【覇】相見えぬ男
第九十一話 結末
永禄元年(弘治四年) 水無月(1558年6月)
山城国 東寺
釜の湯が沸き、水の音が変わる。
閉じた瞳を開けば、薄雲が沸き立っていた。
儚げに揺れる薄雲は、朧のように掛け軸に纏わりながらも消えてゆく。
儚き薄雲は、この世に何を残していったのであろうか。
翻って、人とは何を求めて生きるのであろうか。
意味のある生。
意味のない生。
人の一生に意味や価値は誰が決めるのであろうか。
この一碗の茶ですら人を安らがせる。
それ程のことが出来る人はどれだけいるのだろうか。
緊張を孕む小姓の足音。
松永を側においていた頃は、足音すら楽しげであった。
「
「着いたらこちらに来るよう伝えよ」
小姓は頭を下げて離れていく。
最低限の会話。小姓との会話はこの程度。これが普通のこと。
その普通の生活に飽いた自分がいる。
気心知れた仲間と兄弟。
それだけで充分だった。
それだけが幸せだった。
「殿。如意ヶ嶽より戻りましてございまする」
離れていった意識がゆったりと戻る。
「ご苦労。上手くいったようだな」
「殿のご慧眼、凄まじく。ほぼ殿の読み通りに推移いたしました」
「ほぼ、とな?」
「さよう。最後の最後で将軍殿が意地を見せた格好にて」
頬が緩む。
あの将軍が意地とな。
朽木に籠もって男を上げたか。
「詳しく聞こうか」
「おおよその動きは殿の想定通りにて端折りまするが、松永が如意ヶ嶽を占拠した後、若き幕臣を中心として別働隊が奪還に動きました。焦っていたのか警戒は散漫。すぐに如意ヶ嶽に攻めかかり、前がかりになったところで西から松永の伏兵が急襲。敵本陣は壊滅一歩手前と相成りました」
「そこまでは問題無いな」
「はい。しかし、思いのほか早く救援部隊が将軍山城を出陣。敵ながら見事な働きで伏兵部隊を打ち払いましてな」
今までと違い判断が早い。
いつもなら、打つべき時に手を打てず、後手後手に回り押し切られてきた。
何が変えたのか、何か変わったのか。
しかし儂の策は、そういう動きも想定済み。
早かろうと遅かろうと結末は同じになる。
「であれば、お主が将軍山城を突けたであろう」
「しかし、そうとはなりませなんだ。救援部隊は百程度の小勢。将軍山城には三千を超える兵を残していたのでございます」
「ほう。肝の据わった采配ではないか。別働隊の本陣を助けるのにギリギリの数。下手すれば、救援部隊も壊滅するかもしれんぞ」
「驚くのは、まだお早いですぞ。その采配を見た儂は、将軍山城を諦め、五百を東より襲わせることにしました」
「松永の伏兵の反対方向から再度急襲する狙いだな」
「ええ。松永の兵を追い払って一息ついたところで、襲いかかれば別働隊の大将の首を取れると踏んだのですが……」
将軍山城が狙えぬのであれば、儂でも同じように動かす。
長逸の判断に間違いはない。
「次善の策としては上等だと思うがな」
「どうやら幕府軍の忍びに伏兵を嗅ぎつけられ、退き太鼓を鳴らされてしまいました」
将軍山城を獲らせるまでの動きでは翻弄できたが、そのあとは周囲を探らせていたか。
やはり誰か知らぬが、別の者の意思が入り込んでいるように思える。
著名な軍師でも招いたか。
儂の情報網には引っかからなかった。松永も特に何も言っていなかった。
となると、違うのか……。
長逸の話とは別のところで疑問が膨らみ、こめかみに手を当てる。
幕府軍に知恵者と呼ばれるような武将もいなかったはず。
有能な武将はほとんどこちらに引き入れている。
儂が知らんとなると、将軍独自の動きで畿内から離れたところで人を集めたか。
こめかみをトントンと叩きながら、深く沈む。
幕府の正当性と知恵者が結び付くと厄介だな。
己の欲を満たすために将軍を利用しているならまだ良い。
青臭い理想に燃える若造だと、なおのこと厄介だ。
理想論で畿内の秩序を維持することは出来ない。
もし、そんな輩がいるのであれば、確実に排除するしかなかろうな。
それにしても、取るに足らぬと思っていた幕府軍が中々どうして。
儂の策を破ろうとするとは。
幕府軍の力を上方修正せねばなるまいな。
したところで大した差はない。大きく見積ったところで相応の対処をするだけだ。
長逸の話を聞いている限り、活きの良い獲物という程度だろう。
脅威ではない。
「ふぅむ。見つかったのは惜しいが形としては悪くないだろう?」
「そうなのです。退却路に網を張って待ち構えておりました。松永勢も中々の戦上手。しっかりと追い立て、こちらの網に追い込んできました」
段々と楽しげに話し出す長逸。
合戦が三度の飯より好きな
今回は満足する戦いだったのであろう。
戦う気の無い相手と対峙してくると機嫌が悪くなって帰ってくるから分かりやすい。
しかし、話し振りからして、盛り上がり切ってはいないようだ。まだ何かあるな。
「であれば、それで投了のように思うが?」
「儂もそのように読んで包囲を狭めておったのですが、恐ろしき精兵に背後から急襲され、網を食い破られ申した」
精兵とな。
数の少なき救援部隊。
これを任せられるのは、信頼のおける主力部隊だろう。
だと言うに、場を見切った采配をして、なお、まだ手札を有するか。
それも救援部隊を上回る強き札を。
面白い。
頬が上がってくるのを感じる。
強き兵の話を聞いて心躍るとは。
どうやら儂も武人のようだ。
久方ぶりに楽しそうな相手を見つけた気がする。
最終的な布陣と動きの合戦図となります。
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