第百六十〇話 朝倉領 逆侵攻作戦

 速歩そくほで進む騎馬隊と歩兵隊。忍びの者の影は見えない。


 敵に見つからないために早く通り抜ける必要があるが、音を立てるわけにもいかない。

 そのため馬には馬沓を履かせばいをふくませている。足音と嘶きを抑える目的のためである。


 いくらか抑えているものの馬の速歩は人の足に比べて圧倒的に早い。

 にもかかわらず、歩兵隊の息が上がることはなく、静かに駆けている。


 こういうところを見ても、専属の歩兵隊になれなかった者たちとはいえ、過酷な訓練を積んできたことが良く分かる。義輝が滝川式ブートキャンプと揶揄したのも、さりなんと言ったところだろうか。


 不慣れな若狭国の海岸線を駆ける。

 山内一豊の言うところの星々のきらめく夜空を駆けるという状況は、確かにその通りである。むしろ、その言葉以上に月夜に照らされた水面が淡い世界を作り出し、何とも言えない風情を醸し出している。


 このような世界の端を駆ける彼らは、周囲に目もくれることなく駆ける。騎馬隊に遅れてなるものかという気概が見え隠れしているようだ。


 彼らは戦場に向かう。殺伐とした世界。

 美しい若狭の海岸。あまりにも違い過ぎる。

 しかし、そんなことを気にする人間は、この場にはいない。




 関峠のある峠道は緩やかな勾配で比較的真っすぐ。

 曲がりくねった道ならば、ひそかに近寄ることは出来なくもない。しかし、関峠では難しそうだ。

 そこで騎馬隊隊長で別動隊の指揮官でもある小笠原長時は、忍者営業部にどこまでなら敵に発見されずに近づけるか探らせ、その地点まで静かに進んだ。


 不意を突くには少々遠い距離。

 弓矢を効果的に降らせるにはもう少し近づきたいところ。

 そこで予定通り。忍者営業部に襲撃の助攻を依頼する。


 関峠の守備する朝倉軍に混乱を起こさせる目的で攪乱作戦を実行させた。



 程なくして空が白みかかった頃。ドーンという爆発音とともに黒煙が上がる。

 関峠の麓。朝倉領の方である。


「幕府軍が敦賀郡に侵入したぞぉ~!」

「ここにも攻め込んでくるかもしれん! 後方に注意しろ!」


「物見隊を出せ! 侵入した敵の数を知りたい!」


 騒がしくなる峠の関所。

 この場を占拠している朝倉軍の指揮官は、自領の異変に物見隊を出すことを決めた。

 百名にも満たない守備隊の中から五名の物見が派遣される。


 物見が戻るまでは、気が気でない様子。

 前方には朝倉軍の本隊がいるとしても、そこは敵国。自分たちの逃げ場と考えるのは適切ではない。


 出来ることならば、朝倉領に侵入してきた幕府軍が少数であることを願うのみ。

 そうでなければ、自分たちの身が危ういのだ。


 こうして固唾を飲んで見守る守備隊。物見隊が早く戻ってこないかと意識がそちらに向かう。関所の櫓に上がっている兵もそちらを向いてしまっている。

 幕府軍の思惑の通りに。


 隙を突き、じりじりと近寄る幕府軍。距離は一町を切り、弓の有効射程距離に入る。このくらいの距離ならば、鎧を着た相手でも殺傷する威力がある。

 簡単な身振りで隊列を整える幕府軍弓部隊は無言で矢を番え、指揮官の指示を待つ。指揮官の山内一豊は抜き放った刀を天に掲げ、おもむろに切っ先を関所に向ける。


 響く無機質な音。放たれる弓弦の音は敵まで届かない。

 代わりに届くは風を切り裂く矢羽根の音。そして矢、矢、矢。

 一部は物見櫓に突き立ち軽快な音を奏でる。

 残る矢は弓形に関所の柵を超え、敵勢へと降りかかった。


 意識外からの攻撃に大半の者は声すら上げずに倒れ込む。


 異変に気が付いて朝倉軍の守備隊。

 矢の飛来した方向に振り向く者と振り向けずに倒れ込む者。無事に振り返り状況を察した守備隊たちは咄嗟に身を屈め、矢の雨をやり過ごす。


 そうしている間に、獣が駆け寄るような足音が近づいてくる。恐る恐る顔を上げてみれば、敵国側から駆け寄る長柄槍部隊が見えた。


「敵襲! 敵襲! 今度は前方から敵が迫ってきているぞ! 動ける者は関所を守れ!」


 指揮するものは生き残っていたのは幸いか。半数ほどに減ってしまった兵を指揮し、動ける者は関所の守りを固めるべく柵へと近づく。


 そこから見える景色は恐ろしい。

 平均的な体格を超え、屈強と言える男たちが槍先を揃えて駆け寄るさま

 守備隊の面々は半数が倒れ込み、動けているものですら無傷なものは少ない。

 相手は自分たちの倍ほど。普段なら櫓や柵があれば守り切れるだろうが、現状では……。


 誰が見ても不利な状況。

 しかも、さらに状況は悪化する。


 駆け寄る長柄槍部隊の後方から矢が襲来した。敵の様子を見据えるために柵に近づいていた兵たちはその矢の餌食となる。そして地面に倒れ込みながらも、まだ息のあった守備隊の命も奪っていく。

 守備隊は近寄ったばかりの柵から離れ、矢をやり過ごす。


 そうしている間に幕府直轄軍の長柄槍部隊は関所の柵の隙間に槍を突き入れる。やがて抵抗する者が少ないと見るや、柵をよじ登りだした。


 第二陣には、槍ではなく大木槌を持った者たち。反撃の無い門扉に向かって遠慮のない一撃を見舞う。それは絶え間なく繰り返され、かんぬきが折れた。


 そうなれば後の結果は見ずとも分かる。柵を乗り越え暴れる少数の長柄槍部隊に手こずっていた守備隊。そこへ門を通り抜けた多くの長柄槍部隊。


 事ここに至っては神算鬼謀を駆使する軍師でも立て直すのは難しい。

 そのような人物がいなければ尚更である。


 静かになった関峠。

 朝倉軍守備隊で戦える者は残っているはずもなかった。


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