第百三十五話 摂津衆の意地

 矢合わせが始まる。

 弓の射程距離まで歩みを進めると弓足軽が一直線に並び、敵に向かって矢を放つ。

 数射の後、長柄槍を持つ足軽が突撃する。


 これが戦国時代の基本的な戦い方である。


 決まった型というのはお互いやりやすい。決まり事のようなこの流れは、基本的に皆が順守する。合戦とはこうすべきという概念があるため、違和感を持つ者は少ない。


 今回の合戦も決まった流れで進んでいく。

 突きかかった長柄槍の部隊は柵越しに槍を突こうとする者、柵をよじ登ろうとする者、それぞれいたが三好軍が優位という点だけは変わらなかった。

 初撃で破られては武門の恥とばかりに応戦していた敵方は、兵数差に焦ることなく第一陣を撃退した。


 そして、池田勢の第二陣が柵へと攻めかかろうとしたその時、突き出されたのは槍ではなく、ずんぐりとした筒だった。いつのまにか柵を守っていた雑兵の姿は消え、白い頭巾が眩しい僧体の兵に入れ替わっている。


 足の速い足軽が柵まで二十歩の距離まで近づく。槍が届かぬ間合いで落とされた火蓋。撥ね落ちる火縄。寸拍。鳴り響く轟音。独特の匂いと視界を失うほどの白煙。


 突き出された筒は成果を確認することなく、引き抜かれ、元々いた雑兵と立ち位置を変える。

 襲い掛かっていた池田勢の第二陣は、先行していた腕自慢たちの骸が地に折り重なり、その後ろを走っていた足軽は、轟音と視界不良に当惑しながら突きかかる。


 第二陣の足軽たちは味方の骸に足を取られながらも、理解不能な事象に戸惑っていたが、決まり事を遂行することで自我を保っていた。しかしながら、その動きは緩慢。柵から突き出された槍の生贄になるかのように被害を増やしていった。


 事情を察した池田長正は、武士の生存本能から退き太鼓を鳴らせた。


 その退き太鼓の音は、池田勢を救う福音となり、攻めかかっていた第二陣には死を齎す音となった。

 柵に取り付いていた第二陣は、退き太鼓を聞いて、我に返ったように退き始める。

 敵勢は柵から出ることはなく追撃は無いものと思われた。


 確かに敵勢の追撃はなかった。代わりに鉛の弾が第二陣の背に迫る。

 僧体の兵の銃口は、自陣へとまっすぐ退却する第二陣の兵を捉える。

 第二陣は長柄足軽部隊。どれだけ足が速かろうとも、火縄銃の弾の速さには敵わない。乱れ撃ちに近い銃撃は、外れることなく第二陣の背を捉えていく。


 残念ながら真っ直ぐに逃げるだけでは、射線から逃れられる訳もなく、弾が威力を失い、重力に負けるまで彼らの体を傷つけていく。

 最終的に第二陣は壊滅状態となり、無傷な者は最後尾にいた者たちくらいであった。大半の者はどこかしらから血を流している。



 その日の戦いは終結した。

 池田勢は第二陣の手当てと軍の再編に追われ、三好軍の軍議が始まったのはその日の夜であった。

 予想外の敗戦に重苦しい雰囲気が流れる。かといって、集まった以上は軍議を進めねばならない。松永久秀は雰囲気に引きずられるように重い口を開く。


「池田殿、お手前の軍勢再編は終わったのですかな?」

「ご迷惑をおかけした。すでに再編は終わり、明日にでも戦に臨めますぞ」


 池田長正の言は、言葉ほど力は無い。誰の目にも今回の損害が甚大であることは明らかであった。松永も普段であれば如才なく場の雰囲気を和ませているはずだった。

 彼にとっても火縄銃の集中運用による火力の高さに衝撃を受けていたのだろうか。


「そうは言うが、第二陣は壊滅状態と聞く。されば、この戦をどうするか皆に諮りたい」


 弱気とも取れる松永の言葉に色めき立つ諸将。真っ先に噛みついたのは、先陣を務めた池田長正であった。


「ここで退くなど言語道断! 第二陣に被害があったとはいえ、二百余り。半数はまだ戦えまする! 実質、矢を放っただけで逃げ帰るようでは摂津衆の名折れ。断固として継戦を進言いたします」


 そうだ、そうだと意気の上がる摂津衆。確かに実情は、池田長正の言う通り、矢を放ち、池田勢の数百に損害が出ただけだ。

 対して敵勢は被害らしい被害は出ていない。ここで退いては、三好軍は何も出来ずに逃げ帰ったと言えるだろう。


 しかしながら、あの火力には、その実情以上の事実が含まれている。その生きた情報を持ち帰ることは三好長慶を喜ばせるだろう。その判断が出来ている男は一人しかいない。


「摂津衆の皆様方のお力は某も良く存じておりまするぞ。ここで無理をせずとも殿の信頼を失うことはありませぬよ」

「いや! このような体たらくでは、三好殿もガッカリされよう。せめて目の前の敵の首を取らねば帰るに帰れん!」


「それが出来れば御の字ですが、実際問題あの火縄銃をどうなさる?」

「楯を並べて押し包めばよかろう! あのような卑怯者の武器など近寄ったら何も出来ん」

「次は我らも行きますぞ! 三方から攻め込めば火縄銃の狙いが付かず、すぐに敵陣を落とせましょう!」


 血気に逸る摂津衆。勝って当然。そう思い込んでいた彼らは、僧体の兵という情報に目を向けなかった。和泉国の国人衆には存在しないはずの姿形。それの意味するところを考えれば、容易に考えついたであろう。


 しかしながら、敗戦の衝撃に立ち直れないままに煽られた武士たちは、次、戦えば勝つはずという根拠の無い自信によって再び戦場へと立ち向かう。


「摂津衆は勇ましい限りですな。これで明日の勝利は間違い無いでしょう」

「おおさ! 摂津衆の底力、見せつけてやるわ!」


 人の良さそうな三好軍の総大将はその様子をニコニコと見守る。蛮勇とも言える作戦を容認した彼は、浮かれる摂津衆を横目に立ち去ると、配下に酒の用意をさせて差し入れさせる。


 戦陣のため酔うほどの量は飲ませないが、少ないながらも酒精を得て意気揚々と明日の戦へと臨むだろう。


 一人になった三好軍の総大将 松永久秀は筆を取り、主君への報告をまとめる。


「火縄銃の威力は知っておったが、数を揃えるとあそこまで凶悪な代物になるとはな。池田勢の生き残りの話では、僧体の者が火縄銃を放っていたという。安見と縁があるとすれば根来の傭兵だな」


「それにしても何とも無様な戦いになってしまった。損害ありきで押し込む戦い方など好みでは無いが、打開策が無いとなれば、それも仕方あるまい。殿に報告するにしても、今日だけの話では何の役にも立てん。明日、この戦い方が有効か摂津衆の猪武者たちに実証してもらおう。頼みの綱の木楯で鉛玉は防げぬ。根来衆の数もわからん。おそらく明日は負けるだろう。しかし、負けるにしても負け方というものがある。次に相見える時に勝てるよう、よくよく働きを見せてもらおうか」

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