室町武将史 五常 義の一刀 其の二

幕間 上杉謙信 伝 唐沢山

永禄三年 葉月(1560年8月)

上野国 厩橋城



 上野国の北部は長野業正の支援によって早々に勢力下に収めることが出来た。

 しかし順調だったのはそれまで。


 関東諸将の動きは鈍い。

 元より聞いていたのは関東管領が戻れば、諸将は馳せ参じるはずという希望的観測。

 誇張があろうとは思っていたが、これほどまで集まらぬとは。


 関白の近衛前嗣様と関東管領の上杉憲政様の書状攻勢は、何の音沙汰も無い。

 いや、いくらか集まったには集まったが、力のある国人衆は限りなく少ない。


 一番大きな勢力はもともと北条家と争っていた里見家などで、こちらの陣営につくという連絡はあった。されど里見家の領地は安房国。互いに轡を並べるというより、互いの敵が北条家ということに過ぎない。


 これでは十全の力が発揮できるとは言い難い。

 やはり北関東の諸将が集わなければ。


 あの貴人方は空手形を乱発して、大口を叩いているばかりで成果が出ない。必ず北条家に勝つだとか、糧食は潤沢だから安心して参陣せよだとか、実情を無視して都合の良いことばかり言っている。


 実際のところ、北条家に勝つには勝てる。一戦か二戦程度なら。

 しかし、勝ち切るには兵力が足らない。広大な北条領を制圧しながら、敵の動きを止めるには、全く兵力が足らないのだ。


 逆に関東諸将がこぞって集まった場合、糧食が足りるわけがない。

 各自が手弁当で戦うのが本来の形。なぜなら関東管領の復権のための戦いなのだ。関東の武士が身を削るべき戦いである。

 それを糧食の心配がないなどと言えば、数日分の腰兵糧だけで参陣してきても文句が言えない。さすがにそこまで厚かましい武家がいるとは思わないが。


 ただこのような景気の良い話は勝っている時には問題にならない。しかし、負け戦となれば、その書状を盾に文句を言ってくるのが目に見えている。それを考慮せず調子の良いことだけを伝えるなど自分の首を絞めるだけなのが分からないのだろうか。


 役に立たず、足を引っ張ることばかりしている。出来ればお帰りいただきたい。そう言えれば、どれだけ楽か……。



 芳しくない戦況の中、北関東の雄で有数の堅城を有する佐野家に対し、北条家の方が強硬策に出た。佐野家も他の諸将と同様に日和見に近い態度で、上杉家にも北条家にも良い顔をしていた。


 北条家はそれが我慢ならなかったらしい。もしかすると離反の気配を感じていたのかもしれない。三万五千もの軍を組織し、佐野家の居城である唐沢山城を包囲した。

 ただ、この包囲は緩やかなもので積極的に攻め寄せるといった形ではない。遠巻きに包囲して圧力を加えているようだ。敵対するなら攻め寄せる、味方をするなら城門を開き、合力せよと。


 残念ながら、この状況になってから北条家に従うといっても先方衆として使い潰されるだけだろう。佐野家もそれを承知しているようで、こちらへ味方するので救援を願うという書状が届いている。


 情勢を鑑みて、見事な処世術と言わざるを得ない。こちらは味方が必要。下野国の名家である佐野家が関東管領側に付くとなれば、他の諸将も従う可能性が出てくる。

 最悪、こちらが見捨てても、家中の意見をまとめるのに時間が掛かったとでも理由を付けて北条家に従うだけだ。正当性はこちらにあるが、兵数は北条家が上。順当にいけば北条家の方が優勢である。


 それならば最初から北条家に従うと旗幟を鮮明にしておけばと思わぬでもない。

 私が思うに佐野家は北条家の躍進に危惧を抱いているのだろう。

 関東管領などを中心とした緩やかな連合体から、北条家中心の集権体制。生活は変わらざるを得ない。そういう生活の変化を嫌う国人衆は多い。


 北条家は嫌いだが勝ち馬には乗りたい。

 それが日和見を招く原因となっている。

 不義理だとは思うが、生き残るためには仕方ないとも思ってしまう。


「何にせよ、困っている者を見捨てるわけにもいくまい。あそこがこちらに転べば佐竹家との連携も取りやすくなるだろう」


 上様の包み込む優しさには程遠いと自嘲する。

 打算込みの優しさでも、最大限効果を得ねばなるまいよ。


 それが関東管領様にとって有利となる。ひいては上様にとっても。




 厩橋城を出た長尾軍は一万三千。これが全て。

 この数で北条家に包囲されている唐沢山城の救援に向かう。

 対する北条家は三万五千。約三倍である。


 正直厳しい。

 我が陣営にいる国人衆も不安の様子を隠さない。


 ――――これでは戦にならん。


 戦力として数えられるのは本国から率いてきた八千くらいだろう。

 すると北条家とは四倍差か。勝てれば痛快だが、戦機は熟していない。

 今回は乾坤一擲の勝負をすべき時ではない。


 佐野家の居城である唐沢山城は堅城として名高い。士気さえ保てれば、そうそう落ちぬ。

 北条家と言えども三万五千を唐沢山城に釘付けにしては他の城が落とされかねないだろう。となれば、本気で落とすつもりならすぐに仕掛けている。


 緩やかな包囲という態度も鑑みると、北条家に戦う気はないと見た。

 あくまで武力を背景にした恫喝。裏切れば大軍が攻め寄せるぞと北関東の諸将への見せしめ。


 こちらはそれを逆手に取り、裏切っても生き残れると示してやればよい。今回の係争地が堅城の唐沢山城で助かった。守る気になれば十分に守り切れる。


 つまり私の役目は、佐野家に北条家と徹底抗戦をすると決断させることだ。

 義輝様のように武士の心を魅了してしまえば良いのだろう。私にそれが出来るか不安ではある。私には義輝様のような優しさは持ち合わせていない。


 ――――私にあるのは武略の才のみ。



 長尾軍一万三千が唐沢山城を視界に捉える。唐沢山城の西側に北条家の姿はない。

 軒猿からの報告では南側に蟹の鋏のように広がった平地に陣取っているらしい。

 三万五千という大軍ではあるが、唐沢山城を全て包囲するほどではない。

 北は山々が連なり、東と南には裾野がせり出している。


 全てを包囲しようとすればその倍くらいの兵が必要となろう。

 今の兵数で全体を包囲してしまえば各個撃破の格好の的となる。


 戦慣れした北条家がそのような愚挙を仕出かす訳もない。必然と南側の平地に陣を張るという選択になったのだろう。


 こうなれば我が軍が陣を置く場所は自然と定まる。

 北側の山裾を通り、高鳥屋山に至る。ここに本陣を定めれば唐沢山城からも見えることだろう。長尾軍が、関東管領が佐野家を見捨てずに救援に来たということが。


 あとは佐野家当主 佐野昌綱さのまさつなの決意を促すのみ。


 周囲は陣を張る作業に慌ただしい。

 抜け出るなら今だろう。敵も味方も一旦腰を据えると考えているはずだ。


「少し見回りに出る」


 槍を手挟み、馬に乗ると我が軍の精鋭中の精鋭が腰を落ち着ける場所へ向かう。

 私が愛する武の体現者たち。力強さ、屈強さは群を抜き、美しくもある。

 彼らは体を休める者と、陣を張る作業に従事する者と分かれていた。


「勇壮で華麗なる力士衆よ、命を惜しまんとする者は我に続け」


 休んでいた者たちは一も二もなく駆けつける。彼ら自慢の大太刀を担いで。大柄な愛馬とともに。


 こうして私と力士衆二十騎は唐沢山城へ赴いた。

 佐野昌綱さのまさつなの心を落とすために。

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