第九十七話 不入権

 俺が指し示したのは、将軍山城の東側。

 藤孝くんが難色を示したその場所は、近江国と山城国を遮るように、そびえ立つ山々の一角。

 かつての天皇ですら、自然災害と同列に評するほどに扱いにくい存在。


「藤孝くんの言いたいことは分かるよ。比叡山は朝廷より不入権が認められた地なんだよね。ここは補給路としてというよりは、物資を購う地として交渉しておいてはどうかな。比叡山は近江国側の町に出やすい。こっちが割増して仕入れるとなれば、彼らは儲かる。話すだけ話しておいても損はないと思うんだ」

「……まあ、我らの戦に直接関与するわけではないというのであれば、交渉の余地はありそうです。三好軍が比叡山からの輸送を襲うとは思えませんし」


 比叡山からの商隊を襲うとなれば、三好家は比叡山までも敵に回ることになる。

 自分で言うのもなんだが、幕府軍より恐ろしい存在だろう。将軍山城に陣取る幕府軍の役割は、比叡山の参戦で担保できてしまう。


 こっちとしては三好軍がちょっかいを出して、比叡山が味方に付いてくれたら御の字だけど、三好軍だってそんな馬鹿なことはしないだろうな。


「三好軍だって、あえて敵を作ることはしないだろうしね。実際すぐに買い入れるという訳じゃないんだけど、ここが包囲される恐れが出てきた時に逐次仕入れられるようにしておきたい。この交渉は滝川さん、お願いできる?」

「非才の身なれど全霊を尽くしましょう」


 こういう対外的な交渉は、藤孝くんか石田正継いしだまさつぐさんが向いている。だけれども、俺の側近として認知されている藤孝くんを使者にするわけにもいかず、石田さんは輜重隊の指揮で手一杯。


 滝川一益たきがわかずますさんなら、なんでも卒なくこなすタイプで安心できるし、彼が部隊長の幕府銃兵隊は、歩兵隊よりも使いにくい。

 歩兵隊は救援部隊を助けるために、衆目に曝したけど、あの腕前を誇る鉄砲集団は、いくら何でも拙い。

 ましてや、それが幕府直轄軍だと知られようものなら、敵味方どちらからも、いらぬ詮索を受けてしまう。


 なので、銃兵隊は鉄砲傭兵集団という感じで参陣している。そういう理由もあり、ある意味、暇をしている滝川さんなら不在にしていても問題ないという判断だ。



 残すは一つ。

 これは三好長慶みよしながやすに効果があるかどうかわからないけど、やるだけやってみようという程度の策。


「それと最後の提案は上手くいくかわからないというのが正直なところなんだけどさ。忍者営業部のみんなに力を貸してもらいたいことがある。これが上手くいけば、ここは安全になるかもしれない」

「何やら凄そうな策のようですな」


 うっ! 皆の期待の眼差しが眩しい。

 それほど突飛な案でもないし、出オチ感が半端ないぞ。

 どうしよう……もう引っ込みつかないし……。がっかりされたくないなぁ。


「いや、そんなに凄い策ってわけじゃないよ? 三好軍に将軍山城や六角家本隊に対して全力を出せないように目を向けさせたいなって思ってさ。本願寺が参戦するかもって噂を流したらどうかって考えたんだ」

「なるほど! 本願寺の本拠は大坂の地。三好家の所領の要所にあります。本願寺が蜂起すれば、かなりの痛手となりましょう」

「しかも実際に蜂起せずとも良いという訳ですな」


「そうだね。本当に動いてもらうほど切羽詰まっている訳でもないし、後ろが気になれば、東側に注力してばかりもいられないでしょ。そうすると将軍山城も六角家本隊も安全になるかなって」

「良いと思いまする。まことしやかな噂話などの放言は忍びの得意技。お任せくだされ」


 頼もしいお言葉だ。ここまで言い切ってもらえると、うまくいく気がする。

 忍者営業部の人たちって、働き場所さえ用意できれば本当に有能なんだよな。

 ここまでの戦いの流れで、諜報の不手際だったって和田さんが謝っていたけど、とどのつまり司令塔が頭を働かせていないから起きた状況だってことだ。


 ちゃんと情勢を読んで、指示さえできていれば忍者営業部の人たちが伏兵を探り出してきてくれたはず。

 上が無能だからって下に苦労かけてたら世話ないな。せめて俺の無茶振りで死なせてしまうことのないようにしないと。


「よろしく。敵地になるからさ、くれぐれも無理しないようにね」

「承知いたしました。しかし、噂だけで援軍を求めたりはせぬのですか?」


 噂よりも実態のある援軍の方が心強いのは理解している。

 だからそれも考えなくもなかったんだけど……。


「あそこはさ、正直どういう関係を結べば良いかわからないんだよね。色々あったとはいえ、幕府が任官した加賀国守護の富樫氏を自害に追い込んだりしたわけでしょ。全幅の信頼を置けるとは言えないし、本願寺顕如ほんがんじけんにょさんとも会ったことないから腹の内もわからないし。もっと言うと根本的に宗教勢力との距離感を掴めてないんだ。だからまだ時期尚早かなって」

「武士とは別の理で動いている者たちですからな。わからないというのも無理もありませぬ」


「そう。だから対外的に同盟を結んだっていう情報だけを利用して、噂を広げようかなって。これくらいなら本願寺に借りを作ることにもならないだろうし。何より不気味に思うのは、こっちだけじゃなくて三好家も同じだろうしね」


 こんな感じで本願寺を利用していく話を詰めていると、帷幕の外に気配を感じた。

 和田さんも気が付いたようで、小声で「話を終える」と伝えると、近づいてくる人たちが姿を現す時を待った。


「失礼いたします。細川藤孝殿がこちらにいらっしゃると聞き及び、こちらに参った次第。お取次ぎ願いたい」

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