第二章 畿内動乱編

【覇】三好長慶という男

第六十九話 改元

 足利義輝が出陣を促された弘治四年(1558年)から遡ること数か月。

 管領の家臣で守護代に過ぎなかった家柄の男は、畿内の覇者として着々と地歩を固めている。

 すでに幕府の威信は地に落ち、幕臣の大半は三好家に膝を屈し、幕府の代行として三好家内にて政務を行っていた。


 世は既に三好家が幕府に取って代わったと見ていた。

 現に室町幕府 政所執事まんどころしつじ伊勢貞孝いせさだたかは、三好家に従っている。政所執事とは、室町幕府の財政と訴訟を取り仕切る役職で管領に次ぐ重職である。

 彼は朽木谷に逃れた足利義輝と袂を分かち、京に残った。そのまま三好家の下で働いている。一緒に残った奉行衆と共に。


 それを意味するところは、将軍が不在でも問題がないという証左であった。

 むしろ混乱を巻き起こす将軍家がいた時より、京の都が落ち着いている。

 そのため、京の民も貴族も帝も現状維持を望んでいた。

 果たして、将軍の復権を望んでいる者が京の都にいるのだろうか。



摂津国 芥川山城あくたがわやまじょう


「殿、京より貴人が見えられています」

「なに? 呼びつけるのではなく、芥川山城まで来ていると申すか」


「はい。どうやら内密にお話があるようで」

「また厄介事であろうな。はてさて、会ってみるしかあるまいな」


 最近、三好家の規模が大きくなってきたことで厄介事の数が増え、たちも悪くなっている。かつて、父の仇敵である細川晴元の下にいて復讐の炎を胸に抱き、復讐の機会を窺いながらも政務に邁進していた時の方が簡素で良かった。


 実績を残し、細川家中で発言力を高めることに腐心する。それが復讐するために最も近道で単純な道だった。幸か不幸か、未だ復讐は果たせていないが力を得た。

 しかしその力を得た結果、復讐を諦めざるを得ず、面倒事を裁く生活を得てしまった。このような生活は欲してはいなかったものだ。


 今回もまた面倒事の匂いがする。賓客の間に向かうのは気が重い。



「わざわざ摂津国にまで足をお運び頂きありがとうございまする」


 約束も無いのに人の城に乗り込んできた男は、最上等の部屋の上座に座り込んでいた。自分より偉い人間は存在しないと認識しているようだ。


「突然の来訪申し訳ないな、筑前殿」


 さして悪いと思っていない口振りで形ばかりの謝罪をする男。所作も表情も悪いと思っていないのは誰にでもわかる。隠す必要を感じていないのだ。

 事実、彼を咎められる者は、ここにはいない。


「いえ。このようなむさ苦しい城に関白様をお迎えできまして無上の喜びにございます」

「そうかしこまるな。筑前殿は畿内の覇者殿ではないか」


 まったく笑えない。この男はそれがどうしたと思っているのは間違いないのである。そう思っていても、わざわざこちらを持ち上げるようなことを吐く。真正直に受け止めれば、どこかで足を掬われかねない。

 そんな男と世間話をしていても何の価値もない。


「畏れ多いことにて。して、このような場所までお越しいただきました訳とは?」

「ふうむ。面白みのない……。そうよの。先に用向きを話すとしようか。先帝であらせられる後奈良天皇がお隠れになり、第百六代天皇として方仁親王(正親町天皇)がご即位される。ついては改元を行いたい。元号候補については筑前殿のご意見を参考にの」


 改元と来たか。やはり面倒事だ。すでに幕府の役割を担っているとはいえ、三好家は幕府を開いている訳でもなければ、細川京兆家ほそかわけいちょうけ(細川晴元の家系:現当主は細川 氏綱)の被官でしかない。それに幕府と朝廷で協議するのが通例の改元についての意見を求められるとは。


「三好家は室町幕府管領の細川家の被官。改元に口を挟めるような家柄ではございませぬ」

「またまた。元主君と敵対し追放、あまつさえ将軍までも京から追い出しておいて、世迷い事を申す御方だ。誰も彼も筑前殿が畿内を動かしていると認識しておろうて。そこまでしておいて何の問題がある?」


 問題だらけなのが分からんのか。いや、分かっていて言うておるのか。

 こっちまで巻き込むでない。三好家は大きくなり過ぎた。優秀な弟たちが支えてくれているおかげで纏まっていられるが、急激に大きくなりすぎたせいで、身の丈に合わぬことを望む輩も多い。


 阿波勢は阿波公方様を将軍に押し上げ、名実ともに天下の実権を握ろうとするし、畿内に配した新参の家臣と阿波に残る旧来の家臣の仲も悪い。一門衆も己の力を過信して余計なことにまで首を突っ込む始末。何とか一丸となっているのは奇跡のような均衡がとれているに過ぎない。


 これ以上、急激に三好家の力を増やせば、瓦解するだろう。

 そうなれば、畿内の平穏も仮初かりそめの物となろう。

 親の仇を諦めてまで努めてきた畿内の平和。握ってしまったがゆえに手放せない権力。既に抱え込めるものは己が手いっぱいに抱え込んでいる。


 さらに重荷を負うようなことがあれば瓦解する。


 阿波と淡路に讃岐。ここは三好家本貫の地であることから固まるだろう。

 ここには実弟の三好実休みよしじっきゅう十河一存そごうかずまさ安宅冬康あたぎふゆやすを配して目を光らせている。

 摂津、山城。ここは新参者が多いが儂個人に忠節を誓う者たちばかりだ。おそらく阿波勢が暴走すれば、儂や息子の味方となろう。


 息子は親の贔屓目を抜きにしても優秀である。重責を担う三好家の舵取りを任せることが出来るようになるはずだ。

 しかし、まだ軽い。貫録を増すには経験も時間も足りぬ。

 今のままでは一門衆の長老連中に良いようにされ、無用な苦しみの狭間に取り込まれてしまう。


 最近押さえた丹波や播磨は、あの蝙蝠の影響力が強く、反抗勢力も健在だ。三好家に

 心服しているとは言い難い。


 三好家が割れれば、最悪三つ巴となる。苦心を重ねて築き上げた安寧の時が無に帰す。それだけは許せん。


 それに拍車をかけるように、あの厄介な男が暗躍するだろう。あの蝙蝠は、人を煽るのが上手い。いつの間にやら、決起せざるを得ない状況を作り出す。

 そもそも、あの男は自分の思うままになれば、他は些事と捉えている。世が治まる訳がない。


 やはり朽木谷の将軍殿と和睦して、三好家が管領として天下を差配する。それ収まりが良い。いずれ将軍に取って代わるにしても急激な変化には人がついていけない。

 何代も時を重ねて、機が熟するのを待たねばなるまい。


 関白の若造が持ち込んてきた改元話。

 落ち着いてきた畿内に新たな騒動を巻き起こす厄介な種となりそうだ。

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