第百六十七話 土産を持たせよ

「走れ! 走れぇ! 敵は目の前だ。我が家からお帰りの朝倉兵に土産を持たせぃ! 我らの力とくと馳走してやろうぞ!」


 歩兵隊の総指揮官である滝川益重の檄が飛ぶ。

 歩兵隊の姿は既に視認されているとあって、足音も声も気にしていない。

 千の歩兵隊を二つに分け、敵総大将の印牧隊を狙う部隊が五百、後続の部隊の足止めを図るのが五百という段取りになっている。


 滝川益重が叱咤しているのは総大将の印牧隊に向かっている部隊。朝倉家に明確な損害を与える目的を負った幕府直轄軍歩兵隊。部隊の中でも最精鋭と言える部隊が割り振られた。


 幕府直轄軍の軍制では、五百の兵は小隊二つで構成される。

 小隊長二人のもとに、分隊長が五人ずつ、伍長は五十人ずつの配置となる。

 各小隊は一つの矢のような形となり印牧隊を目指す。陣形で言うところの魚鱗の陣に近い。


 その先頭を走る者。ひときわ大きな体躯。黒い鎧兜は、金泥できらびやかに彩られている。

 彼の持つ槍は子供の腕ほどに太い朱色の柄。大身の穂先。常人では振り回すことが困難であろう槍を肩に担ぎ、嬉々として敵に向かっていく。


「親父殿の言葉を借りれば、我らの力を土産に持たせとな。洒落たことを言いやがる。だがよぉ、どっちかと言えば、それで持って帰れる土産は自分の首ってところだな! そうなりゃ土産は土産でも冥途の土産になっちまうぜ!」


 緊張の欠片も無いその表情は童のよう。しかし、口から洩れる言葉は子供の言葉とは思えない。


 わざと目立つ格好をしているとしか思えない、その男。先駆けを務める伍長殿だ。

 彼は好き勝手暴れまわるために小隊長の任命を断り、一兵士のように動きやすい伍長という役職に留まっている。


 彼の日ごろの言動から強者との戦いを願っているようだ。

 彼に従う五人の一般兵。腕は達者だが、曲者揃い。

 腕前だけなら出世できるはずなのに、協調性の無さから出世とは無縁になっていた五人。

 似た者同士が集まり、誰が一番強いか揉めていた所に乱入したのが、あの伍長殿。

 腕自慢たちをあっさり打ち倒し、この曲者たちのボスに収まった。

 アクの強さで負けない伍長の下に集まったのは自然のことのように思えてならない。


「小笠原殿の騎馬隊もやるなぁ! おい、次郎吉。今度、うちの隊と騎馬隊で模擬戦やろうぜ!」


 歩兵隊が駆け寄る印牧隊に騎馬隊が襲い掛かる様を見て、伍長殿は叫ぶ。

 ちなみに『うちの隊』とは伍長殿と癖の強い五人の兵を指す。


「勘弁してくださいよ。兄貴を入れても六人ですぜ? 百騎の騎馬隊に敵うわけ無いじゃありませんか」

「何とかなるだろ。一人で十五人くらいをやっつけりゃ勝てるさ」

「それでは五騎余ってますよ」


「五騎くらい大したことねえよ! お前らに一騎ずつ割り振ってやるから、ありがたく受け取んな」

「だったら兄貴に九十五騎預けますんで存分に楽しんでくだせぇ」

「そうそう。わしらは割り振られた五騎の方を相手しますんで」


「うるせぇ! 下らねぇことをくっちゃべってねえで、もっと早く走れ! 小笠原殿の騎馬隊に良い所を全部持っていかれるぞ」

「勘弁してくださいよぉ。これ以上足を速めたら、うちの隊だけ突出してしまいまさぁ」

「兄貴は良いけど、わしらの命が危ないんでね。行くなら兄貴一人で行ってくださいな」


「言ったな、春の字。てめえらなんぞ、殺しても死なねえくせしてよぉ」

「だからそれは兄貴だけですから。さっ、みんなで行きましょうや。でないと、またお父上に叱られますよ」


「またそれかよ! いっつも会話の終わりはそれじゃねえか!」

「毎度毎度、兄貴が馬鹿なことを言ってるからでしょう。ほら、前が空きましたよ。どこから突き入りますか?」


「んなもん決まってんだろ! 強そうな奴のいるところよ!」


 他の隊より明らかに良く喋る。先駆けを務める者の雰囲気とは言い難い。

 最も被害が大きくなるのが先駆け。武門の誉と呼ばれる意味はそこにある。


 その役目を受け持ちながら、一番の強敵を求め戦場を駆ける。彼こそ戦場の華なのかもしれない。



 彼らの会話はともかく、足は止まることはない。それはつまり、敵勢に近づいているということ。小隊のそれぞれが先駆けに率られて進路を変える。


 印牧隊に襲いかかる幕府歩兵隊は、二又の矛のように突き刺さった。

 そこは騎兵隊の銃撃を受けて甚大な傷を負った西方面。薄くなった備えは歩兵隊の突撃を止められず、楔を打つように陣を割られていった。


「うらぁ! 邪魔すんじゃねぇ!」


 元気な先駆けは、印牧隊の馬廻りと槍を合わせていた。外縁部の足軽部隊は早々に蹴散らしたが、総大将の印牧の親衛隊の守りは堅かった。


 幕府歩兵隊は、そこらの武将など相手にならないくらいの剛の者。

 しかし、馬廻りは印牧を守るために戦っているので無理をしない。攻める気が無く、隙を見せない彼らに対し、糸口を見つけかねていた。


 痺れを切らした先駆けの男は、牽制の槍を避けもせず、身体を割り込ませると馬廻りの兵を弾き飛ばす。


「前が開いたぜ! てめぇら行くぞ」

「開いたって兄貴……。このまま進んだら死にに行くようなもんですぜ

「そうですよ。せめて他の隊も突破するまで待ちましょうや」


 不満たらたらの次郎吉と春の字。

 それを顧みることなく、残りの部下である三人に声をかけ敵陣の奥へと進んでいこうとする。


「そんなこと言ってたら印牧の野郎が逃げちまうじゃねえか。おい、松、竹、梅。文句を言う奴等は放っておいて行くぞ」

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