第九十話 生き様

 自ら死に進み行く人を止めるにはどうしたら良いのだろうか。

 現代で考えもしなかった難題に答えは出ない。


 思うのは死んでほしくないという純粋な気持ちだけ。

 助けたいと願う人は、身を粉にして奮闘している。

 倒れ込む兵が増える救援部隊。

 その人が、いま倒れた兵でないことを祈り、また祈る。

 俺は安全な城にいる。出来ることは櫓の上から彼らの奮闘を見守るのみ。



 俺の想いを託した部隊が恐ろしい速度で山道を進み、敵の背を視認したのか三叉の矛のように分かれた。

 左右の刃は斜面へと駆け入り、殺傷範囲を広げる。

 分厚く拵えた中央の刃は、前後二段に分かれ三好長逸勢の背後から襲いかかる。


 鎧袖一触。


 前後二段が入れ替わるように突撃を繰り返し、押し退けれられる三好長逸勢。


 幕府歩兵隊を止められる者はなく、退路が切り開かれていく。


 背後からの急襲を受けた三好長逸勢は、新たな敵に向き合おうとするが、左右に別れた矛の刃がそれを許さない。

 なんとか背後の敵に向かい合おうとした三好長逸勢を横撃する。


 決まりかけていた情勢はこれで決した。

 三好長逸勢の鶴翼は中央部が消え去り、囲い込む両翼は効力を失う。



 前が開けた別働隊は、気力を取り戻し将軍山城に向けて進み出した。

 先陣として戦っていた救援部隊は誰ひとりとして自力で走れる者はいない。幕府歩兵隊に肩を借りる者、肩に担がれる者、その場に遺される者。


 文字通り、生者は進み、死者は立ち止まる。

 百名の幕府歩兵隊は二十人余りが味方を抱え、残りは左右を護衛しながら駆け戻っている。人を担いでいても別働隊と距離が詰まることはない。


 むしろ、速度を調整して別働隊とバラバラにならないように気を使っているようにも思える。千百余りの幕府軍は一丸となって戻る。


 ――もう襲って来ないでくれ。


 その願いが通じたのか、退却する幕府軍を足止めしてくる敵は出現せず、将軍山城に戻ることが出来た。



 幕府軍の拠点、将軍山城へと雪崩込む別働隊。

 俺は櫓から駆け下り、幕府歩兵隊に抱えられた救援部隊の下へと向かう。

 戻ってこれた救援部隊は少なく、彼は折良くこちらを向いていたため、すぐに見つかった。


 彼は礼法に則った跪座きざのように爪先を立てて正座をしていた。

 そして項垂れたまま、ピクリとも動かない。

 全身血に塗れ、鎧の小札はところどころ失くなっていた。兜すら無い。


「爺さん! 戻ってきてくれてありがとう!」


 俺の声に反応した朽木の爺さんは、重たそうに顔を上げて俺を見やる。


「おお、これは上様。またご尊顔を拝謁できるとは思いもよりませんでした」

「何言ってるんだよ! でもまた会えて良かったよ」


「ふふふ。上様は相変わらずお優しいですな。儂のような老いぼれになど会えたところで喜ぶようなことではございますまい」

「そんなことないさ。朽木谷に爺さんがいてくれてどれだけ助かったことか」


「それは、何ともありがたいお言葉。歴代の将軍様に仕えてまいりましたが、そのような温かいお言葉を頂戴したのは初めてですな」

「朽木谷に籠もってからは、いつも味方になってくれたね。変なことしてても笑って許してくれていたし」


「失礼ながら、孫を見る目で見ておりましてな。何かにつけて挑戦しては失敗して落ち込んだり、さらなる不可解な行動に出たりと見ていて微笑ましく思っておりました」

「確かに爺さん、爺さんって甘えてたかもな。本当の爺さんって訳でもないのに」


「ああ、孫の元綱には可哀想なことをしてしまった。我が息子が戦死し、儂が幕府に御奉公に出ていたせいで、二歳で家督を継がせ、当主の役目を押し付けてしまいました」

「俺が朽木谷に行ったときには五歳くらいだったっけ。しっかり挨拶していた出来たお孫さんだったね。それがもう十歳。立派な武士の顔付きになってきたよ」


「上様にそう仰って頂けるとはありがたい。先代様の御為に戦った息子も鼻が高かろうて」


 爺さんの目線は遠くを見るように、俺の顔から逸れていく。

 まるで朽木谷を眺めるかのように。


「どうだ、息子よ。儂は当代様の御為に戦ったぞ。若い者にはまだまだ負けられんわ」


 爺さんにだけ見えている亡き息子さんとの会話。

 彼の穏やかな表情に誘われて、俺の顔も緩んでいく。


 ――グフッ。

 突如、むせ返った朽木の爺さん。


「どうした、爺さん?! 鎧が苦しいのか?」


 俺は急いで脇差しを抜くと、肩上わだかみや引合緒などを切った。

 鎧を脱がすのに邪魔になった脇差を転がし、両手で引き剥がすように掴む。


 しかし、鎧を脱がすことが出来なかったんだ。

 何故なら朽木の爺さんの左腰には、折れた槍の穂先が突き刺さっていたから。

 そして、その事実に手が止まってしまったから。


「もう良いのです。すでに立っているか座っているかすら分かりませぬ。今、わしの目に映るのは朽木谷の山々。別れは済み申した」

「そんな事って……」


「戦で死ぬのが武士の常。むしろ畳の上ではなくて、清々しましたわ」

「……死ねば良いってものじゃないよ」


「左様。だからこそ死ぬ意味を見出すのです。遺されし者たちが、進むであろう道を信じて」

「…………」


 俺は何も言えず、爺さんを抱き締めることしか出来なかった。

 でも爺さんの腕は俺を抱きしめ返すことはなく、されるがままになっていた。


「願わくば……願わくば、孫の元綱が、年相応に笑って暮らせる世になることを。上様、不敬を承知でお頼み申す。元綱や朽木谷の子供達のこと、お願いしても宜しいか?」

「……任せてよ。朽木谷の民や元綱も。それだけじゃない。日ノ本全土の民が笑って暮らせる世を作ると誓うよ! その為になら、なんだってするさ!」


「やはり上様はお優しい。そのお優しさで、荒れた人心を癒やしてくだされ。戦国乱世には上様のようなお優しさが必要……」


 朽木の爺さんこと、朽木稙綱は逝ってしまった。

 泣きじゃくりながら、抱きしめる俺の腕の中で。


 見かねた藤孝くんに引き離されるまで抱きしめていた。俺は、その時になって初めて逝ってしまった爺さんの顔を見た。

 その顔は、慈愛の心を表す菩薩様のような顔だった。

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