室町武将史 五常 義の一刀 其の一

幕間 上杉謙信 伝 関東討ち入り

永禄三年弥生(1560年3月)

春日山城


 私は、その報告を聞いて、手が止まった。

 好機という考えが浮かんだが、間も無く虚報ではという考えが、それを上書きする。

 結論がどちらに転ぶにせよ、世が大きく動く予感がした。

 領内の武士に触れを出し、戦備えをさせるとともに軒猿(忍び集団)に情報を集めさせた。


 結果は初報が正しく、尾張国知多郡桶狭間なる地で今川義元が死んだ。


 甲相駿の三国での同盟はどうなるのか。

 強力な三国同盟は出来人の当主が三家揃ったことで成立したように思う。

 その一角が崩れた。尾張国をやっと纏められたかどうかといった程度の武家に討たれて。


 数倍の兵を抱えているにもかかわらず、なぜ当主が討たれるのだ。

 本来であれば、今川家の大軍に敵が近づいただけで討ち取られるか、追い払われるか。

 うまく近づけたところで、そのどちらかなはずだ。


 周囲に気が付かれずに本陣を急襲できるなどと誰が予想するだろうか。

 あまつさえ、義元は逃げることもできず討ち取られた。見通しが利かぬほどの豪雨も味方したらしい。あり得ないことが重なるものだ。織田家には神仏の加護でも付いているのだろうか。


 もし加護のお陰であるならば、毘沙門天を信奉する私にも加護があるかもしれない。天が味方した時に敵本陣を奇襲する。

 義元には悪いが当主を狙って戦を終わらせるという戦い方は使えるかもしれない。

 兵を徒に損耗させる戦いは費用が掛かり過ぎる。あやつの首さえを落としてしまえば、信濃国も落ち着くことだろう。


 越後国は戦続き。南方が落ち着けば、こちらも落ち着ける。

 周辺国が安定すれば越後国も安定するのだから。



 これは使えるかもしれないな。ひらめきに似た思い付きが舞い降りる。

 いつかこの策で義輝様の敵を葬ってやろう。そう心に決めた。


 そう決めたは良いが、喫緊の課題がある。

 揺らぐであろう三国同盟。我ら長尾家が動く機は、まさに今であろう。


 されど本来、考えていた時期はもう少し後。何故なら越中国の椎名康胤をに助けに出陣したのが今年の弥生(三月)。帰って来たばかりであったのだ。そのため、北条征伐はまだ先のことだと考えていた。


 ――しかし……、この機を逃す訳にはいかんな。


 今川家の次期当主は嫡男になるだろうが、先代義元を超える逸材とは聞いていない。となれば、駿河国からの支援は弱まるだろう。


 やはりと結論付ける。今、出陣すべきだ。


「控えの者! 陣触れを出せ。それと関白様と関東管領 上杉憲政様にも出陣の旨をお伝えせよ。我が長尾家は上杉憲政様の要請を受け、北条征伐に向かう!」



 その報を聞いた関白様と関東管領様の喜びようといったら……。

 これで早くしろだの言われずに済むならば儲けものである。御旗は掲げる者あってこそ高みに上がれるものだが、うちの御旗は上から口を出し過ぎる。

 せめて行軍中は離れて進もう。後方が安全だとでも言っておけば良いだろう。



 時は同年の葉月。長尾軍は八千の軍勢となり、越後国から関東へと進んだ。

 三国峠を抜け、予てから合力を約束していた長野業正ら在地勢力の支援を受けて沼田城など近隣の城を落として回る。



 そこで私は軍をさらに南下させ、厩橋城まで軍を進めて城主である長野道賢に降伏を促す。上野国の有力者である長野業正と縁戚関係にあり、従属している北条家の援軍も間に合わないとあって、簡単に降伏した。


 厩橋城を北条家征伐の橋頭保にすると定めて、一度腰を落ち着かせる決断をした。


 三国峠周辺は、関東管領の御旗を掲げる長尾家の勢力圏となっており、退路は確保できている。兵站も問題なさそうだ。

 ここまでは良い。されど、関東のことは関東の者たちが血を流すべき部分があることを否定できない。越後長尾家の兵も関東安寧のために死すのは吝かではないが、当事者が傍観したままでは、彼らの浮かぶ瀬がない。


 まずは長尾家の兵を中心にして、関東諸将を招集し北条征伐の態勢を整えなければならない。


 この辺りは、儂の名で決起を促せば喜び勇み馳せ参じるだろうと息巻いている御二方に任せることにする。


 貴人というのは発想が同じになるらしい。関東管領様も関白様も打ち合わせた訳でもないのに、同じようなことを口走っている。不思議でならない。

 関東管領様は良いが関白様からの書状が来ても、関東の諸将は意味が分からぬだろう。京の都におわすはずの関白様がなぜ関東に下向しているのか在地の国人衆は混乱するはずだ。

 私はその辺りの説明もしておかねばなるまい。面倒でならない。



 貴人といえば、室町幕府の将軍である義輝様にはそのような偉ぶるところもなく、腰が低くて好感を持てた。立派な体躯、鍛え上げた肉体、それに見合わぬ柔らかな笑顔に優しい御心。こうまで違うものか。


「やはり仕えるべきは義輝様しかおらんな」


 厩橋城の私室で義輝様から拝領した刀の手入れをしながら、そう独りごちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る