第百五十三話 為本ふたつ

「……援軍を頼んでおいて言うべきか悩んでいた。しかし、一度問うてみたかった。顕如殿のお考えを」


そう切り出した俺の言葉。

一段と真剣味を増した雰囲気にも関わらず、本願寺顕如さんの態度は変わらない。


「はて。どのようなことでしょう?」

「儂はな、日ノ本の民が笑って暮らせる世を作りたいと願っておる。だから戦になると徴兵される農民兵を殺したくない。そう思っているのだ」


「我ら本願寺の一揆は多くが農民となる集団ですね」

「そうだ。儂が援軍を頼んだことで民が死ぬかもしれん。それでも儂は民が死んでほしくはないと思っている。恥を忍んで問いたい。死した先に極楽浄土が待っているなら、現世で死んでも構わないのか? 本当にそれで良いのだろうか」


少しムッとしたのか、今までの流暢な返答が止まる。


――踏み込み過ぎたか。


「……我ら本願寺の教義に口を挟むと? 何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しと言うでしょう。あまり適した話題とは思えませんね」

「分かっている! 偽善的なことを言っているということも! それでも武士の都合で苦しめられたり、命を失っていく民を思うとやるせないのだ」


「そもそも今の世を作り出したのは武士ではないですか。民は武士が主導する世に期待を持てずに御仏に縋るようになったのです。それを御存知でしょう」

「それは承知だ。厚顔無恥なことを言っていることも理解している。それでも武士が民を無理矢理に戦へ向かわせるのは良くないと思うのだ。一向一揆と呼ばれるものも、民の声と言いつつ戦へと追いやっている。それが本当に御仏の意思に沿うのだろうか。儂は死後の世界だけでなく、現世でも幸せになってもらいたい。そう思うのは間違っているのだろうか」


「理想論ですね。そもそも引き合いに出した加賀国にしても幕府の意向もあって動いたのですよ。当の我らは山科の寺を焼き払われ、この地に流れ着いた。それですら、かつての管領に唆されて宗教対立やら政治闘争やらに利用されただけです。それでも門徒を死なせるのは我らのせいですか」

「かつての歴史は知っておる。幕府の長として反省もしておる。どのような思惑があったにせよ、本願寺派の皆々に迷惑をかけた。申し訳ない」


この話は藤孝くんから聞いている。

かつての幕府内の勢力争いで富樫氏を含めた暗闘があったらしい。

そこに一向宗、つまり本願寺に声をかけた者がいて、政敵を排除するために蜂起させた。

結果として、一向一揆によって国を奪われたように見えるが、そうさせたのは幕府の人間という裏話がある。もちろん、一向衆の過激派が暴走して、今の状況を作り出したということも否めない。


「……とりあえず謝罪のお気持ちは受け取りましょう」

「ありがたい。そしてその上で先の話をしたい。死後に極楽浄土を望むのは個人の勝手。幕府がとやかく言うことではない。しかし現世でも幸せになって欲しい。人を殺して手に入れる。そんなことはしないで欲しいのだ」


「人を殺して何かを手に入れるなど武士がやっていること、そのものではありませんか」

「そうだ。だから戦は武士だけでよいのだ。農民も門徒も僧も戦に出る必要などないのだ、本来は」


「本来は、ですね。しかし今の世の中は力が無いものが損をします」

「だからこそ、幕府にもう一度力を取り戻す。そして戦の無い世を作り、民が安心して暮らせるようにしたいのだ」


「それは先ほども聞きましたが……。それで我らにどうせよと?」

「戦は武士に任せてもらいたい。意見を通すために民の命を使わないでくれ。恫喝には応じられんが、話なら聞く。理があれば聞き入れる」


「……義輝様は王法為本おうぼういほんという言葉をご存知でしょうか」

「申し訳ないが知らぬ」


「……。それも仕方ないでしょう。本願寺の門徒の耳にすら届かない言葉ですから」


俺に返答を求めている訳ではないことが分かる口振りだった。

きっと言葉を繋げるために口にしたのだろう。そう思って本願寺顕如さんの言葉を待った。


「王法為本。これは浄土真宗本願寺派第八世宗主である本願寺蓮如が説いた考え方です。蓮如は先の話に出ていた加賀の動きの起点ともなる人物とも言えましょう。それはさておき、王法為本の意するところは、現世においては現世の法に従えという教えです」

「それは今の過激な門徒を見るに画期的な教えではないのか?」


「むしろ過激になり過ぎたからこその教えです。本来は仏法為本という言葉がありました。現世と隔絶した世界では仏法に従うべきだとね」

「それが過激になり過ぎたために、現世での法に従うように言い聞かせたのか」


「ある程度の効果はありました。しかし、すでに指導者や門徒の欲が肥大化してしまった。そうなってしまっては法主の言葉といえど、彼らには届きませんでした」

「そんな経緯があったのか」


「もちろん、一定の効果はありました。ただ先鋭化しすぎた人間には届きません。蓮如は繰り返し加賀の門徒に書状を送りましたが……現在の状況を見れば結果はお判りでしょう。最終的には門徒と共に歩む道を選んだというのも原因の一つでしょうが」

「顕如殿はその行動をどう思われているのだ?」


「私も同じですよ」

「同じ、とは?」


場に緊張感が走る。いや、俺だけが緊張しているのかもしれない。

絶えず変わらぬ落ち着きを見せる顕如さんは、やっと口を開いた。


「仏法為本であり、王法為本でもあります」

「っ! ならば分かり合える部分もあるのではないか」


期待していた言葉を聞けて、身を乗り出してしまった。

それを受けても顕如さんは姿勢を崩さず、変わらぬ口調のまま現実的な言葉を述べる。


「先も申し上げた通り、法主の言葉に全員が従うわけではございません。それに宗教勢力間での争いもございます。上様の理想通りに宗教勢力が武力を手放すことなど容易ではございません」


近い話では、細川晴元が法華宗と一向宗を対立させ争わせた。

それも幕府の政治闘争のために。山科にあった本願寺が大坂に移転したのも、その時の対立が原因だ。

この時代の宗教勢力は、仏教同士ですら争いがある。そして寺領を守るためにも武力を必要としていた。


「容易ではないのは分かっている。だが一歩でも進もうとしなければ何も変わらない。共に歩むべく協力してくれないだろうか」

「……分かりました。いつ門徒の考えが変わるかわかりませんが、一歩ずつ進んでみましょう。大坂だけならば、いくらか抑えられましょう。門徒の考えをいずれ変えられるかもしれません。ただ他の地域は分かりません。それでも宜しいですか?」


「――顕如殿、感謝する」


小さな一歩。

それでも一歩進んだはず。

平和な未来に向けて、大切な一歩にしなければ。

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