第百四十三話 正室と側室
婚儀三日目は、白装束から着替えて豪華な打掛を羽織る綾さん。俗に言うお色直しというやつで、婚儀を経て嫁ぎ先の色に染まったということを表すらしい。
それで晴れて親族にお披露目という流れだ。
綾さんが足利家に染まったというより、俺が染められそうになっただけの婚儀だったように思う。しかし俺は染まっていない。潔白の身である。たぶん。
お披露目会では、新郎新婦は上座で少し離れた横並び。
俺らがお誕生日席のような配置となり、親族や一門衆が並んで座る。
まるで雛人形のように座って眺めるだけの宴会である。心を無にして時間が過ぎていくのをただ耐えるのみ。
しかし、隣では時折グフグフ言うておられる。おそらく良い素材が見つかったのか、言の葉が迸っているのだろう。彼女は武家に嫁げて幸せのようだ。
後の心配は楓さんを引き合わせて、彼女を正式に側室にする許可を得ること。
二人で話していた時は、全く問題ないということだったので、いくらか気が楽だ。どちらかというと別の女性と三日間過ごしていて、楓さんに会うのが何となく気まずいということ。
きっと楓さんは夫婦の契りを結んだと考えているはずだ。俺は色々と潔白なのに。むしろ身を奇麗なままに保つのが大変だったくらいだ。それくらい彼女の愛は強かった。話題の九割はそれに関するものだったと言えば、どれほどのものか分かってもらえるだろうか。残りの一割はそれに付随する周辺知識ということも
付け加えておく。
楓さんとの時間は、何か話すわけでもないことも多い。それでも心地よく過ごせる。後ろめたさと気恥ずかしさがあるが、楓さんに会いたくなってきた。側室の件で気を揉んでいるかもしれない。早く話がしたいものだ。
※ ※ ※
婚儀を終えた次の日。正室となった綾さんの部屋に楓さんを呼んでもらった。
二人の性格を知っている俺からすると、女の戦いのようなことは起きないと分かっているが、何となくドキドキしてしまう。
「御方様のお呼びにより参りました。和田楓と申します」
いつものように音もなく部屋まで来た楓さんは、丁寧に挨拶をして部屋に招き入れられた。
「この度、上様の室となりました綾と申します。貴方が楓さんですね。上様よりお聞きしていますよ」
「田舎者の不調法者にございます。お恥ずかしい限りです」
「あらあら。上様は褒めておいででしたよ。何より楓さん一筋だって宣言されてましたもの」
「そ、そんな。お恥ずかしい」
「殿方から愛情を注がれることに恥ずかしがることはないではありませんか」
「いや、俺も恥ずかしいんだけど……」
「上様はどうでも良いですから! ここは女の話し合いですよ?」
「どうでも良いって……。一応将軍なんだけど」
俺の小さな抗議は黙殺され、コホンと可愛らしい咳払いの後、綾さんは話し出す。
「それで本題ですけれど、上様は楓さんを側室に迎えたいとのお考えです。楓さんも同じお気持ちということで宜しいですか?」
「はい」
「じゃあ、楓さんは側室ということで!」
「えっ? よろしいでしょうか。何より祝言を挙げられた昨日の今日ですし」
「良いですよ~。私が子供を産まなくて済むのですから大助かりです。これで執筆活動に専念できるというものです」
「執筆活動ですか?」
「ええ、ええ! そうなのです。非常に高尚な作品を書いているのですよ」
「高尚な……。さすがは御公家様の御姫様であらせられますね」
――嘘つけ。BL本じゃねぇか。公家の世界で高尚な話だと勘違いされるぞ。
「綾とお呼びくださいな。私も楓さんと呼びますから。あとで本を差し上げましょう。布教用に写本が沢山ありますから」
「そんな恐れ多い。せめて綾様と呼ばせてください。私は呼び捨てで構いませんから。田舎者の私に高尚な本が理解できるとは思えませんが、拝読させていただきます」
――拝読せんで良い。高尚だと思っているのは、その世界の住人だけだ。
それにしても執筆だけでなく、写本まで行っているとは。さては公家の姫という立場から有り余る時間の全てを執筆に使っていたな。
そんなに在庫があるなら忍者営業部で売らせるか?
「まずはこの続き物の物語からいきましょう。初心者向けです」
そういって差し出してきたのは、綺麗に装丁された三冊の本。題名は書かれていないが色が少しずつ違う。
綾さんはそのうちの一冊を捲ると、表紙の裏を楓さんに見せる。
「猛き獣と狩る者というお話です」
「はぁ……」
――いきなりハードすぎるだろ! 若干、楓さんが引いてるぞ。
初心者に獣と狩人のBLってどんな話だよ! せめて男女関係に別の男が割り込んできたくらいのやつくらいの軽いのから行こうよ!
「これは、狩人の青年が牡鹿を助けることから始まります。助けられた牡鹿は恩返しのため、すらりとした美しい人の姿となり身の回りの世話をするのです。日常を共有するうちに次第に深まる仲。ついに結ばれるというその時! 昔、見逃された熊が現れるのです。野性味を残す大柄な男性の姿となった熊は、自分も狩人に恩返しをしたいと割って入ります。そこから奇妙な三角関係が始まり……といったお話ですね!」
――壮大な長編じゃないですか。そりゃあ三冊にもなりますねって!
鹿と熊が擬人化って! あからさまに初心者向けじゃないって!
「す、凄そうなお話ですね……。むしろ上様が懇意にしている商家で販売してもらってはどうでしょう? 和歌集なども販売されているのですよ」
「販売……。私の作品が販売……。何と甘美な響きでしょう。我が子が手を離れ、世に出るとは……」
――あっ、これは楓さん逃げましたね。気持ちは分かります。素養が無いのにあんなハードな物語は読めないよね。
「では! 全ての作品集をお預けしますので、楓さんが売れそうだと思う作品を教えてください! 私は当面の間、写本に全力を傾けますので!」
「全部ですか……。わ、わかりました」
――ちょっとの面倒から逃げようとしたら、もっと面倒なことを頼まれるって良くあるよね。俺としては助けられないけど、その手の話が好きそうな幕臣を紹介してあげるくらいは出来るかな。
この試練で楓さんが、そっちの世界に染まらない事だけを祈るよ。ガンバです。
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