室町武将史 二つ名 猿飛 其の二

幕間 猿飛弥助 伝 弥助のお仕事 其の二

 将軍 義輝が相国寺にて腰を落ち着けた日のこと。

 三好長慶との会談を終え、当人は一息ついていたが、猿飛弥助は、護衛の任を他の忍びに託し、大物を追っていた。


「京の都は久しぶりだなぁ」


 今日初めて顔を見た男の行列を尾行しながら、京の街並みに目を走らせる。

 華やかな雰囲気を持ち合わせながら、陰気な気配を隠そうとしない。

 貧富の差が激しく、持たざる者は下ばかり眺め、力のあるものは先ばかり見る。そんな町に思えてならない。


 ――だから好きじゃないんだよ。


 そう独り言ちながらも、目標を見失ったり、気配を漏らしたりするようなことはない。それが猿飛弥助自身を、この歳まで生き永らえさせてきた。


 猿飛弥助は幼く見えながらも齢二十二を数える。しかし、その数は適切ではない。彼の年齢は本人も、育てた忍びの里の人間も正確には把握していない。

 そもそも、出自すらはっきりしなかった。


 拾い児なのか捨て子なのか、はたまた忍びの里の生まれなのか。

 彼の育った里では、そのようなことは些末とされ、集められた子供たちの技術だけが、彼らの存在意義だった。

 物心つく前から過酷な修行を課され、同年代の子供たちは少しずつ減っていった。

 それ以上に厳格だったのは、修行の成績である。飯も生活環境もそれに準じた。


 集められた子供たちが生き抜くためには食って体を休める必要がある。

 そのためには修行で良い成績を残さねばならない。そのためにも、たらふく飯を食い、良い環境で体を休めなければならない。



 無機質な循環が子供たちを縛り付ける。

 次第に、なぜ修行を受けねばならないのかと泣く子供はいなくなり、積極的に参加する子供だけになっていった。

 それは、全員が受け入れたという訳ではなく、受け入れられなかった子供が退場していったという意味である。


 そうした歪んだ生活を強いられた子供たちは、各々で成長の方向性が変わる。

 無口になる者、残忍な性格になる者、笑みを絶やさぬ者。


 のちの猿飛弥助は、子供であることを望んだようだ。彼は、里で一番恵まれた食生活をしていたにも関わらず、体の成長は微々たるものだった。

 他の男児は声が変わり、骨太になっていく中で、彼は女児と見紛うほどに華奢で小さかった。


 不思議なことに、体格差を物ともせずに彼は、里で一番の忍び候補生としてありつづけた。

 それは、十数年の修行の終わりを告げるまで変わることはなかったのだ。


 変わったことといえば、一緒に修行を受けていた者たちが若者になっていたことと、人数が五人にまで減っていたこと。彼自身の体も少しは成長していたが、せいぜい十二歳くらいにしか見えない。


 いや、大きく変わったことがある。

 彼は名を貰った。弥助となったのだ。

 今までは数字で呼ばれていたのだが、修行を終えた者たちには、名が与えられるのが慣例。

 彼らにとっては大きな出来事だったが、里の者はさほど感情の動きは見えない。


 それもそのはず。

 彼らに与えられた名は、里で命を散らした忍びの名を使い回しているに過ぎないのだから。

 今の弥助、前にいた弥助。かつていた弥助。

 里の者にとっては、名も数字も同じこと。対外的に目立たぬように名という記号を付したに過ぎないのだから。


 そのような殺伐とした里で忍びとして働きだした弥助。


 表働きでは、小さな体格を生かして猿の様に動きながら敵を討つ。本来であれば不利益を被るはずの小さな体格は敵の油断を誘い、確実に標的を仕留めていった。

 裏働きでは、彼の気配を掴める者はなく、潜入任務は高い成功率を誇る。


 さほど時をかけずにして、彼は里で一番の使い手となっていた。

 厳格な実力主義を取る里では、彼に里の名を授ける決定がなされる。


 弥助と。



 ※ ※ ※



「分かっちゃいたけど、護衛は念入りだなぁ」


 あんちゃん(義輝)を狙う三好長慶って男を見かけたときから、後を追って情報を抜き出すって決めてたんだ。今までは朽木谷であんちゃんを守ってやんなきゃなんなかったから、侵入してきた間者を討つくらいしか出来なくて、もどかしかったんだよな。


 でもこうやって京まで出てくれば、ちょっとくらい抜け出すのは出来る。

 だから三好長慶を追っかけてきたんだけど、尾行ついでにっとくのは無理そうかな。


 武士の警護は当然として、影警護の忍びの気配も感じる。

 まあ、おいらに感じ取られるようじゃ、大した忍びじゃないんだけどさ。そいつらを相手にしてたら長慶に逃げられちゃうし。


 だから、今は大人しくしておこうかなって。


 長慶の行列は、どっかの寺に入った。寺内はお偉いさんを迎えた時の様にゴタついている。こういう時にこそ、忍び込む絶好の機会。

 気配の薄いところを探し出して、塀を乗り越え寺内に入る。

 物陰から眺めると、人の出入りが激しい立派な建物があった。


「わっかりやす~」


 寺内の雰囲気を探ると、立派な建物に数人。境内全体には十人くらい。

 忍びの者らしき気配がするな。


 気配の薄い人と濃い人が混ざってる。


「こりゃあ長慶は纏め雇いをしたね。ありがたい」


 纏め雇いは、忍びを束ねる者に、いくらで何人という感じで雇うやり方。

 依頼主の重要度によって手の空いている者や手練れが予算内で派遣される。

 当然、腕の差があるから、こうやって気配の差が顕著に出る。


 あんちゃん(義輝)みたいにお抱えの忍び衆になると、もうちょっと均一になるんだ。

 長慶はもう少し忍びについて勉強した方が良いと思うよ。



 さて、あんまり時間もないし、ちゃっちゃと忍び込みますか。

 立派な建物の床下に潜入っと。


 床下には数人の気配。一応、気配の薄いところから順に巡って、対処していく。

 殺しておくのが手っ取り早いけど、血の匂いでバレちゃうからね。そんな時は、おいら特性の睡眠薬。吹矢でふっと吹けばイチコロさ。


 正直、寝てんだが、意識を失ってんだか知らないけど。そこは、まあ良いや。

 そのうち目を覚ますから、寝てるってことで。


 全員の始末を終えると、最後のやつを観察する。忍び装束は甲賀者っぽいな。

 手裏剣はと……うん、やっぱり甲賀者だね。


 おいらが残忍な忍びじゃなくて良かったね!

 致死性の毒でやられてたら、お陀仏だよ。だから、もっと修行しような。


 ポンポンと肩を叩いてたら、良いことを思いついた!


 せっかくだし、猿飛参上! って顔に書いてやろうかなって思ったけど……そんな暇ないんだった。あんちゃん(義輝)のために動いているのを思い出したよ。いけない、遊んでる場合じゃなかった。


 気を取り直して、人の出入りが多かった一室の下まで移動すると、背中に差した竹の棒を取り出す。

 これは、いつもの山を探検するときに振り回している棒なんだけど、朽木谷の子供たちにも大人気で、一番弟子に進呈した。すっごい喜んでくれて嬉しかったな。


 結構前から使っているから、今のが何代目か分かんないけど、新しい相棒も良い感じ。朽木谷のあいつも振り回して遊んでくれてたら嬉しいな。


 この便利な相棒を音を立てないように床板に付けて、耳を当てると音が聞こえるんだよ。すごいでしょ?


 おっ、さっそく聞こえてきたぞ。


「将軍殿のおわす相国寺にも、二条法華堂にも不用意に軍勢を近づけさせぬよう厳命しておけ」


 ふむふむ。長慶はあんちゃんを守るつもりかな?


「それと、透波すっぱどもに監視は続けよと伝えよ。無理する必要はない。向こうは手練れ揃い。数が減るのは面倒だ。命はそれだけだ。下がって良い」


 わかってるじゃないか、長慶。おいらにかなう忍びなんて早々いないんだから。


「あとは将軍殿が明日、どのような態度で来るかな。今日の初対面では、なかなか腹の据わった目をしておったが。馬鹿の一つ覚えの様に権威を振りかざすか、こちらの意図を察して話を合わせてくるか。楽しみだ」


 うーん、あんちゃん大丈夫かな。結構、間抜けだから長慶の意図なんて伝わってないんじゃないと思うけど。長慶に教えてあげた方が良いかな??

 まあ、放っとく方が面白くなりそうだから良いか!


 おやおや。炊事場から米が炊ける匂いがしてきたぞ。

 そろそろご飯の時間みたいだし帰ろっかな~。

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