第百七十五話 かつての
永禄四年 師走(1561年12月)
山城国 梅津城
山城戦線
三好軍による将軍山城と六角軍 本陣襲撃作戦は双方痛み分けという形で終わった。
当初の一万四千 対 二万という戦力差こそ、いくらか縮まった。しかし、六千の差が五千の差となった程度では戦局を大きく動かすほどのものではなかった。
今までなら本陣を狙われるほどの危機があれば、すごすごと引き下がっていた六角義賢。今回はそのように腰が砕ける様子はなく、本陣を敷いた神楽岡で不気味な沈黙を保っている。
膠着した状況というだけで比較するならば三好軍による作戦が実行される前と後では大きな変化はない。以前同様、睨み合いの格好である。
玄人目から見れば、僅かながら三好家の勝ち。
傍目から見れば、六角家が跳ね返したようにも見える。
将軍を擁し、京の守護者たる三好家。しかしながら護られているはずの京の住民は、三好家が負けたと囁いている。もともと数で不利だったこともあるのだろう。明確な勝ちではない結果が、そのような噂の元となったと思われる。京に流れる不穏な空気。
それは山城戦線を受け持つ三好義興と松永久秀も感じていた。軍議を重ねる場にも、その空気が漂っていたからだ。思わしくない戦況とともに漂う重たい空気。事態を好転させるべく動いた作戦が、逆の結果を招いてしまった証左でもある。
そこへ重い空気を払拭するような報告が届く。
持ち込んだのは、松永久秀が飼っている忍び。彼の手の者が主人へと耳打ちした途端、ニヤリと若き当主を見やる。
「どうした? もったいぶらずに早く知らせよ」
松永久秀の対応に、どのような報告か気が気でない様子の三好義興は部下を急かす。
「申し訳ございませぬ。吉報が届きましたもので」
「それで? なんだ?」
少し苛立ちが滲み出ている。
「若狭戦線、お味方の勝利。上様は自軍をまとめて、こちらに向かうとのこと」
「なんと! 義輝様がお勝ちになったとな……。こちらの支援など無用であったか」
こちらの支援という言葉の意味するところ。
彼が義輝に宛てた手紙では、自分が動いて戦線を有利にする。そして若狭戦線の救援に向かうと
「そうとは限りますまい。されど、これにて山城戦線も優位になりますな」
「不甲斐ない限りだが、松永の申す通りだ。先の戦いで京の民が不安がっておる。義輝様と協力して次はしっかり勝ち切らねば」
反応を見るに予期していない吉報に喜ぶ義興、予想していたように喜ぶ久秀。主従で差はあれど、主君の活躍を喜ぶ二人。
――――そこへ更なる報が届く。
「御注進!」
大声をあげながら、陣幕内に駆け込んできた使番は、ただならぬ様子。
息も絶え絶えになりながらも言葉を繋ぐ。
「我が方の
「なんと……」
「……分かった。下がれ」
驚きのあまり声が出ない義興に変わり、松永久秀が使番を下がらせる。
「三箇城は父上の居城 飯盛山城の支城であろう。和泉戦線はそこまで広がっておるのか」
「はっきりとは申せませぬが、おそらく違うかと。向こうの敵は一万ほどの軍勢。支城とはいえ、そちらまで軍を展開するほど余裕があるとは思えませぬ」
「ならば今回は……。いや、自分で考えよう。三箇城も飯盛山城も河内国。和泉戦線の敵大将である畠山高政は、河内国守護。長く治めていた河内国ならば、勝手知ったる庭と言える」
「ご賢察。隙を突かれて奇襲を受けたのでしょうな。我らが攻撃した将軍山城のように」
「ならば、此度の影響で火の手が広がるほどのものでもないか。畠山勢は三箇城をまとも保持せんだろう。そこを守ろうとすれば、戦線が伸びすぎ不利になる」
「大殿にも近いとなれば、私ならさっさと逃げますな。あんなところで一晩過ごせば、目を覚ませずにあの世に行っているでしょうよ」
「同感だ。そうなると被害は限定的だな」
「はい。親族衆が討ち取られたことは遺憾ですが。三好政成様は、大殿が側に置くことを決めた御方。つまり親族衆の中でも信の置ける人物ということ。翻って此度の落城は大殿にとっては損にしかなりませぬ」
松永から言わせれば親族衆の死は、大殿である三好長慶にとって損か得かの判断にしかならないらしい。
「確かに本国にいる親族衆より話の分かる御仁であった。残念だ」
「ええ、残念です」
話は一段落。
悪い知らせではあったが、三好家を取り巻く戦に大きな影響を与えることはない。むしろ、若狭戦線が終結したことで有利となるはずだった。
次なる凶報が届くまでは。
その凶報は全ての戦線に届いた。
なぜならば、その事象を巻き起こした人物が喧伝したからである。
かつての主君を寺に押し込め監禁したと。
非道を成す者を成敗すると。
そう、普門寺に軟禁されていた細川晴元。かつての管領だった男である。
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