第百四十二話 婚儀、続く
当然のように初夜は何もなく、綾さんの質問攻めに答えているうちに二人とも寝落ちする結果となった。
夜を徹して話をしていたせいか、朝は中々起きられず、身体も怠い。
隣で眠る美少女も似たような状況らしい。こっちが意識を取り戻し、身じろぎしても、まだ寝ている。なぜ美少女と同衾していて、これ程までにときめかないのだろうか。不思議でならない。
やっとのことで起き出して、綾さんと共に朝餉を取る。普段は夫婦で食事をとることはないが、今は婚儀の最中。二日目も二人で過ごす。
給仕の幕臣はその様子を見て、遅くまで励んでいたんだろうと生暖かい微笑みを投げかけてくる。
違う。断じて違うのだ。そんな甘い時間は全くなかった。
綾さんのお付きの侍女は、お疲れさまでしたという顔で目礼。彼女は知っているのだろう。嫁に出される姫のお付きの侍女だ。綾さんを長いこと御世話していたに違いない。だからこそ知っている。彼女の癖を。
二日目を終えると明日は最終日。俺の家族や一門衆などにお披露目して宴会を眺めることになる。
俺の家族はいないに等しい。父親は他界。男兄弟は僧籍に入っていて外界とは隔絶。若狭武田家に嫁いだ妹は他家の人間扱いになってしまう。その旦那である義弟の武田義統さんは、一国の当主であるため参加などしない。名代は来てくれるはずだけども。
必然、在京している身分の高い幕臣が参加することになる。
具体的には藤孝くん、三渕藤英さんの兄弟。一色藤長さんや蜷川さんなどの文官たち。それに武田信虎さんや三好義興くんなどの外様衆ながらも実力者の人たち。もちろん、実質管領と見なされている三好長慶さんもいる。むしろ長慶さんを呼ばないと、不和だなんだと騒ぎだす輩がいるので、必ず参加となる。
彼らは、初日の出迎え。二日目は主役不参加で宴会、三日目は主役を肴に宴会と非常に素晴らしいお仕事を請け負っている。義興くんなど飲み過ぎていないか心配である。
実際には、朝から晩まで飲んでいられないので、連歌などの芸事や蹴鞠、お茶会など優雅な遊びが待っている。
それに対して俺はというと……。
「上様は細川藤孝様と常にご一緒とお聞きしています。いつからの仲なのですか?」
「いつからって……。仲は良いけど何もないよ?」
「またまたぁ。うん、そうですね。ではそう聞いておきますから、いつからなのですか?」
「……幼いころから。幼馴染のように育ったよ。朽木谷に逼塞するようになってからは特に支えてもらうことが多くなったかな」
「きゃー! 恋を知らぬ無垢な少年たちが兄弟のように育ち、苦難に見舞われて仲を深める。……ぶふぉ! し、刺激が……」
「そういう言い方も出来るけども! 違うって! 何もないから!」
「世の中の恋仲の者たちは、何かあっても何にもないというのですよ」
どこ情報だ、それ。昨日聞いた限りでは、綾さんは恋愛経験ゼロ。妄想の世界に生きる純血種である。幼き頃に良くない世界に触れてしまったのか、元々の素養かはわからない。ともかく、現状はこのように至っている。
「俺は楓さん一筋だから!」
「楓さんという御方が側室になられるのですね。となると、これは三角関係というやつでは?!」
「ではない! 婚儀の最中に言うことじゃないけど、楓さんを側室にしても良いの?」
「良いですよ。武家は跡継ぎを作らねばならないのは承知しておりますし。私が産まなくても良いのなら、それはそれで助かりますから。あっ! でもここに置いていただくためならば、身体を差し出すことは厭いませんよ」
「いえ。結構です」
「ちょっと! 私のどこが不満なんですか! 確かに見た目はアレですし、性格もアレですけど!」
それって全部アレじゃないですか。
しかし、見た目は美少女なんだよな。自己評価が低いだけで。でも、なんかそんな感じにならない。不思議だ。
「綾さんは美少女だと思うけど、ちょっと違うというか」
「び、びびび美少女?! 私を巻き込んで四角関係を築くおつもりですか?! 巻き込まないでください! 私は素材を遠巻きに見ているだけで十分ですから!」
こやつ、面白い。後輩を揶揄っているような感じに近いかもしれない。だからそういう気にならないのかもな。
「素材って。でもほら、嫁さんだし。そんなおかしいことじゃないでしょ? 嫌なら実家に帰ってもらっても……」
「それはご勘弁を〜! 行き遅れに出戻りまで称号がついては、実家にすら居られません。尼寺に行かねばならなくなってしまいます〜」
「寝食は確保されてて、世俗の余計な目を気にしなくて良いし、夜伽もない。そんなに悪いことじゃないんじゃない?」
「上様は分かっておりません! 尼寺に入ってしまっては素材を眺めることすらできないではありませんか!」
だから素材って……。ただ、彼女の言い分は分かった。分かりたくはなかったけど。
その方向で考えると尼寺は良い選択肢と言えないだろう。
「悪かった。冗談だ。うちに嫁いで来てくれた以上は大切にするよ。無理に夜伽をする必要もないし、好きに過ごしてくれ」
「本当ですか! ありがとうございます。それでですね、細川藤孝様は、上様のお側を離れるのですよね。明智様が代わりとなられると」
「そういや、昨晩そんな話をしたっけ。藤孝くんには幕府のお仕事が多くなってきたから、一旦そっちに専念させることにしたんだよ」
「あぁ! 恋仲の上司から仕事を理由に遠ざけられ、離れ離れに。きっと環境の変わった職場では、新たな出会いが待ち受けていて、細川様に憧れる若い後輩から熱烈な求愛を受けることになるのですね! そして離れてしまった、かつての恋人との思い出と純粋な後輩との新しい世界との間で揺れ動くことになるのでしょう」
設定だけ聞くと恋愛ドラマになりそうな筋書きだけど、題材が俺と藤孝くんでは感情移入しにくい。いや、むしろ俺を巻き込まないでくれ。
「あぁ! 来ました! 上様、文机をお貸しください。頭に言の葉が
「どうぞ。ご自由にしてくださいな」
潤いのない初夜を終えた明くる日。つまり婚儀の二日目。俺は何とも違う意味で湿った時間を過ごしている。
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