第八十四話 将軍山城を巡る戦い

山城国 将軍山城


 幕府軍の焼き働きの結果、城の西側が焼け野原となってしまった将軍山城。

 城内に焦りの色はなく、当初の雰囲気がそのままに残っていた。

 それは、どっしりと構える守将の余裕が伝播しているように思えた。


 その城に焼け野原を迂回してきた騎馬が駆け込む。

 城内に乗り入れた甲冑武者は馬を預けると、母衣と旗を外し、城館に駆け入る。


「松永様! 松永長頼様は何処いずこに!」

「おう! こっちだ」


 太い眉、濃い髭面。髷はずんぐりと太く熊のような相貌。

 兄のしなやかな体躯と似ても似つかぬ男は、快活に己の所在を告げる。

 備蓄を確認していたのか、そこには米俵や味噌桶が並ぶ場所だった。


「殿より書状にございます」

「ん? 兄者からではなく殿から? 何か良からぬことがあったか……」


 不測の出来事が出来しゅったいしたかと奪い取るように受け取った書状を開き読む。

 次第に書状を掴む指に力が入り、皴が付いていく。

 そして感情のままに主君からの書状の内容について声に出してしまう。


「なっ?! この城から退去して本隊と合流せよだと?! 腰の座らぬ将軍が率いる幕府軍など二千どころか千でも充分。儂だけでも、しかと防いでやるわ! それを何故、退かねばならん!」


 主君、三好長慶みよしながよしから届けられた書状を踏みつけんばかりに地団太を踏む守将の松永長頼まつながながより

 家臣たちの目もあり、実際に書状を地面に叩きつけるようなことはしないが、それでも、そうしたいのだろうと理解できるほどに怒り狂っていた。


 憤懣ふんまんる方無いとばかりに物に当たり散らす松永長頼。

 周囲の家臣たちは止めることもなく見守るのみ。

 しばらく当たり散らしていると怒りが収まったのか、鼻息が落ち着いてくる。


 落ち着きを取り戻してきた松永長頼は、さきほどの行いが嘘のようにスッキリとした顔で家臣に告げる。


「城を出て、六角家と対峙している本隊に合流する。準備せい」


 床に飛び散った味噌。それを気にもせず踏み歩いて出ていく守将。

 指示を受け、各自が動き出す家臣たち。慌てるでもなく、粛々と退却の準備を進める。



 ――――――――――――――――――――――――



「御注進! 御注進!!」


 定例会のように集まっていた軍議の場に、血相を変えた使番が二人も飛び込んできた。

 穴熊の計が一定の成果を上げたことで、和やかというか、まったりとした空気が漂っていた諸将に緊張が走る。


「その場で報告せよ!」


 一色さんが、まどろっこしいとばかりに大声で命ずる。

 使番の一人は、本陣に駆け込み片膝を付いた体勢から顔だけ上げ、間髪空けずに応じた。


「物見よりご報告。将軍山城の三好軍に動きあり! 退却の準備をしているように見受けられるとのこと!」

「同様に物見櫓からも同様の報告が上がっております!」


 二人目からの報告も同じ内容を告げるものだった。

 諸将は、おぉっと声を上げ色めき立つ。

 三好軍が将軍山城を退去すれば、こちらの目的は達成できる。


 あまりに話が簡単に進んでいるような気がしてしまうが、このまま火計を続けられれば、逃げ場も無く無駄死の可能性もある。城に籠っていられるから、五千の幕府軍と対峙していられる。

 城が無くなれば、半数以下の二千で戦う羽目になる。そうなれば、よっぽどのことがない限り敗北するだろう。


 そうやって考えていくと、早めの決断は英断なのかもしれない。無駄に兵を失うこともなく、こちらの足止めも出来た。幕府軍が将軍山城を奪い取ったところで、こちらが陽動部隊なのは兵数を見ても明らか。


 役割からして城から出撃して三好軍の本隊に攻撃を仕掛けることはないだろう。

 六角軍本隊とうまく挟撃できれば効果は上げられそうだが、タイミングをミスると寡兵で大軍に突っ込むことになる。

 そもそも俺が死ねば、六角家は大義名分を失う。そうやって考えてみると、やはり城に籠るだけで終わるか。


 そこまで思いを巡らせれば、一旦体制を整えて仕切り直しというのは良い手なんだと思う。ただ、決断の速さに驚きを感じる。

 こうやって動き出してから、答え合わせをする分には何となく理屈が付けられる。

 でも、相手の意図がハッキリしない中で、これほど大胆に決断できるすることが俺に出来るのだろうか。


 改めて三好長慶さんの大きさを感じずにはいられない。

 そんな風に自分の世界に入っていたら、軍議の場は白熱した空気に変わっていた。


「いや! 追撃は不味まずかろう。穴熊の計で燃え落ちた西側は進みやすくなっている。こちらが追いかけているのも丸見えだ。三好軍の別動隊がいれば、横撃を受けるかもしれぬ」

「しかしですな! こちらは五千。あちらは二千。むざむざ見逃す手はないでしょう!」

「向こうは寡兵といえど無傷だ! 追撃して逆に奇襲を受けては、陽動の目的すら達成出来んではないか! 何より、ここでいくらか敵の首を取ったところで三好軍は痛くも痒くもないぞ。そんな状況で危険を冒してどうする?!」


 あまりに好機と見える状況に追撃で勝ちを得たいと考える者、しっかりと陽動の役割を果たそうとする者、大別すると二者に分かれるようだ。

 三好長慶の狙いはこれか? いくらか戦って退いていくなら、追撃に移りやすい。

 でも今の段階では、三好軍に損害は無いし、向こうが主導権を握っている。


 こちらは三好軍の動きの意図を掴み切れず、こちらが疑心暗鬼だ。

 こうなると一か八かの決断をしにくい。こちらも無傷で、まだまだ序盤。無理に勝ちに行くほど切羽詰まっていない。伸るか反るか、大きな決断をするには確信が欲しいところ。

 なのに向こうが先に動いてしまったので、こちらの準備は整っておらず、決断のタイムリミットだけが迫る。


「御注進! 三好軍が将軍山城に火を放ちました!」

「なんと……。三好軍は全軍退去したのか?!」


「はっ! およそ二千の兵が城を出ました! しかし輜重隊を引き連れているため、動きは遅いようです」


 三好軍に更なる一手を打たれてしまった。

 まだ城を退去していく三好軍への対応すら決まっていないのに。

 遠くにいる三好長慶に良いように翻弄されている。


「なんたること! 将軍山城は京を牽制するのに格好の場所。城館が焼かれては、今後、こちらの防備が損なわれる。そんな場所に籠ったところで三好軍に襲われてはひとたまりもないぞ!」

「早く将軍山城を接収し、火を消し止めねば!」

「そんな! 逃げる三好軍への追撃はどうなさるのです!」


 城は欲しいが追撃もしたい。落ち着いてゆっくり考えていては、退却している三好軍に追いつけなくなってしてしまう。かといって三好軍を追いかけていては、籠る城が焼け落ちる。どっちを取るか、どっちも取るか。

 となると、幕府軍の諸将の立場を考えれば……


「仕方あるまい。半数は城を接収して消火作業をせよ。残る半数は追撃。しかし深追いはならん。見通しが利くところまでで止めるように。朽木殿もそれで宜しいか?」

「それしかなかろうな」


 中途半端な両取り。良く言えば折衷案。

 おそらく将軍山城は、手に入るが城の修繕に時間がかかるだろう。

 それが落ち着くまでは牽制の効果すら怪しい。


 こっちは策を講じて良い気になっていたが、向こうは一枚も二枚も上手。

 兵は損じていないが、負けた気分だった。



※今回も近況ノートに合戦地図を掲載しております。

https://kakuyomu.jp/users/rikouki/news/16817330658327300667

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