第百七十三話 将軍山城 再び

「篝火は絶やすな。旗指物も増やしておけ」


 松永久秀は出陣に際し、居残り組の数少ない城兵に対し、そう指示をした。

 夜陰に紛れて出陣する松永軍は、神楽岡に布陣する六角家本隊に覚られぬよう、大きく北側に迂回しながら将軍山城に向かう。


 朝日が差す頃には、三好義興が六角家本隊へと突きかかる。

 二万に近い敵軍。義興が率いるのは七千程度。六角軍が動き出せば、致命的な被害を受けるだろう。


 そうならない一歩手前までで止める匙加減。

 損害を増やさぬように、敵陣の弱い部分を狙う戦術眼。

 どちらを備えていたとしても、難しい綱渡りとなることに変わりない。


 松永久秀に出来ることは、早々と将軍山城を落とし、義興勢の対角から挟撃すること。そうすれば、六角義賢まで届かずとも両勢が退却の糸口を掴める。


「何か大きな一手が無ければ、六角家を追い返すのは難しいやもしれぬ」


 思わず口に出てしまう弱音。

 状況からみて、今回の出陣は苦し紛れに近い。

 しかし、これ以上待ったところで好機は訪れない可能性が高かった。

 それこそ、数に物を言わせて城を包囲されるようなことになれば、手も足も出ないのだから。


 ただ、今ならば。

 陣を前に動かしただけで満足している今ならば、光明が見えてくる。いたく細い道筋が。


 ――こうなれば、誠に上様がお見えになるのを待つしか無いもしれんな。


 望む大きな一手。

 すでに三好家で動員できる兵は配されている。本国からの増援は期待できない。

 だからこそ、他の戦線からの救援を待つしかないのだが、どこも敵より少ない兵で戦っている。


 三好実休が指揮する和泉戦線では、根来衆がこぞって参戦していた。竹束という対抗策を生み出したものの火縄銃の脅威が無くなる訳ではない。何より数発を受ければ竹が割れ弾ける。


 戦上手な実休ならば勝てるだろうが、楽ではないはず。

 となれば、期待できるのは若狭戦線。上様が若狭兵を率い、朝倉家と対峙している。

 朝倉家は宗滴公亡き後は弱体化しており、家中の纏まりはない。


 そういう意味では六角家と似ている。

 向こうの戦線が有利なのは、朝倉家の領地で本願寺門徒の蜂起が起きていること。

 これを加味すれば和泉戦線より勝ちを得やすいはず。


 若狭戦線が終結すれば、さらなる副次的効果がある。若狭戦線と山城戦線の予備選力として丹波に控える弟の内藤宗勝も身動きがとれるようになるのだ。丹波ならば数千の動員は容易い。何より弟は兄を凌ぐ武略の才を持つ。


 その結果、山城戦線の三好軍は万軍の味方を得るようなものである。

 ここに上様の黒い軍団も加われば、勝ちは揺るがない。


 戦略は思い描けるが、どれもこれも仮定に仮定を重ねたもの。今は、この戦線を少しでも優位に進めるべく知恵を絞るしかなかった。



 志賀越道しがごえみちの入口。

 かつて将軍 足利義輝率いる幕府軍とこの地を巡って戦った。

 三年前の戦いでは、幕府軍に奪われた時期もあったが、それまでは三好家が支配していた将軍山城。攻め口も防備の弱いところも周知の上だ。


 姿が隠し切れないほどまで近づくと、休む間もなく城へ攻めかからせる。

 その日は殊更寒い年の瀬。日が上がるのも遅く、松永勢は、かなりの距離まで詰めていた。


 澄み渡る寒空。敵の来襲を告げる鐘の音が鳴り響く。

 その音に反応して、のろのろと這い出てきた城兵。寒さから逃れるために小屋で寝入っていた者が多く動きは遅い。


 効果的に配された松永勢は、多くの攻め口から城へと乗り込もうとする。第一陣は一千ほど。


 それだけではない。将軍山城の方々から火の手が上がり始め、敵に抗する者、消火に勤しむ者と行動を統一できていない。

 各々の判断で場当たり的な対処をしている。


 ただでさえ多くない守兵。至るところから塀を乗り越えてくる松永勢。上がる火の手。少数の集団が組織的な反攻を試みるが多勢に無勢で、すぐに消滅していく。


 次第に喧騒は場内の中心部へと移動していき、松永久秀の待ち望む声が響く。


「松山重治が臣、中村高続。城主 永原重澄を討ち取ったり~!」


 将軍山城の奥より、松永勢が控える麓まで城将討死の報が伝播してくる。

 松永久秀は、その報を聞くや否や立ち上がり声を張り上げる。


「将軍山城は捨て置け! すぐに殿の支援に向かう! 陣を整えた後、南進するぞ!」


 松永勢は百数十名の離脱者を生み出しながら、後方の将軍山城を落とした。

 守兵の千五百ほどであったから、敵との兵数差をいくらか縮めた結果である。


 そして急ぎ向かうは、三好家当主 三好義興が奮戦する神楽岡の方向。

 燃え盛る将軍山城を背に軍の再編を進める。


 山の裾野に沿って南進すれば、六角義賢が陣取る神楽岡の後背を突ける。

 将軍山城が落ちたことは遠目でも分かるので、おそらく六角家は自分たちを待ち構えているだろう。


 それでも止まれない。ここで止まっては、敵の圧力が義興の軍勢に集中してしまう。

 一度でも派手に激突しなければ、退き際を見出せないだろう。


 ここからは、いかにして損害を防ぎ撤退するか。山城戦線の三好軍の行く末は、両将の腕にかかっていた。

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