第百五十八話 小笠原長時
若狭戦線の趨勢は将軍義輝の手を離れ、部隊として初陣となる幕府騎兵隊に委ねられた。
騎兵隊の総隊長は信濃守護にして信濃四大将と名高い小笠原長時。小笠原流弓馬礼法の宗家であり、武家の文化を連綿と伝える文化人の側面を有する。
しかしながら、敵対した強国甲斐武田家の武将から、武勇だけなら武田家の面々にも引けを取らぬほどと言われる男だ。
その男が、政治や領地経営などから解き放たれ、専ら純粋な武を突き詰める。その結晶が純全たる騎馬のみで構成された部隊。幕府騎兵隊である。長年の下準備を積み重ね、やっとのことで形となった。
その騎馬隊。将軍義輝の発案により組織されたが、この時代の騎馬隊の戦い方とは異なる。発案者が騎馬隊の被害を厭い、極力被害が出ないような戦い方を望んだからである。小笠原長時の言を借りれば蒙古騎兵のような戦い方らしい。
重たい鎧を身に着けず、移動速度を優先した。主武装は弓。武士の使う和弓とは形状が違う。馬上で射やすいように弓を短くし威力を損なわないように工夫されている。更に大きな違いは、筒の短い火縄銃を備えていることだろう。
騎馬だけという部隊構成も珍しいが、火縄銃を備えている騎馬隊というのも珍しい。このあたりは清家筒を量産する幕府軍ならではと言えるかもしれない。
この珍しい騎馬隊には、若き男たちばかり。彼らは長く続いた礼法指導の旅で勧誘してきた騎乗の才に溢れた若者である。
付き従うは武将は小笠原長時の実弟に義弟、それと息子たち。故郷を追われ苦楽を共にしてきた。この四名が騎馬隊の副官と分隊長を務める。
「頼親、準備は?」
信濃を追われて以降、絶えず付き従ってきた妹婿の
「兄者。いつでも行けるぞ」
言葉少なに返答する頼親。
長時は普段から言葉が少ないが、頼親はそうではない。どちらかというと対人関係を構築するのが苦手は義兄に代わり、間を取り持つことをしてきたこともあり、会話を苦手としていない。
その頼親も言葉が詰まるというのは、やっと日の目を見ることが出来る状況に堪えるものがあったのだろう。故郷を武田家に逐われ、六年あまりの月日が経っている。
幕府に力が無いこともあって、積極的に戦に関わらなかったこともあり、武功を立てる術も無かった。復帰のための功績を上げることは能わず、戦働きとは程遠い礼法の指導役として場繋ぎ的に各地を巡る日々だったのだ。
彼らの忍耐の日々はそこから始まり、堪え続けた。彼自身には望郷の念が少ないようだった。しかし付き従う郎党は故郷を懐かしがっていた。
長時は信濃国にというよりも、牧場で馬とともに駆け回っていた頃を懐かしんでいたようだ。長時にとっての望郷の念はそれになるらしい。
想いの中身は違えど其々が我慢の時を重ね、やっとのことで少ないながらも力を得た。
幕府騎馬隊の初陣。小笠原家の再興はこれから始まる。
その状況ともなれば藤沢頼親も言葉が詰まったとしても仕方がないことだろう。
そして、その苦労を目の当たりにしてきた二人の息子 小笠原長隆も貞慶も感慨深げである。彼らについては、戦に臨む高揚感も含まれている。それは若さのせいと言えるだろう。
「私も貞慶も準備は出来ております。叔父上が最後の見回りを……いや、それも終わったようです」
「お待たせしました、兄上。同行する歩兵隊の弓や矢筒を騎馬に括り付けるよう指示してきました。移動速度を考えて指示しましたがそれで宜しいでしょうか?」
「良い。儂らの分は替え馬に積んだか」
「はい。指揮官には替え馬がありますので荷物はそちらに。それも峠の麓までとなりましょう。戦となれば替え馬を引いて動き回ることは叶いませぬ」
「それで良い」
「兄者。歩兵隊の指揮官である山内一豊殿と動きを打ち合わせてはいかがでしょうか」
うむ。と言葉少なに応じると、生まれの身分を気にせず山内一豊の元へ馬を進めていく長時。この辺りは武芸以外に頓着しない長時の性格が出ている。
小笠原長時と山内一豊を比べれば、幕府軍において古参と新参。信濃守護の家柄と国人領主。挨拶に出向くのは本来は山内一豊の方だ。
ただ、今回は
気を利かせたのは義弟の藤沢頼親。作戦変更で歩兵隊が同行することになったこと鑑みて、移動速度を少しでも維持しようと工夫したのが実弟の小笠原信定なのである。純粋な武では長時に敵わない二人が、不器用な当主を支えている。それが自然と上手くいっている。
だからこそ、長時は彼らの進言に耳を傾け、素直に受け入れる。流浪の小笠原家は、環境の変化に適応して、成長していた。苦難の道のりは、彼らの団結力も育てていたようだ。
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