【王】変化
第百三十八話 将軍のいるべき場所
永禄二年 葉月(1559年8月)
山城国 新御所
「遂に完成したね」
「はい。義輝様の新たな御所です」
新たに完成した御所の庭を散策している。間借りの仮御所と違い、庭も屋敷も全てが将軍のため、言い換えれば幕府のための屋敷。従って、俺が自由に歩き回れる庭が出来た。
庭を歩いてみれば、真新しい御所は木の香りをしっかりと感じられるし、植えられた庭木もまだ若く、枝ぶりはまだまだこれからに思える。
「京の都で将軍がいるべき場所か。本当は自分の手で掴み取りたかったけど、今も悪い状況ではないから良いかな」
「そうですね。昔、朽木谷のころに思い描いていた凱旋とは違っていますね。戻ってからも、三好殿に叱られ、織田殿にも叱られ。まあ、義輝様は楓殿には良く𠮟られておりますので、叱られ慣れているかもしれませんが」
「いやいや、叱られなれてなんていないし、あれは楓さんの愛情表現だから!」
「そう聞いておきましょう。私としては三好殿はまだしも織田殿の叱責を真っ正面から受け止めているのに驚きましたよ。会談の後も織田殿の言葉に心を痛めていたようですし」
信長さんが凄い人だって思うのは、俺が歴史を知っているからに過ぎない。普通に見れば尾張一国すら統一できていない守護代の当主の一人ってところ。守護の随伴で会うならまだしも、単独で会うような家格の人じゃない。
「誰が言ったかじゃなくて、何を言われたかだからね。織田信長さんの言っていたことは間違ってないし。俺としては彼のやり方は良くないと思うけど、俺自身がどうしたら正解か分かっていないのも事実だった。だから”いずれ”ばかりだって言われちゃうんだよね」
「義輝様の思い描く夢は、尊氏公の成された偉業と遜色ありません。その方法がすぐに見つかるとは思えませんよ」
ははは。と乾いた笑いしか出ない。藤孝くんの優しさが良く分かるが、自分が情けないという気持ちが消えることはなかった。
「そうだね。いつか見つかると良いなって……また”いつか”って言ってるな。早く見つけないとな。それはそうと藤孝くんには引っ越しの差配までお願いしちゃって悪かったね。政所のお仕事もあるし、そろそろ限界じゃない?」
自己嫌悪と慰めの繰り返しになってしまう話は終わりにして、疲れていそうな藤孝くんを労う。
「実は私も手一杯と感じておりました。明智殿のおかげで何とかなりましたが、そろそろ彼の者を側仕えにしても良いかと思います。今、任せている仕事程度であれば、担当する幕臣を増やせば対応できますので」
来ましたよ! 明智さん。一年半以上も近くにいたみたいだけど、気配はあれど対面する機会はなく、気になって仕方がなかったんだよね。
「遂に藤孝くんの許可が出たんだね。人柄も問題なさそう?」
「問題ありません。陰の目立たぬ仕事でも手を抜きませんし、どの仕事も卒なくこなします。側仕えを経験させた後は武将として働かせるなり、私の仕事を分担するなりどちらでも問題ないと思われます」
「何でも出来る藤孝くんがそこまで言うなら楽しみだな。藤孝くんは、いずれ戦に出たいとかないの?」
「私の希望を申し上げるなら、いずれは今まで通り義輝様のお側に戻してもらえれば」
柔らかな眼差し。彼の仕草に、ほんのり照れが混じる。それでも気持ちを真っ直ぐに伝えてくるイケメン。
――きゅんです。
「こ、ここの御所の名前はあるの?」
いけない世界に足を踏み入れそうだった俺は、露骨に話題を変えた。
「新御所の名は義輝様がお決めになってはと考えておりました。しかし、巷では二条御所と呼ばれておるようです」
「そのまんまって言えばそのまんまだけど、分かりやすいしそれで良いかな」
「では、そのように通達を。名称も決まったとなれば、後はあれですね」
「あれっていうとあれかい?」
ついに明智さんとの対面ですかね?
「はい。近衛家との婚儀です」
ですよね~。そう来るって知ってましたよ。
「やっぱりそうですよね~。仮の御所では正室を迎えられないって条件になっちゃってたから、今さら延期も出来ないし。幸いなのは、長慶さんが戦に行っているから、少し猶予があることだな。……すぐに戻るって言ってたけど」
「そんなにお嫌ですか? 昔は嫁さんが欲しいと嘆いてたではないですか」
「嘆いてなんてないよ! 欲しいとは思ってたけどさ。それに楓さんとそういう関係になってからは、逆に困るって言うか……」
「なるほど。義輝様の御心配は分かりました。しかしながら身分のある御方同士の結婚など政治的な意味合いが強いですし、夫婦仲など、そもそも有って無いようなものですよ?」
「それは一瞬チラッと思わないでもなかったんだけどね。楓さんが、そういうのは可哀想だって。公家から武家に嫁いでくるのに、仮面夫婦みたいにほったらかしにするのはどうなんだって。俺もそれには同意だからさ」
「義輝様は二人とも大事にされたいのですか? 問題ないように思いますが」
「制度上、問題ないのかもしれないけどね。あるとすれば俺の気持ちの方かな。二人を愛するっていうのがどうにもしっくりこなくて」
「二人どころか三人でも四人でも構いませんよ?」
「俺が構うよ! 真面目な話、近衛の姫様と仲良くした後に、どんな顔して楓さんと会って良いか分かんないんだよね。楓さんが近衛の姫様を大事にしろっていうくらいだから、気にしない可能性もあるけどさ。何となく我慢させちゃってるんだろうなぁって思っちゃいそうで。単なる自惚れのっていう線もあるけど」
「楓殿はそれほどに愛されて幸せですね……。私の心情としては……そうですね、やはり御正室様とも上手くやっていっていただきたいとしか」
「まあ、そうだよね。結婚したら大事にすると思うけどさ。何となく愚痴を言いたかったんだと思う。そうだ、これから婚儀に向けて忙しくなる前に、明智さんに会わせてくれない?」
「分かりました。この後、執務室に連れて参りましょう」
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