第百二十二話 ナイスアイディア?
長慶さんの度肝を抜くという目的のためには、どういう返しをすべきだろうか。
普通のお返しでは、会話の主導権を取り返すほどの驚きを与えられない。
と言いつつも、そもそも幕府は金も宝物も持っていない。ということになっている。
つまり返礼として渡せるものは、いつものように官位や役職しかない。
だからこそ、長慶さんは直臣に取り立てることを希望したんだろう。そこまでは長慶さんの予想の範囲内。これをどれだけ超えられるかで意趣返しの強さが変わる。
向こうを驚かせるほどのお返し。
役職をあげるのは良い。けど予想しやすいこともあって、驚きは小さいだろう。
武具や酒、貴金属。これなんかも畿内の覇者 三好家が驚くほどの物を用意出来る訳もない。
清家の里で作っている火縄銃。これは単に俺が危険になるだけで、割に合わない。
結論が出なくて困り顔で藤孝くんを見るが、この場で口を挟めるような状況ではない。ただイケメンの心配そうな顔を眺めるだけになっている。
役職と言えば、何とかしなきゃならん問題もあるんだよな。うまくここに絡めて問題解決なんて出来ないものだろうか。
さあ、どうする。そう悩みつつ藤孝くんを見つめていると、ピンと思いついた。
そうだ、偏諱を授けよう。藤孝くんたちも喜んでいたらしいし、これなら俺の権限で褒美に出来る。
だがちょっと待てよ、と考え直す。
前に教わったことだが、”義”の字は、足利の通字。だから改名する時には、”藤”を”輝”に変えた。
つまり偏諱を授けるとなれば、”輝”の字を授けることになる。
問題は、ここまでの流れを長慶さんが予想していないとは思えない。この場で俺が思い付くくらいなのだから、時間のあった長慶さんは当然に思い至っているだろう。
このまま”輝”の字を授けたところで、まだまだ長慶さんの手の上なのに変わりない。
……いっちゃうか? 予想を上回るなら”輝”ではなく、”義”の字を授けてしまおうか。でも”義”の字を授けても良いのかな。改名時には”義”を変えちゃいけないのは理解しているけど、あげるのはどうなんだろう。怒られるかな。
でも将軍を怒れるのって長慶さんくらいだろう。褒美を受け取る張本人なら怒ることも無いだろうし、大丈夫だよね。……たぶん。
「直臣にするだけでは、三好殿に報いられるとは思えん。他に役職として御供衆に任じる」
「ありがたき幸せ」
長慶さんは役職任命に少し驚いた感じだったけど、狼狽するほどではなかった。多分、これも予想していたことなんだろう。とても喜んでいるようには見えない。
いつものように落ち着き払った様子で頭を下げる。
やっぱりこれだけじゃ不十分だ。
「造営費の礼として、それだけでは足らんと思わんか?」
「いえ。過分な褒美かと存じまする」
「謙遜するな。三好殿の献身はその程度ではあるまいよ。そうだな。嫡男の慶興に偏諱を授ける。義の字を授けるので義興と名乗らせるが良い」
そう告げると、長慶さんは口を開けたまま、こちらを見ている。どっきり大成功だ。ここからはこっちのターンだぜ。
それにしても長慶さんがこんな顔するのは初めて見たな。と、得意満面になっていると、周囲のざわつきが尋常でないくらいに広がる。
あれっ? 俺、何かやっちゃいました?
いや、ふざけている場合ではない。ちらりと見た藤孝くんの顔付きがヤバい。
焦っている。顔面蒼白にしながら焦っている。事態は想像以上に深刻だ。
将軍を怒れる人がいないからと気軽に口にしてしまったが、拙いことに変わりはないらしい。長慶さんを驚かそうと思ったのに、こっちのダメージの方が大きそうだ。
「上様、ご厚情はありがたく存じまするが、宜しいのでしょうか」
全くもって宜しくないです。でも口にした以上、やっぱり止めたとは言えない。立場がある人は気軽に口を開いてはいけないんだな。言葉としては知っていたけど、身をもって実感しました。
「よ、良い。儂からの気持ちだと思ってくれ」
「ありがたくお受けいたしまする」
やっちまった。主導権争いのつもりで予想を上回る行動をしようとしたら、墓穴を掘って自爆してしまったようだ。
俺の表情を見て取ったのか、早々に立ち直った長慶さんが攻勢を仕掛けてくる。
「そこまで上様にお喜び頂いたとは思いもよりませんでした。それほどまでにご婚儀を望まれていたとは」
「いや! いや、確かに否定は出来かねるな。色々とあって正室を迎えることが出来ないまま、この歳まで来てしまったのでな」
「御心中お察しいたします」
その原因のいくらかは長慶さんのせいでしょう!
軽い皮肉だと暖簾に腕押しみたいに受け流されてしまう。挽回するにはどうしたら良いかな。一気に話題を変えて主導権を取り返したいもんだが……。
うーん、話題を長慶さん自身の褒美のことにしよう。こちらを振り回す長慶さんの性格からして、きっと授けるのが難しい役職を希望してくるはず。彼が希望するのは、俺が問題視している役職になるだろう。色んな意味で良いキッカケとなるはずだ。
偏諱でやらかしてしまった件を少しでも挽回するには、ここが大事だぞ。
「三好殿のお蔭で正室を迎えられるとなれば、長慶殿自身にも褒美を授けねばな。何か望む物はないか?」
「私自身への褒美ですか。官位は頂いておりますので、あるとすれば役職となりましょうか。しかし、手前味噌ながら私めが取り仕切る実務と見合う役職となれば、
予想通りの回答が来た。長慶さんは高位の役職を望むことで無理難題を言っているつもりなんだろう。
彼の発言の問題は、どの役職も席が空いていないということ。
管領は、細川のおっさんが任じられている。ちなみに、おっさんは細川京兆家の当主だったが、長慶さんがおっさんと同族である細川氏綱という人を担ぎ上げて、細川京兆家の当主に据えてしまった。そして、そのまま管領にした。正式な管領ではないことは誰の目にも明らかであるが、一応、形では、管領の下で長慶さんが実権を握っている状態となった。
話は戻るが、将軍が任免した管領の細川晴元と、長慶さんが任免した細川氏綱と管領は二人いることになっている。ただ、管領を任免できるのは将軍だけなので、俺が認めない限り、細川氏綱は管領とは名乗れない。
今それは重要ではないので置いておくとしても、長慶さんを管領にするには、細川のおっさんを罷免する必要があるわけだ。
長慶さんの意図は俺が再び細川のおっさんと手を組まぬように楔を打ったようにも思える。
でも、これは俺にも都合の良い発言でもあるんだ。
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