【覇】畿内の火種

第百三十四話 和泉国侵攻

永禄二年 皐月(1559年5月)

摂津国 芥川山城


「久秀。出陣の準備は?」

「万事抜かりなく」


「そうか。またぞろ安見何某が蠢動しておる。和泉国へと進軍し、飯盛山城と河内国を分断せよ。然る後、飯盛山城を落として、河内国と大和国の制圧を進める」

「しかと。あやつは、大和国の筒井順慶の支援者でもあります。安見を討ち滅ぼしておけば、大和国の抵抗も下火になるでしょう」


 普段の二人の気軽な雰囲気はそこにはなく、歴戦の戦国武将が二人いた。

 昨年、安見宗房やすみむねふさが、紀伊国・河内国守護の畠山高政を追い出し、好き勝手やっていた。

 情勢を落ち着かせて、守護の畠山高政を戻す約束をしたのだが、畠山高政は安見宗房を声高に非難することもなく、以前と同様、謀反など無かったかのように静かにしていた。


 その態度が影響したのか、すぐに今までのように好き勝手始めた安見宗房。

 その結果、看過できない情勢となっていた。

 安見が巻き起こす混乱は摂津国や和泉国、河内国の国人衆にまで波及していた。摂津国、和泉国は重要な貿易地である堺を含む。ここは三好家の貴重な財源でもあった。


 それだけでなく、阿波本国との兵員の輸送などにも用いられており、京を抑え、周囲の大名に睨みを利かせる三好長慶にとって、望まぬ状況である。

 三好家の軍事、財務の動脈である摂津国、河内国に動乱が巻き起こる気配を察知した三好長慶は、事態を鎮静化すべく、松永久秀に派兵の準備を進めさせていた。


「安見何某には、さほど力は無い。しかし妖怪のように生き延びてきた知恵は侮れん。しかも、あやつは木沢長政の子分だったような男。権謀術数に長けた木沢の子飼いとなれば油断は出来んぞ」

「何をしてくるか油断はできませんな。思いもよらぬ手を用いてくるでしょう。念入りに備えておきまする」


「そうだな。それと摂津国の池田長正いけだながまさを前面に出せ。最近力を付けてきているが、他の摂津国人衆には嫌われておる。あやつを矢面に立たせれば、他の国人衆どもの溜飲も下がるだろう」

「しかし殿。池田長正は三好政長(宗渭や為三の父。三好家の分家)の血が入っており申す。殿に従っておりますが、心の内ではどうだか」


「それはもちろん承知しておる。しかし摂津国で池田家の勢力は中々のものだ。遊ばせておくわけにはいかぬし、このまま大きくなるのを放置できん」

「お考えは分かりまするが、不安にございます」


「不安はあるが、敵を前に逃げるようなことはせぬだろう。寄せ集めの安見軍相手であれば、功名狙いで勝手に戦ってくれるやもしれぬぞ?」

「それなら良いのですが……」


「大和国への抑えもある。五千ほどの兵を引き連れ、和泉国へ進軍せよ。情勢を落ち着かせた後は、安見何某の居城の飯盛山城を囲め」

「承知」


 三好長慶にとっては定石の采配。相手を圧倒する兵を用いて、威圧する。地侍などの国人衆は強い方に流れるのが常。優位に立つ三好軍はさらに膨らみ、安見軍など鎧袖一触だろう。

 そもそも畿内の人間で三好家の実力を知らぬ者はいない。反抗する者は命知らずか、時勢を読めぬ者だけのはずだった。




「出陣する」


 松永久秀の号令の下に、摂津衆を主力とする三好軍は進発した。

 和泉国は大きくない。摂津国から進めばすぐである。加えて摂津国や和泉国は起伏が少ない。川が多いことを除けば、進軍することに困難はなかった。


 常勝続きの三好軍には、余裕と風格がある。

 戦とは勝つために行うし、勝って褒賞を得られる陣営にいることこそがこの時代の武士の生き方。兵の多さからも三好家有利という判断が大多数だった。少なくとも彼らは勝ち戦を確信している。


 特に池田長正率いる池田家は、摂津国で力を付けてきている勢いのある国人衆。此度の合戦で、更なる地位上昇を狙う池田長正にとって、これ以上ない戦いだった。

 いつものように、混乱の原因たる国人衆の一つ二つを取り潰し、残りの国人衆を降す。大きな戦いに成りようもなく、ある意味予定調和と言える戦い。

 いくらか損害は出るだろうが、得られる物の方が大きい。そう思っていた。


 だからこそ、三好家の命に従い、参陣しているのだ。

 これは日常であり、過去の経験から生み出した処世術でもある。

 勝つと思うから戦える。負けるとなれば逃げる。

 自分が勝者でいる限り、合戦とは簡単なものだった。



 三好軍が和泉国に入り、形ばかりの防御陣地を作る国人衆と向かい合う。彼らは籠る城と呼べるようなものは持っておらず、館に柵を巡らせた程度でしかない。

 そのため、籠城戦を採用することはなく、野戦となる。


 端から勝てる戦ではないのは誰の目にも明らか。敵対する国人衆の陣地からも気炎は上がらない。

 三好軍の半数も及ばぬ程度の相手。三好軍では誰が先陣を切るか、言い換えれば名誉と富を得るのは誰にするかを揉めていた。


 勝って当然。だからこそ分け前を多くするために、激しく主張し合う。先陣を望む声は、そこかしこから上がる。大将の松永久秀は、その様子を興味無さげに見守り、口を開いた。


「皆様のご意思は分かりました。この場は儂にお預け願いたい。殿より授かりし采配。それを振るうのが儂の役目。先陣は池田長正殿にお任せする。本陣より貴殿の働き存分に見せていただこう」


 こうして和泉国に侵攻した三好軍の軍議は終わった。

 誰も彼も先陣を主張していたが、誰が先陣を務めるかは、全員が理解していた。摂津国衆で構成される三好軍で一番の力を持つ国人衆。順当な決定に誰も異議を挟まなかった。



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 畠山高政や安見宗房の動きや時系列を修正しました。

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