第百二十六話 得体の知れぬ

「それでは、こうしますかな」

「あっ! ちょっと待った!」


 武田信虎さんの打った一手で守るべき城門の一角が落ちた。俺は思わず待ったをかけてしまう。


 何度目かの待ったという声に、ガハハと笑い飛ばす信虎さん。


「もう待ったは使い切っておりますよ。これで上様の負けですな」

「ぐっ。仕方あるまい」


 相伴衆となった信虎さんが来てくれたのだからと、兵法の勉強をしていた。兵法にはいくつも種類があって、剣術なんかも含む。


 今回やっているのは、実際に兵を動かすシミュレーションゲームのようなもの。木箱に砂や土を入れ、架空の地形を作って野戦をしたり、模型を使った城攻めを敵味方に分かれて行うものだ。


 俺が攻め手になっても守り手をやっても、ぼろくそに負ける。さっきも攻勢の激しいところに周りの兵を集めたら、その守兵が抜けた穴を突くように攻め落とされたという流れだ。


 一度対戦を終えると、反省会という名のダメ出しを行う。俺がダメダメすぎるので、反省会をしても俺の駄目だったところの話にしかならないのだ。


「上様は過剰に守りすぎますな。それに打ち手が素直すぎます」

「過剰か。ギリギリだと落とされかねん。そう思うと多めに配したくなるのだ」


「前にも言いましたが、兵が豊富にいればそれも良いでしょう。しかし、守り手とは兵数を満足に揃えられない事が間々ままありまする。そういう時は、ギリギリ持ちこたえられる兵数を見極めねば、どこかで綻びが出てしまうのですよ。先ほどのように」

「そうは言うが、その見極めがな。攻めが激しくなれば守兵を多くしたくなるだろう」


「それが素直すぎるという言葉にもつながるのです。上様がそう思われるとともに、敵にも考えがあって兵を動かしておりまする。なぜそのように兵を動かすのか。相手の動きを見て、そこまで考えねばなりません。これは女子の扱いにも通ずるものはあるのですよ」

「わかってはいるのだがな。どうしても敵の動きに反応してしまうのだ。先ほどは、固い守りに穴を開けるために、あえて一か所を激しく攻めたということか。それと女子の件は、終わった後にでも詳しく」


 スケベ爺はこういう顔だろうという表情を滲ませながらも、真面目な講釈を続ける信虎さん。俺は興味があるだけでスケベではない。しかし俺も似たような顔をしていないか心配である。


 ぐふふ、という笑い方は、この場にそぐわないぞ。甲斐の老虎よ。キリっとした顔は渋いのに、何故そんなにだらしない顔になるのだ。

 せめて勉強会が終わるまでは耐えてくれ。


「左様にございまする。上様も人なら相手も人。行動には意思が伴い、意味を持ちまする。それを読み合うのが大将の役割」

「難しいが出来ないままにはしておけん。次は野戦にするか。手加減無しで頼むぞ」


「おや。私は野戦が得意だと申し上げておりませんでしたかな。野戦は男同士が組んずほぐれつ、ぶつかり合う熱き戦い。手加減無しで激しくいきましょう。腰を抜かさんで下されよ」

「ちょっと待った! やっぱりさっきのは無しで。それと腰を抜かすのは言葉通りの意味で取って良いんだよな?!」


「だはは! 上様は面白い御方だ。そういえば、今の待ったは野戦の時の一回分に入りますかな?」


 この待った制度。あまりにも俺が言うので回数制限がかかった。

 戦場では待ったなしだが、今はこれがないと勉強にすらならないくらい簡単に負けてしまう。だからもう少しだけ大目に見てほしい。


「い、いや。それもやっぱり無しでお願いします」


 相伴衆となった信虎さんからは、こんな感じで軍学を学んでいる。

 実際に将として軍を預けられるほど信頼関係を築けてはいないけど、こういうのなら彼の経験を心置きなく学べる。豊富な戦場経験があるので引き出しが多くて、本当に勉強になるんだよな。


 そこへ松永さんがひょっこりやってきて、当然のように座り込む。彼はガヤ要員、もしくは飲み屋でプロ野球観戦をしているおっさんだ。俺が一手打つたびに「ああ」とか「いやいや、それは」とか耳障りな言葉を呟く。


 松永さんはいつも良い香りを身に纏っていて、盤面に集中していても側に来たことに気が付く。そして存在を感じる。それがちょっと鬱陶しい。


 そう、あれだ。年を取っても身形に気を遣っているモテに妥協がないちょい悪オヤジだな。こういう人たちは、努力に見合うようにモテる。しかし、俺は決して僻んでない。決して。


「松永よ。何か用があってきたのではないか?」


 少し険のある言い方をしてしまった気がするが他意はない。決して。


「ああ、そうでした。年始に配られた書状の返書がいくつか届いておりまして。美濃国や尾張国の大名が早々に挨拶に来たいと使者が述べておりました」

「そうか。来てくれるか! 日時は任せる。儂自ら会うと伝えよ」


「良いのですか? 直接お会いするような家柄ではない者もおりますよ」

「儂の書状に応じて上洛してくれるのだ。身分云々関係なく会うのが当然であろう」


「上様の柔軟なお考えは素晴らしい。古くから仕える幕臣どもに聞かせてやりたい言葉ですな」

「儂は変わり者の将軍だからな」


「ご自分でそれを仰いますか。誰も来ないかもというご心配は杞憂に終わり何よりでしたね」

「……そうだな。とりあえず細川藤孝と連絡を取り合い段取りを組んでおいてくれ」


 松永さんは俺の様子を気にするでもなく、優雅な仕草で頭を下げて、するりと立ち去っていった。それを横目で眺めながら考える。


 手紙を出しても誰も来ないか心配するくだりの話は、忍者営業部の結界で人払いした状態で話していたはずなんだがな。どこで掴んだ?


 松永さんは石田正継さんのように、人当たりが良いので、上手く探られたか。それとも藤孝くんたちの周りに三好方の忍びが入り込んだか。


 今回の情報漏れは、そこまで重要なものではなかったから良いものの、次もそうだと限らない。朽木谷メンバーに対しては、もう少し忍びを配して防諜に力を入れても良いのかもしれない。


 だが……、先ほど松永さんはなぜ情報が洩れていることを暗に示してきたんだ?

 隠しておく方が三好家にとって得策だろうに。もしかすると、こっちの味方だって言いたいのか。いや、そこまでしてもらうほど仲良くなったとは言えないと思うんだよな。


 今回だけの件では、味方かどうかは判断つかないな。これについては保留にしておこう。

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