第百六十五話 山内一豊と
「このままじゃ、上様から任されたお役目が果たせねぇ! そこのお前ら! 槍に持ち替えろ! いくぜ!」
そう言うや否や、一番高そうな具足に身を包んだ若武者が一足先に斜面を駆け降りる。
その後を追い、斜面を駆け降りている弓部隊の十五名。
命知らずの大将と連帯感から大将を支えようと敵の眼前に身を晒した男たち。
高所に残った弓部隊の面々も自分たちの大将を守るべく矢雨に身を晒し、敵に射掛ける。
蛮勇を発揮する大将。記憶が確かなら、小笠原長時と穏やかに話をしていた男のはずである。腰が低く、夜空の下で馬と駆けるなどと風情のある物言いをする人物だった。
それがどうだ。言葉遣いは荒くなり、行動は短慮そのもの。
生真面目が過ぎて馬鹿真面目と言えば良いのだろうか。
敵の足止めというお役目を果たせないからと、先備えの前面に立ち物理的に足を止めさせようと降りてきてしまった。
問題の印牧隊の先備えは峠道を三列になって進んでいる。
左右は木楯を掲げ両脇から降り注ぐ矢を防ぎ、中央の弓足軽が伏兵が潜んでいそうなところに向けて矢を放っている。
当然、前より左右を見ている。その先頭に突っ込む若武者 山内一豊。
水平に振りかぶり中央の弓足軽に叩きつけた。刃先を気にせず力一杯降り抜いた槍は、
当の山内一豊は、その結果を見ることなく足を入れ替え槍を再び水平に薙ぐ。人間二人を吹き飛ばす槍の威力は、一人で受けるには酷だった。くの字に折れ曲がりながら、斜面に激突。息はあるが動かない。いや、動けない。
想定していなかった鈍い音に印牧隊の先備えは足を止め、前方を注視する。
鬼のような形相をした若武者が一人。槍を振りかぶり、払い、また振りかぶり、払う。
「足を止めやがれ! 勝手に進もうとする奴は誰だ! 俺が動けなくしてやる!」
高笑いとともに槍を振り回す一人の武者。物狂いのように支離滅裂な主張。
その理不尽な暴力は、まるで閻魔様が棍棒を振っているようだった。
左右からは弓矢、前方には閻魔様の棍棒。
悪いことに縦列隊形で進んできたため、前に向かって弓を射れない。距離の近い敵には水平に撃つしかないが、それでは味方に当たってしまう。
前が拓けて弓を射ろうとすれば、すでに目の前に迫った閻魔様の棍棒が出迎える。成す術なく左右に弾き飛ばされる先備えたち。
味方の悲鳴と鈍い音に高笑い。前方に起こる異様な状況を察した先備えは、木楯を四方に配し方陣を作る。中には弓足軽。弓を持つ者は二十名ほどに減っているが、敵一人に向ける矢の量と考えれば十分。身を隠す場所も無く、相手の顔が見える距離。
放たれた矢は、きっちりと山内一豊の体に収束していく。
しかし当人は正中線に近い矢だけを槍で払い、腕や足を掠める物を無視して進む。
ヒィっと声にならない悲鳴が弓足軽からあがった。よくよく見れば、槍で全ての矢を落とせた訳ではなく甲冑や腕に矢が突き立っている。このまま矢を放っていれば鬼や閻魔様とて無事では済まない。
弓足軽たちは気を奮い立たせ、次の矢を番えようと矢筒に手を伸ばしたその時……。
バァーーンと鳴り響く破裂音。方陣の後ろ側を守っていた足軽たちは倒れ込んでいる。その音は、更に後方でも鳴り響いていた。
この音の正体は、幕府の忍者営業部が放り投げた焙烙玉だった。
印牧本隊の足止めに投げ込まれていたが、山内一豊の暴挙を知った忍びが一つ拝借して投げ入れたものだ。海の戦で用いられることはあるが、陸では珍しい。
案の定、耳の不調と倒れ込む味方を見て一瞬、時が止まったようになった。
そこへ山内一豊の後を追いかけていた弓部隊の一団が追いつき、壁のように並ぶ木楯に突撃していった。
前後左右から攻撃を受けていた印牧隊の先備えに、抗する術は無く、槍の餌食となっていく。
こうして印牧隊先備え二百名は、幕府直轄軍の弓部隊百名の奇襲を受け、壊滅した。
有利な高所を抑え、敵の虚を突き弓矢で数を減らし、指揮官の蛮勇と部隊の組織力でもって殲滅。
間違いなく敵の足を止めるというお役目は達した。
おそらく総大将の義輝の考えとは違った意味で。
争いの空気が消え、峠道には静寂が戻ってきた。
鼻息荒く立ち尽くす若武者は次第に息が整い、肩の力も抜けてくる。
そこへ従士で副官の役目を果たす
「殿、相変わらず無茶が過ぎますぞ。寿命が縮まるかと思いました」
「爺よ、悪かった。戦で血が高ぶって……、ついな」
「ついではありません! 百名を預かる指揮官がそんな雑兵みたいなことをしてどうするのです! せっかく山内家再興の機会を上様から頂いたというのに」
「わかった、わかった。その話は、もう耳にタコが出来るくらい聞いたよ。もうしないから」
「絶対ですぞ! 弓部隊の中で一番傷を負ったのが指揮官である殿だなんて……。情けなくて涙が出そうです。せめて刺さった矢を抜いて止血せねば」
「うん? そういえば、ずいぶん矢が刺さっておるな……。うぅ……ひ、左腕が痛んできた」
胴や草摺に刺さった矢は甲冑により深く身を傷つけていなかったらしい。
しかし、左腕に刺さった矢はしっかりと肉に食い込んでいる。
肩回りはしっかり守れても、腕は比較的防御が薄い。運悪く、そこに矢が刺さってしまっていた。
五藤浄基は、ちゃっちゃと邪魔な矢を取り除き、問題の左腕に取り掛かる。
だが、刺さったまま暴れまわっていたせいで、矢柄が折れて短くなってしまっている。大人の手では片手で包み込んでしまえるくらいだ。
何とか引き抜こうと、利き手で力を込めるも血で滑って抜けない。そもそも骨に食い込んでいるようで片手で同行できる状態ではなさそうである。
その様子を見ていた山内一豊は気遣うように声をかける。
「爺よ。このままでは抜けそうにない。やっとこでも使って両手で引き抜いてくれ」
(※やっとこ:ペンチのようなもの)
「それしかありませんな。おーい、やっとこを持っている奴はいるか?」
手先が器用で金創を担当してる隊員から、やっとこを借り受ける。
「血の管を傷つけぬように真っすぐ引き抜くなら、俺が横になるしかないか」
そう独り言ちて地べたに寝転ぶ一豊。
五藤は手早く終わらせようと、やっとこで残った矢柄を挟み、力をかけようとしたのだが、そこで待ったをかけられた。
「このまま俺が腕を動かさぬように力を入れては、肉が締まり鏃が抜けん。足で踏みつけて良いから、ちゃっちゃと頼む」
「おお、左様ですか。では失礼して」
「痛たた! 傷口より踏み付けている足の方が痛いぞ、爺よ」
「おやおや、すみません。殿に振り回される者の身になったら、思わず力が入ってしまいまして。では御免」
山内一豊の腕を自分に当てはめたのだろうか。
洒落の利いた言い回しは山内家主従に共通したもののようだ。
五藤の言う振り回されるという言葉の意味ところは、今回の蛮勇のことか、今までにあった出来事の話か。理由は分からねど、恨み言を言いつつ、五藤は鏃を抜き取った。
「終わりましたぞ。あとは血止めをしておけば大丈夫でしょう。いやはや、後にも先にも主君を踏みつけた武士など早々おらんでしょうな」
「ああ、念入りにしっかり踏みつける家臣など、そうおるまいよ」
「せっかくの記念ですから、この鏃と草鞋を家宝にしましょうかの」
「好きにしてくれ。どうせ笑い話で何度も聞かされる話だろうからな。現物があった方が話しやすかろう」
戦は続いているが山内家主従の周りには穏やかな空気が漂っている。
印牧隊先備えと幕府直轄軍弓部隊の一戦はこうして幕を閉じた。
そして次なる舞台は印牧本隊との戦いである。
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合戦配置図(165話時点)
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