第七十話 息子自慢
摂津国
「関白様は私を買い被られておるようですな。改元に口を挟むなど身に余る行い。私めに申し上げることはございません」
「それはそれは。日本の副王と呼ばれる御方が何と弱気な。生真面目な筑前殿と思っていたが、存外冗談がお上手なこと」
「…………」
「ふん! まあ良いわ。何事の体裁というのが大事なのでな。目的は達成しておる。後は物見遊山でもしながら帰ることとしようぞ」
相変わらず回りくどいことを言う。いけ好かない若造めが。
家柄だけで関白になった男が自分の力だと錯覚しておる。
その言い方、おそらく京では今回の改元話を儂と相談のうえで決めたと吹聴するのであろう。
儂が乗ろうと乗るまいと結果は変わらぬ。
「くれぐれも道中はお気を付けくださいますよう」
「なんの。筑前殿の領地で危険などあろうはずもない。麻呂は筑前殿に期待しておる。いつか、あの体たらくな幕府を打ち滅ぼしてくれるとな。くれぐれも日和ることの無いようにの」
この青瓢箪めが。最近は幕府嫌いを隠そうともせん。先代将軍より賜りし名を捨て、勝手に名を改めおって。幕府同様、公家連中の動きも乱れた戦国の世を作り出す一因だと理解しておらん。秩序というものは好悪や衝動でどうこうすべきではないのだ。
金も無いのに見栄ばかり張りおって。口ばかり達者なところは将軍どもと同じではないか。それに気が付いておらんのか。
頭を下げたまま、若造が出て行くまで心を落ち着かせようと努力する。頭の中には、到底口に出せない罵詈雑言がとめどなく溢れてくる。
平静を装おうと思っても、中々気持ちが落ち着かぬ。仕方なく、儂は唇を硬く結ぶことだけに意識を向けた。
腹に溜まった不快な気持ちを落ち着け、執務室へと移動する。
あの腐った空気の漂う部屋から一刻も早く離れたかったが、心の整理を付けずに戻っては家臣に当たってしまう。これから呼ぶ聡い者には、そういう心の機微に気が付かれてしまうだろう。そうなれば余計な気を使わせてしまうのが心苦しい。
「久秀を呼べ」
廊下を渡る
執務室に戻り、茶を用意させていると、得も言われぬ愛嬌を備えた男が、襖を開け平伏する。
「
この男、出自は定かでないが、見た目と裏腹に洗礼された字を書き、風流を愛する。そして気が利く。こやつが来ると僅かに
匂い袋か闘香か。いずれにしても雅なものだ。儂より都に溶け込んでおるやもしれん。
久秀は儂が元服したばかりの頃に雇い入れた股肱の臣である。
本人は摂津国の土豪の出と言っていたが、出自はどうでも良いのだ。能力があり、信を置けて、心許せる男。それだけで充分。
家よりも儂個人に忠節を誓ってくれている数少ない家臣だ。
「おう。来たか。また厄介事だぞ」
「さようで。大騒ぎして帰った関白様が持ち込まれたようですな」
「よくぞ、こうも厄介事ばかり持ってくる。京には厄介事しか転がっておらんのか」
「将軍様が朽木谷に持って行ってくだされば良かったのですが」
こやつは儂と息子以外の者を同列に見ているようだ。将軍を揶揄しているが、不敬だなんだと気にすることはないらしい。
かく言う儂も、そういう遠慮は既にない。
「そうよな。それならいくらでも土産として馳走しようぞ。それなら朽木谷にいていただく価値もある」
「殿の土産物では幕臣どもが騒ぎましょう。暗殺だなんだとピリピリしておるようですから」
朽木谷に大人しくしていてくれるのなら、官位でもなんでもくれてやる。
それで満足してくれるなら安いものだ。満足して大人しくなれば畿内の平穏が保てるのだから。
「儂にとっては将軍には生きていてもらった方が都合が良いのだが、理解できんだろうな。暗殺を図った者たちは、自分も暗殺されると恐れるものよ。因果なものだ」
「家中にも似たような者がおりますが。未だに阿波公方を将軍にと諦めておらぬ者が蠢いているようで」
「武士とは因果な生き物だな。殺し殺され、恨み恨まれ。何のために生きておるのか」
「殿は他の者と見ている物が違い過ぎまする。あまり塞ぎ込まれぬよう。某、最近茶器に凝っておりましてな。愛でるだけでも心が癒され申す。殿も何か楽しみを見出されてはいかがでしょう」
「楽しみな。父が殺されて以来、考えたこともなかった。いや、一つあるか。息子の成長を見守るのがこの上なく楽しい。あやつは大成するぞ。儂が苦労して支えておる畿内の静謐を日ノ本全土に及ぼせるほどの逸材だ」
「全くもって。
自分で話を振ったが、蛇足であったか。
こちらが触れずとも、勝手に息子の話になるのは、いつものことだ。
息子の成長が楽しみなのは間違いないのだがな。
「また始まったか。お主の慶興贔屓にはうんざりだ。せめて慶興と同じくらい儂も褒めよ」
「慶興様の御父上ですから素晴らしい御方ですな!」
「結局、慶興のおまけか。まあ、それも悪くない」
いつの間にやら、穏やかな空気に包まれる。気心知れた友との会話は何よりの楽しみだ。いつものように息子の話に花を咲かせ、いつものように話を終える。
しかし、今日もその後に話を続けねばならぬ。
気の重い話になる。三好家が大きくなってから、楽しい息子の話で終わらせることが出来た日があったであろうか。
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