第百七十二話 勝敗の要因は

 将軍山城を本陣としていた六角軍は、当主である六角義賢自ら城から出て神楽岡に布陣した。一千ほどの兵と先陣を務めた永原重澄を将軍山城に残し、全軍が平地に布陣したことになる。その数、約二万。壮観である。


 対して畿内の覇者 三好家は京北の梅津城と小泉城に七千ずつの計一万四千。

 決戦を挑むというよりも京への進軍を防ぐ位置取り。

 踏み潰すには容易にいかず、無視するには危険すぎる。

 絶妙な位置取りと言える。


 しかしながら、この状況では三好家の取れる選択肢は少ない。

 六角家が損害覚悟で攻め寄せてくれば、三好家としては成す術ない。

 三好家が籠る城は、どちらも平城で規模は大きくないのだ。


 どちらかの城を包囲の柵と同数程度の兵で囲まれてしまえば手も足も出なくなる。

 そのような状況では残る七千と一万三千の戦いとなる。兵数差は広がるばかりだ。


 三好家にとって状況は良くないが、救いなのは六角義賢が猪突猛進の人物ではないこと。果断な性格ではないとも言える。


 そのため神楽岡に陣取ったまま、動きを見せていない。

 敵を引き付けるだけの目的であれば、悪手ではないだろう。


 翻って上洛が目的ならどうだろうか。

 上洛目的なら敵対している三好家を追い払う必要がある。

 対して三好家は京に入られたくない。つまり三好家からすれば無理に平地で合戦に及ぶ必要はなく、進軍を阻止すればよいことになる。


 となると、六角家が採るべき選択肢は、平地に布陣して満足するのではなく、梅津城か小泉城を攻め落とすこと。そうせねば京への道が拓かない。

 六角家が主導した合戦であるならば、この手しかない。


 しかしながら、今回は他に二つの戦線が存在している。

 もし、そのどちらかの味方が勝てば、戦わずして勝てる。

 打算に塗れた選択肢が六角義賢の決断を先延ばしにさせる。


 浅井家との合戦で負けたのが去年。

 損害も大きかった。何より六角家の威信が低迷した。

 三好家との戦いを無傷で終えられれば、今まで以上の盛名を馳せるだろう。


 あの三好家に完勝し、京を抑えたと。

 残念ながら、その考えに三好家が付き合う義理はなく、城という殻から抜け出て、身体を晒す獲物を前にして、狩りの方法を考える機会を与えてしまっている。



「はてさて、松永よ。どう攻める?」

「常道であれば弱き所を突くのが肝要かと」


「常道よな。では、その弱き所とは?」

「最も弱き所は、柵に囲まれ、戦地の後方だと安心している将軍山城でしょうな」


「お家の存亡を賭けた一大決戦を前に、後方の城代を任された男か」

「六角義賢が英邁なら有能な者を。暗愚なら口うるさい重臣を。凡庸なら士気の低い者を配するでしょうな」


 英邁な当主であれば、万が一の備えを優先する。

 暗愚な当主であれば、自分の意に添わぬ老臣を遠ざける。

 凡庸な当主であれば、家臣の顔色を窺って気を遣う。


「お主から見た六角義賢の評は?」

「凡庸」


 松永久秀から見た六角義賢は凡庸に映るようだ。

 その目が確かなら、永原重澄を将軍山城に留め置いたのは戦略的な観点ではなく、戦意が低いからということになる。そのような意図で後方に配された者が、後方とはいえ危機意識を持ち続けられるだろうか。


「なればこそ、将軍山城が狙い目となるか」

「御明察。城代を任されておるは永原重澄。先陣を任され、本軍より先に将軍山城へと着陣しておりました。おそらく、その労をねぎらう意味もあって後方に配されたのかと。先陣を任されるほどですから、それなりの者かと思いまするが、此度の采配では士気は下がりきっておることでしょう」


 先鋒は武士の誉れ。

 損害は大きく、嫌がられる役目。

 されども待ち構える敵に対し、勇猛果敢に攻めかかる様は武士から称賛されるものだ。

 だからこそ、先鋒の手柄は大きくなる。


 本来、兵数が多く優勢である六角家の先鋒ならば、我先にと願い出るもの。

 その権利を手放し、後方待機を受け入れるのは尋常ではない。


 永原重澄が六角家の勝ちを疑っているか、手柄の総取りを嫌ったか。

 どちらにしても戦う意思があるようには思えない。


「普通なら勇んで先鋒を望むはずの者が後方に甘んじるか。己の戦は終わったとでも考えているのかもしれんな」

「おそらくは。ただでさえ、兵数の劣る我が軍が兵を分けて後方を襲うなどと考える訳もありませんから。それも当然かと」


「寡兵が敵の虚を突くは常道よな」

「正しく」


「では、そちらは松永に任せよう。お主のことだ。すでに下拵えも済ませておるのだろう」

「手の者がいくらかあの城に。ですが宜しいので?」


「当主が家臣の手柄を横取りしておっては、家中が纏まるまい。儂は三好家が勝てばそれで良いのだ」

「では、お言葉に甘えまして」


「儂は白川口の弱き所を責めるとするか。本隊の数も削っておけば、いくらか楽になる」

「敵の目が前に向いていれば、私への支援ともなります」


「兵を預けるか?」

「いえ、不要にて。むしろこちらの兵をお預けしましょうか?」


 互いに多くはない兵を預けるという。

 相手を労わる意味と、自信の表れ。


 かつては、この将軍山城の地で幕府軍を翻弄した智将。

 氏素性定かではない出自ながら、畿内の覇者 三好長慶に見出された才人 松永久秀。


 不遇の境地から一大にして畿内の覇者に躍り出た男を父に持つ勇将。

 綺羅星のごとく揃う将兵を統率し、政務に戦にと高い水準で活躍する三好義興。


 戦乱続く畿内において、戦場を駆けまわってきた両将。

 経験、才覚共に不足はない。


「不要だ。己の領分で戦果を挙げるさ。松永よ、頼んだぞ。白川口で待っておる」


 自信を見せる三好義興。

 

 しかし、六角家には、英邁誉れ高かい先代当主の六角定頼の遺産が残っている。彼とともに戦陣を駆け抜けてきた将が多くいることを忘れてはならないだろう。


 力のある者同士の戦い。

 その結末を左右するのは一体何なのだろうか。


 その答えが見えないまま、山城戦線の歯車が回り始める。

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