室町武将史 馬と歩む者

幕間 小笠原長時 伝 信濃四大将

 青草が揺れる。

 風は草原を駆け巡り、奔放さを隠そうとしない。


 同じように草原を駆ける馬たちはじゃれ合いながら、思い思いに走りまわる。

 しかし牧で暮らす馬は自由に見えて自由ではない。


 人の業を背負わされ、地獄へ道連れにされる。

 本来は風のように自由に駆け巡る生き物が何と不自由なことか。


 父、小笠原長棟おがさわらながむねは偉大な男だ。

 百年ほど前に分裂した小笠原家を統一し、信濃に平穏をもたらした。


 跡目争いの結果、三家に分裂してしまった小笠原家。

 離散集合を繰り返しながらも、一つにまとまり切れずにいた。

 それをまとめ、かつての信濃守護の力を取り戻しただけでなく、諏訪大社 大祝おおほうり(諏訪神社頂点の役職)である諏訪 頼重よりしげと講和し、隣国との関係も改善させた。


 武勇、知略、まつりごと

 全てに秀でていた亡き父。

 そして我が師。

 父でもあり、師でもある小笠原長棟から弓馬術礼法とともに、信濃の地を引き継いだ。


 我は牧の馬の如く、枷を嵌められてしまった。


 静かな世界に入り浸り、ただひたすらに的を射る。

 その場だけは、自分だけの世界だった。

 作法などは意識せずとも身体に染みついている。

 ただ的を射る。それだけで良かった。


 馬と一体になるのも悪くない。

 まるで自分が草原を駆け抜けているような爽快感。

 しがらみを振り解いてどこまでも駆けていけそうな全能感。

 心が通い合い、曲がるも止まるも思いのまま。


 駆けよ。駆けよ。ひたすら真っ直ぐに。

 我らを縛る柵など飛び越えてしまえ。

 自由で力強い本来の姿のままに。

 我と共に。自由な世界へ。



 願いは虚しく、馬は柵の前で足を止める。

 馬も自分も飛び越える力はあるのに、飛び越えられない。

 それが自分たちの限界のように感じる。


 しがらみを嫌うが、捨て去るほどの勇気もなく、鬱憤を溜めては、弓や馬に逃げる。

 人と人の営みというものはどこまでも面倒で纏わりついてくる。

 重代の信濃守護という肩書は、一個人の考えとは関係なく、次世代に承継していかねばならぬ重石である。

 その重さは、代々の当主が背負い、そして、積み増してきた重さである。


 小笠原という家に誇りを持っている。

 しかし、自分がそれを背負える器でないという思いもある。

 我は馬と共に生きていければそれで満足なのだ。

 いっそ、厩番として生きていくのも悪くない。

 息子や弟に家督を譲り渡してしまえれば……。

 そう考えなくもないが実行できない己の小ささよ。


 渡された者は、さらなる重石を背負うのだろう。それを承知で投げ出してしまってはならぬと叫ぶ自分がいる。やはり、しがらみというものはどうにもならぬ。



 天文十四年(1545年)同族である甲斐守護の武田 晴信はるのぶ(信玄)が信濃侵攻を開始した。

 南信濃の伊那郡を拠点とする高遠家と娘が嫁いでいる藤沢家が狙われた。

 甲斐一国を統一した武田家に敵う訳もなく、高遠城は陥落、余勢を駆って藤沢家の城に攻め込んできた。


 我は、兵をかき集め救援へと向かうが、今川家と北条家の援軍を得た武田家に負けた。

 落ち延びてきた娘婿である藤沢頼親とともに領地へと逃げ帰る羽目になった。


 武田家は伊那郡を抑え込み領地化を進めていく。

 それの目途が立ったのか、天文十七年(1548年)には、小県郡へと侵攻。

 村上義清の籠る砥石城へと攻めかかった。


 しかし、村上義清は稀代の戦上手。小笠原家が歯が立たなかった武田家を押し返すどころか痛撃を与え、重臣も含む多くの武将を打ち取った。

 反撃の機運高まる信濃では、多分に漏れず小笠原家も反撃に移る。

 娘婿である藤沢頼親の失地回復を謳い、兵を募った。


 此度は負けぬよう兵を掻き集められるだけ掻き集めた。

 林城から南進し、武田家に占領されていた諏訪の地を開放。

 甲斐国と諏訪国の境にある要所 塩尻峠に布陣する。

 武田家は予想に反して動いてこなかった。


 此処の要所を押さえていれば、反武田の機運が高まる伊那郡を取り返すのは容易い。

 待っていれば、熟れた果実の如く我らの手に落ちてくる。


 しかし、理解できぬ人間が出てくる。

 要所を押さえ、待てば良いだけの状態であるのに、積極的に侵攻し伊那郡を奪い返すべきだと主張する強硬派が台頭してきたのだ。


 無理して兵をかき集めたことが裏目に出た。

 対陣しているだけでは武功は上がらぬし、糧食は減っていく。

 目に見えた戦功を欲する者たちと、旧領を荒らしたくない者たちで諍いが起きるようになってきた。


 理解できぬのは、強硬派の筆頭が我が舅である仁科盛能にしなもりよし、穏健派の筆頭が我が娘婿である藤沢頼親ふじさわよりちか

 親族同士ですら纏まれぬ醜い争いが繰り広げられ、なんと仁科盛能が強硬派を率いて離脱。


 敵と戦う前に味方同士で争うこととなり、兵を損じてしまった。

 圧倒的優位と見られた小笠原軍は、兵が減ったことと、家中を纏めきれぬ当主に失望したようで、目に見えて士気が下がってしまった。


 戦う前から厭戦気分が漂う。

 やはり人が集まると度し難い。

 分かっていて何もできない我も度し難いのだが。


 その後、動きの見せなかった武田軍が、早朝になって奇襲を仕掛けてくる。

 士気が下がった小笠原軍は、それを察知できず、蹂躙されるのみ。

 相手がどれだけ居たかもわからず、味方がどれだけ残っていたのかも定かではない。

 我は敗走を余儀なくされ、林城へと逃げ帰った。


 それからというもの、小笠原家の支城は次々と落とされ、林城は裸城同然となっていった。

 今思えば、その時、城を捨て逃げれば良かったのだ。

 伝統を嫌い、しがらみを嫌っていたのに、自分で切り捨てられなかった。

 惨めにも居城に拘り、みっともなく縋っていた。


 そして、あの日。

 武田本隊が我が領内に侵攻してきたことで、居城を捨てざるを得なくなった。

 一度は村上義清を頼って、武田と戦ってみたがどうにもならず。

 我は父祖伝来の地を捨て、流浪の旅へと出たのだった。

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