第九十二話 見えぬ敵

 数が少なくとも救援を可能にした強き部隊。

 将軍殿は、その救援部隊を上回る強き札を切ってきた。


 ――面白い。面白いではないか。


 軍師だろうと知恵者だろうと誰が加わっていても構わん。

 久方ぶりに楽しそうな相手に出会えた。


 儂は今、笑っているだろう。

 きっと目の前にいる従叔父と同じような顔をしておる。

 儂も従叔父と同じ三好の血が流れておるのだ。

 これも仕方あるまいな。


「精兵とな。して数は?」

「せいぜい百。恐ろしく腕が立ち、大兵の猛者でした」


「どこの者だ?」

「わかりませぬ。旗は足利二つ引両。しかし、あのような精兵の噂は聞いたこともございませぬ」


 優れた軍師だけならまだしも、精兵がおるとな。

 流石にそこまで将軍殿が用意できるとは。

 奉公衆の誰かが用意していた?

 いや、それはない。

 そこまで先を見通して準備できるものなどおるまい。


 皆、今を生き抜くので精一杯であるはず。

 となると、あり得るのは軍師が将軍殿に比較的早い時期に雇われていて、其奴そやつが鍛えていたという線か。


 それは無い……とは言えんが……。

 家柄主義に囚われておる将軍殿がそこまで信任するような男を、儂が見逃していたのか。確かに忍びを用いるなど変わり始めたことは事実とはいえ、朽木谷に逃げ込んですぐに軍師が見つかるとは思えん。


 変わり始めの比較的早い時期に将軍殿に気に入られたのであれば、どう考えても相応の家柄の出であるはず。

 しかし、そのような麒麟児がいるとは聞いたこともない。


 有力大名の一族にその様な者がおらぬとすると……。

 得体のしれぬ僧に誑かされておるか。……女の線もあるな。


 何にせよ、もう一度、朽木谷での将軍殿の身辺を探らねばな。

 面白い掘り出し物が見つかるやもしれん。


「どこの家中か検討のつかぬ精兵。将軍殿の奥の手かな」

「まさか! ……いや、そうなら面白い。中々、腰の座ったいくさでしてな。久方ぶりに楽しめましたぞ」


 戦いに明け暮れてきた従叔父。

 戦いに意味を見出す人間だ。

 戦いで人の価値を見る。


「将軍嫌いの従叔父上の言葉とは思えませんな」

「将軍殿の奥の手だったら、という仮定の話にございますよ。今まで将軍殿は腰の座らぬ軟弱者。武士らしくもない武家の棟梁など認めようもございますまい」


 言葉は厳しいが、間違っていない。

 武家の棟梁が一番武士らしくないのだからな。


「まあ、それに異論はないな」

「此度は違いましたぞ。もしや軍師を雇い入れたのやもしれませぬな。物事の優先順位をしっかり見極め、必要最小限の動きでこちらの狙いを潰されたのですから」


 従叔父の言を聞き、やはりその結論に至るかと一人納得する。

 五年前の合戦では、そのような采配をする者はいなかった。


 する者と言うより、出来る者という方が適切かもしれん。

 軍を動かすには才がいる。

 味方を死なせることを厭わず、効率的に敵を殺すことを図れる才。


 もし仮に優れた軍師がいたとするならば、打つ手は慎重に選ばねばならなくなる。

 三好家の優位は一度の合戦では揺るがぬ。

 それ以上の何かが起きなければ、勝とうが負けようが巻き返せる。


 将軍殿を死なせぬために程々にあしらってやろうと思ったが、あまり舐めてかかると予期せぬ出来事が起こるやもしれんな。


 ――それはそれで面白そうな気もするがの。

 しかし、自分の楽しみより畿内の平穏が何より重視すべきこと。

 ここは堪えて堅実な手を打っておこうか。

 幕府軍は軍師と将軍殿だけで差配されているわけではあるまい。


 船頭多くして船山に登る。

 保身上手な幕臣共の心を揺さぶってやろう。


「そういうこともあり得るか。とりあえず将軍殿の覚悟の程は分かった。松永には退かせるか」

「如意ヶ嶽を放棄されるので?」


「ああ。今回の将軍殿は、いつものようにすぐに逃げ出すことはせんだろう。それに今は退路を断っている状況。自暴自棄になって玉砕されては困る」

「退路を開いて逃げられるようにしておくと」


 将軍殿よ。

 この誘惑に耐えられるかな。

 五年もの間、安全な朽木谷に籠っていた御仁。

 いくらか気骨を感じるようになったが、性根は早々変わらんぞ?

 ここで意地を見せてくれれば、少し見直すところだがどう動くかな?


 嗚呼、なぜこのように楽しいのだ。


 決して止めを刺さぬが、大将として策を練り翻弄してきた。

 手を抜かず、考えうる全ての手を打った。

 これほどの細かな采配。六角家を相手にしてもやったことがない。


 案外、儂も将軍殿に期待しているのやもしれんな。

 政治的な均衡の為ではなく、一将軍として義輝という男に興味を持ってしまっている事実。


 それは朽木谷を探らせている透波すっぱからの報告を聞くたびに度合いが増してきたように思う。

 朽木谷に籠ってからのあやつは、あれほど執着していた身分制度を無視するかのように忍びの者を重宝し、手足の如く使っているという。

 甲賀出身の和田惟政を側に置いていることからも間違いないだろう。


 追従ばかりしている文官どもを遠ざけ、和田のような有能な男を側に置く。

 今までにない行動。何がそれほどに変えたのか不思議で仕方なかった。

 興味を持てば試してみたくなるのが人の性というもの。


 将軍殿を息子に見立てて育てようとしている自分に気が付いたのは、いつの頃だったであろうか。

 このいくさが始まってから、より強くなった気がする。


 つまらん傀儡将軍より、よっぽど良いぞ。

 儂の期待を裏切らんでくれよな。

 まだまだ、いくさはこれから。


「本人は意地になっても幕臣共は、臆病風に流されるやもしれん。いつものように幕臣に振り回されて逃げ帰るかもしれんぞ?」

「殿は意地が悪い。そうなるように裏で唆すのでしょう?」


 口だけは達者な幕臣共をどこまで御せるかな?

 将たるもの、譲れぬところを譲っては組織を纏められぬもの。

 さあ、将たる片鱗を見せてくれ。


「さあて。儂はここにいるのでな。将軍山城まで声は届かん」

「そう聞いておきましょう。では儂はこれにて。松永には如意ヶ嶽を放棄して、こちらに合流するよう伝えておきます」


 頼む。そう告げると自分の世界に籠る。

 嗚呼、胸が高鳴る。やはりいくさは良い。

 力の全てを用いて敵と向かい合う。

 それは純粋で飾り様のない美しさを孕む。


 楽しむのは良いが、いくさの終わりにいつも苦労するのだがな。

 さあて、今回のいくさは、何処を落とし所としようかの。

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