第百二十話 さぷらーいず!
永禄二年 如月(1559年2月)
山城国 二条法華堂
三好長慶さんから面会の打診が来た。
前にあったのは非公式だったので、準備などは簡易的なもので済んだが、今回は公式な顔合わせ。すでに二条法華堂は、将軍の御座所となっているので、迎える準備は幕府のお仕事。
相応の客に対する準備に大騒ぎである。
騒ぎの大部分は、長らく幕政を
朽木谷メンバーや比較的話の分かる三渕藤英さんのような幕臣は、落ち着いている。
長慶さんが将軍を追い出して、実権を握っていたのは事実だけど、幕府側にも過失は多々ある。
もちろん形式上、許されないことだが、冷静に考えると、それほど目の敵にすることではないはず。
それは民の様子を見ても、落ち着いた畿内の情勢を見ても分かる。将軍がいた頃より、畿内の情勢は良くなっているのだから。民が為政者として認めているのは、三好長慶さんなのである。
権威主義に凝り固まっている幕臣からすると、どうしても許せないようだ。
でも君たちは朽木谷に来てもいないし、そこまで将軍を大事にしているとは思えないんですけどね。
逆に朽木谷に付き従ってくれた幕臣には、俺の態度から察して、そこまで三好家を目の敵にするような人はいない。
俺の中では、長慶さん本人を敵認定できなくて、親戚の怖い叔父さんくらいに思ってしまっている。
問題は怖いの度合いで、お年玉をくれると言われても会いたくないくらいに怖いのだけれども。
それはともかく、彼の本気の覚悟に触れ、将軍よりも日ノ本の民のことを考えている偉大な人だと思ってしまったのだから、敵なんて思えるわけもない。早く彼を超える男にならねばと、日々頑張っているところだ。
そして今、俺が何をしているかというと、精神統一の真っ最中である。
あの長慶さんに会うともなれば、生半可な気持ちでは会えない。相応の精神状態に持っていかねばならぬのだ。
ペシリ。俺の右手が叩き落とされた。
調子に乗って太ももを撫でようとしたのがバレたようだ。
尻を触ろうとした訳ではないのに、強く叩きすぎではないかと思わぬでもない。
しかし、それを言ってしまってはプラチナチケットを失うことになるだろう。楓さんの膝枕というプラチナチケットを失う可能性があるなら、言うべきではない。
そう、俺は楓さんの膝枕によって精神を安定させているのだ。決して、暇しているから楓さんとイチャイチャしている訳ではない。
これは偉大で、途轍もなく恐ろしい男に会うために必要な儀式なのだ。何度でも言おう。必要な儀式なのである。
この儀式の悩ましいところは、自発的に終わらせられないことだろう。呪われた……いや、祝福されし儀式と言うべきか。
つまりは、とても幸せなのである。とても。
幸せ過ぎて長慶さんには会いたくないと思ってしまうほどに。まったく、困ったものだな。
むしろ、これに抗える男がいたら会ってみたいものだ。
「義輝様、次にその右手を動かしたら……、落としますよ」
もぞもぞと動き出す気配を感じたのか、洒落にならないトーンで氷の女王が宣言する。落とすという言葉には、様々な対象があるが、どれを取っても物騒な話である。
「落とすって何をでしょう?」
「手首か意識か。お好きな方で」
「今後のためにも意識の方が良さそうです」
「馬鹿なことをおっしゃっていないで、準備してくださいな。細川様がお越しになりますよ」
優秀なくノ一である楓さんには、聞こえるらしい。俺には聞こえない藤孝くんの足音が。
渋々と起き上がり、大広間へと向かう。
二条法華堂で客を迎える際に使用している部屋だ。
中断されたとはいえ、精神統一を済ませたことで、座に着く頃には、笑みをたたえるほどに心の余裕を持てた。
皆、頭を下げて俺のお声掛かりを待っている。
この時代は正座というのは敗軍の将が取るべき姿勢なので、令和の世で思い描く正座はしない。どんな感じかと言うと胡坐っぽい据わり方と言えば良いのか。結構崩れた据わり方だ。何でも身を守るためとかで、こういう形になっているらしい。
俺は少し見回すように、余裕をもって藤孝くんに合図を送る。
「面を上げよ」
この辺りのやり取りはお約束みたいなものだ。
頭を下げていた人たちは、一拍おいて顔を上げる。
この後、俺にご機嫌伺いの言葉を返して本題に入るという訳だ。
「上様におかれましては、ご壮健の様子。我ら臣一同、何事にも代え難き喜びにございまする。加えまして、近衛家の御息女と婚儀が相成るとのこと、重ねてお祝い申し上げまする」
「はっ?!」
やってくれたよ、長慶さん。
当事者の俺でさえ初耳の結婚が決まったとの言葉。
どこがどうなれば、当人を差し置いて結婚が決まったなどと言えるのだろうか。
せっかく精神統一してまで獲得した余裕の笑みは、どこかへ行ってしまった。
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