄弟の確執を嫌い、嫡男以外の男児は僧籍に入れるという暗黙の了解がある。史実で義昭が将軍になったのは、義輝が死んだからだ。緊急避難的に任命されたに過ぎない。確か三好家は平島公方を担ぎ出して、混乱を生んだはずだったから、俺に子がいないことは世の中を不安定にする。そう考えると、やっぱり側室は新たに迎えなくてはダメだろうな。


 何より妊婦となった楓さんに、そんな心配事を抱えさせたままで生活させるわけにはいかない。


「俺の気持ちとしては、楓さん一筋でいたいけど、立場上それを許されないのも理解している。あとで藤孝くんに諮って検討してみるよ。だから安心してゆっくり過ごしてね」

「義輝様のお気持ちは良く分かってます。絶対に元気な男の子を生みます。落ち着いたらまた可愛がってくださいますか?」


「それはもちろん! でも嫡男じゃなくても俺の子を産んでくれるだけで嬉しいから。そういうことはあまり気にしないで」


 唐突なお褥辞退の申し出から、俺は父になることになった。

 この時代の出産は一大事業で、まだまだこれから先は楽観できないけどね。

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