第九十四話 軍議
「軍議を始める前に先に伝えることがある」
軍議が始まる雰囲気を察して、静まり返っていた場が再びどよめく。
いつもならば、藤孝くんが軍議の始まりを告げ、朽木の爺さんのような年配で家柄の良い人たちが発言していた。
俺は、軍議の終わりに、議案を承認するだけという役回り。
それを俺が真っ先に口を開くという、いつもと違うことをしたもんだから皆さん驚いたようだ。
まさに人形が急に喋り始めた時のような驚きぶり。
お飾りの人形だと思われていようと、やると決めた以上やらなきゃなんない。
それが朽木の爺さんの供養にもなるはずだから。
「これまで
ここで言葉を区切り、諸将の様子を窺う。
今のところ、現状確認のようなもので特に変わったことは言ってない。
だから皆は亡くなった朽木の爺さんたちに思いを馳せるように俯き、沈黙している。
「儂は
「せ、積極的と言われましても、上様は久方ぶりの外征。我らにお任せくだされば宜しいかと」
「某も左様に心得まする」
――何というか想定通りの反応。
もし現代で務めていた職場で信用も実績もない若社長がいきなり口を挟んできたら、不安でこんな感じになるだろうなって俺も思う。それどころか、巻き込まないでくれって思うだろうな。
だけどこのままじゃ、三好長慶に良いように振り回されていたこれまでと変わらない。
むしろ年配者の経験や助言がない分、もっと危なくなるかもしれない。
だから嫌がられようと積極的に介入する。俺の意見が間違っているなら軍議の場で否定してくれれば良い。
立場上、将軍からの下命では反対できずに言いなりになるおそれがあるんだけど、多分、今の俺の信用では基本否定から入ってくるだろうから大丈夫だろう。
むしろどうやって説得するか。そっちの方が骨が折れそうだ。
とりあえず必須の動きは事後報告にしておくに限る。
「何も皆を蔑ろにするという訳ではない。急ぎ決断が必要な場合には儂が責を負って決断する。今後の動きなど重要な案件は皆に諮る。それだけだ」
「それだけとおっしゃられても……」
「取り急ぎ、今は忍びの者に周囲を探らせておる。軍議の合間に奇襲を受けては堪らぬからな」
「なんですと! 和田よ! 周囲の警戒は我が細川勢が受け持っておるのだぞ! 我らの働きを無にするような行動は止めよ!」
俺の発言を聞き、甲賀忍びを束ねる和田さんへ文句を言う細川晴元。
和田さんに対して言っているように見せかけて、俺に対して文句を言っているのは明白だ。あれだけ奇襲を受けてきたのだから警戒を強めるのは悪いことではないのに。
それでもこういうことを言うのは、俺の行動に難癖をつけたいだけか、単純に自分の仕事を奪われたことに対する拒否反応か。
はっきりとしないが、以前も俺が主体的に動くのを嫌がっていた節がある。
おそらくその辺りに原因がありそうだ。
周りの様子を見ると、俺が動き出すことに対する否定派の急先鋒はこいつらしい。他にも宥めるわけでもなく、同情的な表情をしている者がいる。
かといって建設的な意見なら聞く気はあるが、この胡散臭いおっさんの言い分は仕事を取るなというだけ。正直、聞き入れたくない。
好きにはなれない考えだが、細川勢は幕府軍の兵数の二割を占める。無駄に対立するわけにもいかない。無下に否定できないのが苦々しい。
「管領殿。貴殿の働きは承知している。何も貴殿の働きを無にするわけでもない。忍びの者は特殊な目を持つ。念には念をというだけだ。周囲の安全を探るのに念を入れて悪いことはあるまい」
「それはそうですが……。しかし、先に伝えるのが筋ではありませんか!」
筋論で言うなれば、将軍に楯突くお前は何なんだと言ってやりたいのが本音だ。
軍議の場で将軍が家臣に気を遣って根回ししておけと言われるのが今の将軍の立ち位置。敬意も無く立場も低い。
「細川勢が城下を警戒してくれているおかげで安心して眠れる。感謝しておる」
「それはそうでしょうよ。我ら細川勢は歴戦の士を多く抱えておりますからな。各々方も安心して眠れよう」
全くその通りという言葉がチラホラ聞こえる。
細川のおっさんに追従する将が声をあげているようだ。
全体で細川派閥は二割少々といったところか。三割はいないように思える。
こういう輩に気を遣うのは、すっごく面倒。でも、やるべきことを進めるためには必要なことなんだと自分に言い聞かせる。そのためなら、愛想笑いでもしてやるさ。これでスムーズに進むなら、御の字だと自分に思い込ませる。
信用も兵力も無い人間が、他者に協力を求めて何かするなら、まず自分が下手に出なければ。
何より、まだまだ押し通さなければならない議題があるのだから。
「こうやって周囲の警戒を密にしておけば、補給も滞りなく受けられるだろう。そうしたうえで、将軍山城を城塞化すべきだと考える」
「それは悪くない考えかと思いまするが……」
「いやいや。退路が開けた以上、一旦引いて体勢を立て直す方が良策と考えまする」
俺の意見に大半は渋々同意。二割くらいは退却する方向で考えていたらしい。
こういう状況であれば、俺が言わないでも同じ流れになっていたと思う。
だからこそ、強く否定する意見は少なく、同意してくれているのだろう。
それは分かっていたが、今まで通りの何も言わないお飾りのままでは、我を通したいときに話を聞いてもらえない。
嫌がられても、馬鹿にされても今のうちからしっかりと意見を伝えておかないと。
今までの軍議の決着方法からして、どういう結論になるのか何となく分かる。
おそらく、退却を望む者たちが補給路の確保のためという名目で後方に下がり、残る者たちで将軍山城に籠るという感じだろう。
強いリーダーシップを発揮する人がいないから、折衷案を取るしかないんだろうな。
みんな、それなりの立場のある人たちの集合体で、目的や意識が統一されている訳じゃないから強制されることもないし、しない。良く言えばお互いを尊重している。悪く言えば敵より味方内の人間関係を優先している。
こんなんで、まともな
今までの戦国の戦いはこんな感じだったに違いない。
それが、三好長慶や武田信玄、織田信長のような強いリーダーシップを発揮できる武将が駆逐していったのだと思う。
そして問題は、相手が三好長慶だということ。
こんな纏まりのない幕府軍では勝てる訳もない。
大将の資質で負け、士気も連携も負けている。
この戦で何とかなりそうなのは、幕府軍が直接三好軍に勝たなくても良いことくらい。
守って負けないことが目標の戦なら、勝たなければならない戦よりは、いくらか楽だ。
守る戦いには、個の強さより集団の強さが必要。
統一された意思決定。その決定に従って守る兵たち。
地味で耐えるばかりの生活。それでも一個の集団としてまとまっていなければならない。それには強力なリーダーシップが必要だろう。
しかし今の幕府軍にリーダーと呼べる人はいない。
だからこそ。だからこそ、俺がやるしかないんだ。
将軍とは武家の棟梁。皆を導くリーダーなのだから。
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