第百三十三話 三者の思惑

 名刀と偏諱のプレゼントに感激した長尾輝虎ながおてるとらさんは、しばしの間、感動に身を震わせており声を掛け辛かった。


 そろそろ良いかなと、一つ咳払いをして会話の糸口を掴む。


「そういえば、長尾殿。今晩は空いているか?」

「えっ? 今晩に御座いますか。空いてはおりますが……」


「それは良かった。今晩にまたこの御所へ来てもらいたいのだ」

「それは……、あれですかね……夜伽のお誘いでしょうか? 私は受けの方は不慣れでして……。いや、上様のお望みとあれば……。しかし全身全霊を以てお仕えすると決めた直後に戦の腕ではなく、身体を所望されるとは予想外と言いますか……」


 楓さんに似ている風貌でモジモジされても何とも言えない気持ちになる。決して可愛いとは思っていないが。早々と否定したいのに、そんな満更でもない雰囲気を出されても困るんですけど。


「…………違うからな。関白殿が貴殿と酒宴を開いてほしいと再三にわたって申し入れがあったのだ。どうも長尾殿と酒を酌み交わしたいらしい」


 普段仲の良くない関白 近衛前嗣このえさきつぐから連絡があったと珍しがって内容を聞いてみたら、長尾輝虎さんとお酒が飲みたかったらしい。

 俺に用がある訳じゃないのは予想していたけど、何度も何度も連絡が来るとその厚かましさにイラっと来る。


 いい加減、鬱陶しいので一度くらいセッティングして、もう連絡がこないようにしたい一心でのお誘いだった。あの関白のお願いのせいで追加で別方面からダメージを食らってしまった。今回は言葉足らずの俺が悪かったか。


 そんなに何度も誘ってくれと連絡してくるなら、自分で誘えばいいじゃんと思っていたけど、藤孝くんが言うには、帝の客として拝謁していた手前、臣下である関白が単独で招くわけにはいかないのでは? という推論。


 だからって俺を嫌っている関白が何度も懇願してくるというのだから、よっぽど個人的に会いたいのだろう。面倒臭そうな匂いがプンプンしている。会社の忘年会のように強制的に行かなければいけない飲み会くらい面倒臭い。今晩、突発的に仕事が入ったりしないものだろうか。


「そういうことでしたら。私も酒には目がないもので。京の酒を飲めるとあれば否が応でもありません。それと上様、私のことは輝虎とお呼び下され。せっかく上様から頂戴した名前ですし」


 ぐうの音も出ねえ……。なんか変な雰囲気になりそうだから苗字呼びのままで行きたいのに、奇麗に退路を断たれてしまった。さすが軍神。用兵に抜かりない。


「て、輝虎。では今晩にまた」

「はい」


 ちょっと頬を赤らめないでください!

 それに今晩はお仕事の飲み会のお誘いですからね。そこんとこ重要ですよ。




 とまあ、こんな感じで急遽、御座所では三者での酒宴が開かれた。

 関白 近衛前嗣、長尾景虎改め輝虎、そして俺。


 関白さんは上機嫌で酒を飲みながら、長尾さんの武勇伝を聞き出しては過剰に褒めるという流れを繰り返している。俺は、それを冷めた目で見つつ、既に水に変わった杯を舐める。


 俺が酒を飲んでいないのは、先日、義興君との酒宴で飲み過ぎて酔い潰れたため、酒を控えている。翌日は二日酔いのまま楓さんに怒られた。俺は酔うと厄介な男のようだ。


 この時代の酒はアルコールが弱いので、飲みやすいと思ってガバガバ飲み過ぎたのがいけなかったな。やらかしてしまったが、アレのおかげで義興君とは仲良くなった気がするから悪いことばかりではない。義興君も幕府献上品のお酒をたくさん飲めて嬉しかったと言ってくれたしさ。ちょっと嬉しくなって、義興君のお屋敷に何樽か贈呈してしまったほどだ。



 それはそうと、相変わらず関白の長尾さんへの興味の持ち方が尋常じゃない。これはあれだな。合コンで狙った女の子を落とそうと努力している男(関白)と、全然興味はないけど離席して逃げることが出来ず困っている女の子(長尾さん)の構図だ。

 引いて見ていると、もう諦めた方が良いと思ってしまうほどに空回りしている。


 長尾さんからは困った感じでチラチラ視線を送られるが、割って入ると関白が機嫌が悪くなるし、すぐに強引に話を割り込ませてきて無意味になるので良いことが無い。

 一体、この関白は何がしたいのだろうか。このまま負け戦を見ていても、やるせない気持ちになるなので、二人の話を整理しながら、スムーズに進むよう進行役を買って出るか。


「長尾殿は軍神と名高き武将。向かうところ敵無しであろう?」

「いえ、滅相もございませぬ」


「そんな謙遜しよるな。長尾殿の名は京にも鳴り響いておるぞ」

「いえ、滅相もございませぬ」


 うーむ。良くこの返しで話しかけ続けられるな。メンタル強すぎだろ。

 長尾さんは上洛した時に金品を献上したんだったよな。確かその時、朝廷にも献上していたって話だった。


「長尾殿は勤皇の志も厚く、資金を献上したのだったな?」

「輝虎です。確かに朝廷にも献上しましたが、幕府にも献上しておりますよ?」


「それは承知しておる」

「素晴らしいお志であるぞ、輝虎殿! 力も金もない幕府と違って輝虎殿は力も金もお持ちじゃな」


 関白をギロリと睨む長尾さん。一応、相手は帝からあずかもうした御方だよ? 

 軍神の本気睨みって恐ろしいな。そこらの武士ならブルっているだろう。関係ない俺もちょっと怖かった。しかし関白は動じていない。あれをスルー出来る公家というのもある意味感心する。


 しかしながら、やっと緩んだ長尾さんの表情が先ほどまでの能面のような顔になってしまった。関白が会話にカットインにしてきたのが気に食わないのか、勝手に輝虎呼びしたのが気に食わないのか。……まあ、両方だよな。


「いえ、滅相もございませぬ」


 もうちょっと気を遣って話してくれればいいのに。せっかく話が膨らみそうなところだったのに、元に戻ってしまった。


「長尾殿は、こちらに身を寄せている小笠原長時のために武田家との戦いを挑んでくれたりと、周辺大名のために動いてくれる義理堅いお人なのだ。長時からも聞き及んでいるぞ。その際の助力感謝する。武運儚く領地を取り返すことは能わなかったが、貴殿の心意気に感じ入っておった」

「いえ、武田晴信の侵攻には大義名分がございませんでした。それを我欲で領地を得ようなど世を乱すことに他なりませぬ。私はそれを正そうとしたに過ぎませぬ。私に力が無いばかりに、武田家を押し返すことは能いませんでしたが」


「いや、今の戦乱の世でそのような志こそ……」

「素晴らしい! 輝虎殿は武士の中の武士! 麻呂は武士は貴殿のような男でならねばと考えておった。口だけの者や、思慮分別に欠ける者。主上が武家の取りまとめとした託された源家の棟梁は凋落甚だしい。何とも嘆かわしいものだ」


 こらこら。せっかくフォローしている俺をディスるんじゃない。長尾さんも俺の仲間だし、俺のことを悪く言うと心証悪くなると思うんだけど。


「左様なことはございません。上様は戦国乱世を終わらせる御方。私はその一刀にすぎません」

「そうかの。麻呂にはそうは思えんが。戦乱の世を終わらせられるのは輝虎殿のように実力と忠誠心を持ち合わせた武士であろうて」


「恐れ多いことにございます。私など越後国内すら纏めきれぬ半端者にございますれば、上様のように日ノ本を統べる器にはございませぬ」

「日ノ本を統べておるのは主上よ。間違えるでない」


 それはそうなんだけどさ。現状は武士が政治を担っている訳だし、何より長尾さんの関心を得たいならスルーするのが良いと思うよ。

 ほら、長尾さんがちょっとぶすっとしちゃってんじゃん。


「そ、それはそうと、長尾さんは関東にも討ち入りするんだよね? 遠征続きだけど大丈夫?」

「問題ございませぬ。上様のおかげで米は潤沢。関東管領 上杉憲政様という御旗もあり、関東の諸将もあらかた味方に付くでしょう。あとは、北条寄りの武家をどう切り崩すかという点でしょうか」

「それなら容易いぞ! 関白たる麻呂が命を下せば、東夷あずまえびすなど長尾殿にひれ伏すだろうて。それには京にいるのでは都合が悪い。儂が下向して進ぜよう。越後ではゆっくり二人で話そうぞ。攻め入る計画を練る必要もあるでな」


 うわー、この人越後まで行くとか言い出してるよ。前に俺が京にいなくて将軍が務まるのかとか嫌味言われたのに、本人は京を離れるとか。

 何より、長尾さんが求めたわけじゃないのに越後行きを決定みたいな感じで話すのもどうなんだろう。関白の命令と言えば関東の諸将へ効果はありそうなのは分かる。分かるけども当人が全然嬉しくなさそうなの気が付かないのかな……。


 ちょっと長尾さん気の毒になってきたな。しかしながら、この関白の前言を撤回させるのは至難の業だ。俺なんて邪魔者扱いだしな。酒宴開いてやったのに、この扱いとは。合コンの幹事を蔑ろにすると次呼ばれないんだからな!

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