戦火広がる

第百七十六話 敵の正体

永禄五年睦月(1562年1月)

近江国朽木谷


「まさか、あのおっさんが蜂起するなんて。いくら今回の動乱の首魁とはいっても、幽閉されている寺から抜け出すなんて。あそこ監視の目は厳しい所だったはずだよね?」

「はい。普通ならば抜け出すことなど不可能です。それは各地で戦をしていても変わりありません。京の治安は三好家にとっても最優先事項ですから」


「なのに何で抜け出しただけでなく、おっさんの兵が千五百も湧いて出るわけ?」


 うちの直轄軍より多いよ、細川のおっさん。


「どうやら伊勢貞孝らの伊勢派閥が同調しておるようです。以前より少しずつ京の都に潜伏していたようで」

「あー、確か前に追放したんだよな。やっぱりと言うかなんと言うか、細川のおっさんの下にいたのか」

「反体制派とでもいいましょうか。今の三好家と将軍家による統治を好ましく思っていない者たちが集うのは自然のことなのでしょう」


「長慶さんなら敵が固まって好都合とか言いそうだけど、今回は状況が状況だしな……」


 今回の細川晴元による蜂起は最悪のタイミングだった。

 その報告を聞いたのは俺たち幕府軍が若狭戦線に勝利し、山城国へ向かうタイミング。そして山城戦線の三好軍が、俺たちを待って再度攻撃をしようかと打ち合わせをしている時だったのだ。


 本来であれば師走(12月)には山城戦線の三好軍と共同で戦えると思っていたのに、細川晴元蜂起の知らせを聞き、進軍ストップ。途中の朽木谷で情勢を見守ることになってしまった。



 事の始まりは、山城戦線の三好軍が六角軍に仕掛けた戦。京の民が三好軍が負けたらしいという噂に不安がり、三好家が敗走するのではという噂がまことしやかに流れ始めたタイミングだった。

 そこに元管領の細川晴元が三好家の非道を高らかに謳い、六角家を支援することを表明。いつの間にか入り込んでいた伊勢派閥の兵とともに京の町を占拠してしまった。

 京の民も勝ち馬に乗るべく素直に従っている。


 細川京兆家も伊勢家も長く京を支配していた一族。

 彼らの力は侮れず、幕府直轄軍を超える兵を集めた。


 致命的だったのは山城戦線の三好軍との距離。

 すぐ真後ろに敵がいる状態となってしまい、目の前の六角軍は三好軍より数が多い。俺らの支援があって、やっと優位に動けるかと思っていた矢先に背後の敵。


 このままでは戦えないと早々と撤退を決意した長慶さん。

 京を通り越し、摂津国まで退かせ、丹波国の内藤宗勝、淡路国や阿波国の領国との戦線を引き直した。これによって包囲される憂き目は逃れたものの、実質的に京を放棄することになった。


 その代わり、長慶さんは河内国飯盛山城からは離れず、この勢力圏を維持。南に取り残される形になった和泉戦線を支援することを決めた。京が敵の手に落ちたせいで、和泉戦線は孤立してしまい、三好軍は厳しい状況に置かれた。これに対処するため、幕府軍と三好軍は連絡を取り合っている。


 兎にも角にも京の都を取り戻さなければ、三好家は力を発揮できない。陸路が閉ざされてしまっているからだ。支援が行き届かない和泉戦線が危ういし、長慶さんの飯盛山城だって危険だ。長慶さんが死んでしまったら、三好家が瓦解しかねない。



 戦局はそんな感じだが、京の町が敵の手に落ちたという報告を聞いて、真っ先に思い浮かんだのは綾姫と楓さんのこと。だけど、忍者営業部の手引きで無事に脱出済みとのこと。一安心したのも束の間、安全な場所まで非難したところで綾姫が泣き崩れたという。


 彼女曰く、自分の子供作品を敵地に残してきてしまったと。


 戦争物の映画なら涙無しでは見られない光景だが、現実はBL本を持ち出せなくて悔やんでいるだけだ。すぐに京を取り戻すから気落ちしないようにと手紙を書いてあげた。彼女たちは様子を見て朽木谷へと向かう手筈になっている。遅くならないうちに顔を見られることだろう。すでに若狭戦線に向かうべく出陣してから四か月は経つ。久しぶりに会えるのが楽しみだ。



 今、俺に出来ることは、正妻殿のためにも早く京の都を取り戻すことだ。

 それは三好家も含め、皆のためにもなる。


 引き続き、三好家の反攻作戦に連動する幕府軍の動きを打ち合わせることにした。


「和田さん、六角家に対してどう攻めようか?」

「我らは助攻も助攻。三好家が動いてから側面に当たるしかないかと。敵方の配置によっては、細川勢と戦うことはあるかもしれませんが」


「やっぱりそうなちゃうよね」

「彼我の兵数差を考えれば致し方なきことかと」


 六角家だけでも一万八千はいる。細川勢は幕府直轄軍より少し多いくらいの千五百。

 摂津国に退いた義興くんの軍勢は、丹波国の内藤さんの軍勢を合わせて一万八千。やっと六角家と兵数で並んだ。


 逆に六角家は京を抑えたことで、丹波国にも近くなってしまい、兵数の有利を失ってしまった。それだけではない。京の都を手にしてしまったがために、これを手放せない。守りにくいと評判の京に本隊を置き、三好軍を迎え撃たなければならなくなってしまったのだ。


 不利だからと、ここで逃げてしまっては、今後京を抑えることはできない。一度握ってしまったために離せないジレンマに陥ってしまっている。

 彼らが京を手放した三好家と違うところ。それは正当性。つまり俺がいるかいないか。六角家は将軍の血筋を押さえていないので、武力を背景に京を占拠しているだけの状態。


 彼らの立場は室町幕府の元管領や元政所執事。正直、将軍に楯突いて京を占拠する理由が無いのだ。今は勝者の勢いに乗じているに過ぎず、とても不安定である。

 この六角家が、力負けするようなら勢いを失い、単なる叛逆者に過ぎなくなってしまう。


 京の都は維持し続けることに意味がある。それを可能にするには、相応の力がいる。権威や武力である。例え、一時京の都を奪われようとも、力で奪い返せば傷は小さい。


 三好家にとっては、京での決戦は必ず勝たなければならない戦い。ここで負けるようなら、畿内の覇者の看板を剥奪されてしまう。和泉戦線のことを考えると時間も無い。難しい決断が迫られている。


「正月は動かないにしても、そろそろ動き出す頃合いかな?」

「どうでしょうか。三好家にとっても負けられない戦。準備に時間をかけてもおかしくありません」


「長慶さんも実休さんも安全とは言えないしな。義興くん、無理しなきゃいいんだけど」

「書状を送られたのですよね?」


「うん、送るには送ったけど、三好家の当主として何としても京を取り返すって。松永さんからの書状にも、義興くんの気負い過ぎが心配だって書かれてた」

「物理的に長慶殿との距離が出来てしまったのも問題ですね」


 藤孝くんの指摘の通り、こういう状況こそ長慶さんの出番なんだけど、飯盛山城は六角家と畠山勢の勢力圏内に取り残された形だ。戦況が傾いたせいで河内国の国人衆も様子見に回ってしまった。飯盛山城周辺も安全圏とは言えない。


 このような情勢では摂津国に下がった義興くんたちとは書状のやり取りしか出来ない。


 苦しい状況でも頼れないし、顔も合わせられない。

 そして、義興くんからすると、頼りになる父親と叔父の危機。自分が何とかしなければと思うのは致し方ないだろう。京の都を取り戻さなきゃならないって目標は間違っていないのだから。


 だけど、焦る気持ちが良くない方向に転んでしまえば……。

 勝ちを急いでしまったら、勝てる戦も勝てなくなる。状況を踏まえれば間違いなく勝てるはずなんだ。


 ――――義興くん、焦らないでくれ。

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