第百六十八話 松、竹、梅

「そんなこと言ってたら印牧の野郎が逃げちまうじゃねえか。おい、松、竹、梅。文句を言う奴等は放っておいて行くぞ」


 返事もなく彼に従う松、竹、梅と呼ばれた三人。

 彼らは貧農上がりの若い食い詰め者。ほとんど野盗に近い生活をしていたところ、飯が食える場所があると聞きつけ、清家の里に辿り着いた。


 そこでは兵士になれば飯が食えるという。一も二もなく兵士となった。滝川一益の訓練は過酷だったが、夜露を凌げ、食い物は食いきれないほど食える。野菜だけでなく魚や肉まで。最近では絹物まで支給され始めている。


 信じられない環境だ。信じられなさ過ぎて、他の者とは馴染めなかった。そんな人間は少なくない。しかし、この里では訓練と秩序を守っていれば、その辺りは特に問題視されることは無かった。


 同じ村の幼馴染三人は肩を寄せ合うように暮らした。食い物が良くなったおかげで身体付きは良くなった。それに加え、生来の天賦の才があったようで、腕前は歩兵隊の中でも上位に位置するまでになっていた。


 しかし、この三人は他の人間と会話しなかった。軍政が定まり、誰かの伍長の下につく必要が出てきてもそれは変わらなかった。自発的の動くことはなく、爪弾き者の次郎吉や春の字こと、春乃丞と共に吹き溜まりのように自然と集まった。


 そこへ現れたのが歩兵隊一の変わり者。

 小隊長への任命を拒否し伍長の席に居座った男。


 次郎吉と春の字がどちらが強いかという喧嘩で睨み合いをしていた所に乱入。

 その二人の頭を殴り付け、俺が一番だと言い放った。貧農上がりの三人は、その争いに興味は無いようで、ただそれを眺めていた。


 次郎吉も春の字もいきなり現れた男を睨みつけるが、頭一つ背が高く見上げるほど。

 着物はあちこち破け、髭は生やしっぱなしで熊のような大男。しかし、身体付きは一般兵とは比べ物にならず、この中で誰が強者かなど、誰の目から見ても明らかだった。


互いに見つめ合うが、次郎吉たちの瞳に険はない。二人がかりでも勝負にならないとわかる。


すると、大男は良いことを思い付いたと笑顔になった。


「よし! お前らは俺の部下にしてやる。半端者同士仲良くやろうや」

「えっ⁈ いや、それはちょっと……」


「なんだよ。俺じゃ不満か? 小隊長やってる正成(服部正成)と槍の腕はどっこいどっこいだぜ。あちらさんの方が頭の出来が良いのは否めねぇがな」

「不満ていうか……。わしらはお武家様に率てもらうような身分じゃないですし。なあ?」

「そうですぜ。わしらみたいなのは、もっと大人しい上役がお似合いだと思いやす」


「バカ言うな! テメェらみたいな悪人面の輩に大人しい上役が来るわけねぇだろ!」

「悪人面ってひでぇですよ。これでも真っ当に生きてるんですから」

「どちらかというとお武家様の方が悪人面っていうか……」


「バカ言っちゃいけねぇ! 俺は男振りが評判なんだぜ!」

「確かに造作は整っておりやすが……」

「確かに。せめて、野盗も真っ青なその風貌を整えたら良いんでは? わしらより酷い身形ですよ」


 彼らは、まじまじと眺めるが良く言って野盗。悪く言えば乞食一歩手前に見えなくもないほどに。着物は枝に引っ掛けたような破れが目立ち、髪も髭も生え放題。体からは少々饐えた匂いがしていた。


「あー、これな。さっきまで山籠りしてたんでな」

「何でわざわざ山の中の里で山籠りを?」


「必殺技でも会得しようと思ったんだよ! 巷に聞く剣豪たちは山に籠って神仏と対話すると秘剣を授かったって聞いたもんでな」

「それって単なる箔付けなんじゃ……」

「……まあまあ。それで必殺技ってのは会得できたんで?」


 純情と言えば良く言い過ぎだろうか。二人組の方が世を知っているようである。改めて訂正することでもないと判断したらしい。

 話がややこしくなるのを恐れたともとれる。


「いや、今回の山籠りじゃ会得できなかった! 神仏には会えなかったしな。会ったのは熊と猪くれぇなもんでよ。また行かねぇとなとは思ってるんだが」

「熊にあったとは災難で。無事に帰れて良かったでやすね」


「無事に帰れるに決まってんだろ。熊なんぞ鼻っ柱を殴ってやれば、勝手に逃げてくさ。槍を使ったら殺しちまうからな」

「さ、さようで。……じゃ、そうゆう事で。わしらは失礼いたしやす」


 そそくさと、という表現が最適な態度で、この場を離れようとするが大男の両手で首根っこを掴まれてしまう。


「な・に・が、そういう事でだ! テメェらは俺の部下だっつってんだろ! 感謝しろよ。俺が伍長になったら、部隊最強は間違いなしだぜ」

「いやいや。わしらは、そういうの間に合ってますんで」


 それでもなお、逃げようとする二人組。

 その様子にこのままではいけないと察したようだ。今度は下手に出るように態度を改め、猫撫で声で泣き落としにかかった。


「ちょーっと待てぃ! 帰ってくる時期が悪くてな。周りを見てみろよ。もうお前さんたちしかいねぇんだって。俺も伍長のくせに部下に逃げられたなんて親父殿に言えねぇし。頼むよ!」

「なんてこった! お武家様の相手をしてるうちに他は決まっちまったのかぃ。どうするよ?」

「嫌だけど仕方ないんじゃねえか。嫌だけど」


「二度も言うんじゃねえよ! 俺だってテメェらのような馬鹿どもの相手なんて真平ごめんなんだぜ」

「おっ、それは奇遇でやすね。じゃ、同じ気持ちということで。失礼しやす」


 お約束のような会話劇。

 初対面とは思えない仲の良さに見える。


「だぁーかーら、待てって言ってんだろ。今のは言葉のアヤってやつよ。お前さんたちもそうだろ?」

「いや、わしらが嫌なのは変わりありやせんよ」


「何でそんなこと言うんだよ! 人の気持ちってのが分かんねぇのか? なぁ、おい。そっちの静かな三人組ならわかってくれるだろ?」

「…………」


「せめてどっちかに首振るくらいしろよ! 無視するんじゃねぇ!」

「…………」


「まあ良いや。どうせ他のやつらは、伍長の下についちまってるし、選択肢は他にはねぇ。残り者同士よろしくな。えーと、テメェら名前は?」

「……春乃丞」


「ぶはっ! お前さん、春乃丞なんて上品な面かい」

「失礼な。ぶん殴って良いですか?」


「おお! 来い。返り討ちにしてやる」

「辞めときやすぜ。熊みたいに逃げ帰る羽目になるのは勘弁してくださいな。俺はここが気に入ってるんでね」


「じゃあ、辞めといてやらぁ。代わりにお前は春の字な。春乃丞なんて呼んでたら戦場で笑っちまうぜ」

「ちょっ!」


「んで、お前さんは?」

「次郎吉です。至って普通の次郎吉。それ以上でもそれ以下でもありませんや。兄貴、それでよろしゅう」


「おお、兄貴ときたかぃ。よっしゃ次郎吉な! そんで、そこの無口の三人は?」

「…………」


「おい! 名前だよ。名前くらいあるんだろ?」


 三人のうち、左に立つ一番年嵩の男がフルフルと首を振る。


「名前がなきゃ生きてこれねぇだろうに。じゃあ、左から松、竹、梅な!」

「兄貴、流石にそれは……」


「ん? そうか? 親父殿の掛け軸に描かれてる松竹梅が良い味だしてんだよ。良いと思ったんだけどな。じゃあ梅、桃、桜にするか! 風情のある名だろう?」

「いやいや、娘っ子じゃねえんですよ」


「面倒くせぇなぁ! じゃあ松、竹、梅で良いな! それで上に報告しとくぜ。遅れると小言が待ってるからな」

「……何だったんだ、あの人」

「それより良いのか? 春の字よ。このままだと人別帳にも春の字で登録されかねんぞ」


「あっ! 兄貴ー! せめて書面上は春乃丞でお願いしやすよー!」

「そういや、あのお武家様の名前って聞いたか?」

「…………」


「まあ、あんだけ目立つお人なら何とかなるだろ」

「それもそうだな。今日のことは野分(台風)にでもあったと諦めて、飯でも食いに行くか」


−−−−−−−−


2023.9.22

次の投稿は月曜日となります。

これからも月曜〜金曜の公開というペースでやっていきます。

このような後書きでの告知は変更のない限り、今回までと致しますm(_ _)m

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