【王】変転

第百三話 凱旋

 京の御座所。二条法華堂。

 室町将軍の住まいだった花の御所は長年放置されていて使用に耐えないようだ。

 ここ、二条法華堂は室町将軍が京に帰還することに相成り、急遽設えられた御座所である。


 堂内に入ると驚く。恐ろしく金のかかった調度と内装。

 用意した三好家の実力を現している。時間もなかったはずなのに、ここまで準備しているとは。それともこの展開を見越して準備していたのか。


 驚きとともに、ある種納得してしまう部分がある。

 あの人ならやりそうだと。

 そんな思いを抱きながら、藤孝くんに先導され目的の場所に向かっている。


 開け放たれた戸。中へと入る。

 俺は、正に将軍が座すべき場所に腰を下ろした。


 すると間を置かず、練習でもしたかのように揃った声で歓待の声を受けた。


「ご帰還おめでとうございまする」


 御簾で区切られた広間。

 御簾には空気を遮断できる機能はないのに明らかに温度感が違う。

 迎える側と迎えられる側。中と外。俺と俺以外。


 ――こんな物があるからいけないんだ。

 せめてもの意趣返しに御簾を上げさせる。


 見渡す広間。

 見知った顔は半分もない。


 一番手前に座るのはあの男。三好長慶みよしながよし

 そして一段後ろに三好慶興くんや一族と思われる雰囲気の似た人たち。さらに後ろに松永さんといった重臣が続く。

 辛うじて三好家の重臣と同列に和田さんや三淵藤英みつぶちふじひでさんといった幕府の近臣が座している。

 官位よりも力関係を示すかのような席次。

 この対応に文句をつけられる者はいない。


 俺の側にいられたのは、小姓役の猿飛弥助さるとびやすけと秘書官である藤孝くんのみ。

 ここにも力関係を表れている。俺の周りには最低限の家臣だけ。三好家が安全を担保しているのだから、過剰な護衛は不要だろうとのこと。

 つまるところ、実権は三好家が握り、俺がお飾りの将軍としてその上に立つ。それが現状だ。



 一体、あの戦は何だったのだろうか。

 あの戦をした結果がこれだ。幕府直轄軍は軍と呼べるほどの規模に育っておらず、火縄銃製造は軌道に乗ったばかり。硝石生産はこれから佳境を迎えるという時期に起きた戦。


 その結果、俺の力はさほど伸びておらず、三好長慶の手元に身柄が渡っただけ。

 こんな戦い方をするなら、あの時でなくても良かったはずだ。

 あと五年いや三年あれば、もっと積極的な戦い方が出来たはず。

 そうすれば朽木の爺さんも死ななくてよかったかもしれないのに。



 今でも和睦が決まった時のことを鮮明に思い出せる。

 幕府軍の誰もが信じられないといった顔をしていた。

 戦況は覆せない状況になっており、和睦についてはある程度予期していた。


 信じられなかったのは、六角家が本格的に戦うことをしなかったということ。そして和睦するにあたって、戦を仕掛けた張本人である六角義賢ろっかくよしかたが仲介役に立候補したのだ。


 つまり、俺である将軍と三好家の和睦を仲介すると言い出したのだ。

 俺を朽木谷から引っ張り出してきたのも六角家なら、幕府軍の動きを指示していたのも六角家だ。それが事もあろうに、巻き込まれた側と言わんばかりに仲介役を買って出た六角義賢。


 幕府軍の誰もが開いた口が塞がらなかった。

 和睦の話が出たという連絡とともに書状をもらったのだが、俺はてっきり和睦条件を決める許可を取るためだと思っていた。


 その書状に書かれていたのは前述の通り。

 和睦の仲介してやるから矛を収めてはいかがか、と。

 こんなやつに動かされて戦に臨んだ幕府軍。

 朽木の爺さんも、一色さんも、五百名の仲間も。

 こんな戦いで命を落としてしまった。


 こんな男のせいで……。俺は思わず書状を破り捨ててしまった。

 六角義賢は、今回の戦は俺が主導したことにして、自分は泥を被らないようにしたつもりなのだろう。六角家本隊は戦わずに静観していた形だったということもあるかもしれない。


 馬鹿正直に戦に臨み、報われることのない戦で命を散らした幕府軍。

 死んでいった者たちは何のために戦ったのだろうか。

 こんな頼りない俺のためなのか。下らない六角義賢のためなのか。

 せめて、せめて俺のために死んだことにしたい。

 あんな男のせいで朽木の爺さんが死んだなんて思いたくない。


 その時、六角家は頼るに値しないと強く認識した。



 そう思ったところで、何も状況を変える力がない俺は、勝手に進む和睦交渉の結果を待つだけの生活になった。

 その交渉は一月もかからなかったと思う。


 そうして決まった和睦の条件はシンプルこの上ない。


 ・将軍である俺は京へと帰還することを許す。

 ・国境は戦が始まる前と同様にする。


 これを以て、半年以上に渡る戦は終結。

 俺は帰りたくもない京へと帰還することになり、六角家は神輿を失った。

 和睦といっても誰の勝ちかは子供でも分かる。


 そう、俺たちは負けたのだ。圧倒的に。悔しがることすら恥ずかしく思えるほどに。


―――――――


 俺の思いなど関係ないとばかりに三好長慶さんが口を開く。


「上様のご帰還、我ら一同心よりお待ちしておりました」

「長慶よ、長きに渡って京の政務を預けてしまって悪かったな。これからは儂がしかと取り仕切ろう」


 広間の空気がピリつく。

 ここにいる大半の者には、帰ってきて早々、主導権争いをしているように見えるだろう。

 しかし、それは違う。

 これは俺の、俺ら仲間の意思表示なのだ。


 今はどうやったって長慶さんの天下は覆らない。将軍という権威を振りかざしても結果は同じ。

 だからといって、そのままで良いとは思っていない。


 将軍が将軍であるために、そして俺が望む戦乱の世を鎮めるために。

 それをわかっているのは、三好長慶さんと朽木谷のメンバーのみ。


「それは、それは。何とも心強きお言葉。いきなり交代するのでは現場が混乱しましょう。当面、お側に仕えさせていただき、折を見て領地に帰らせていただければと存じまする」


 三好長慶さん。あんたは大した役者だよ。

 この筋書きもあんたの書いた通りじゃないか。

 はっきりそう言っていた訳じゃないけど、そう思えてならなかった。


 どうしてそう思うのかって?

 それは将軍山城を降りて、凱旋準備のために案内された相国寺での出会いが原因だったんだ。

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