踏み込む勇気

第六十八話 新たな一歩

 素振りを始めた時にはまだ明るかったのに、今はもう闇が覆っている。

 寒々とした真冬の空気は、鼻で強く吸い込むとツンとしてしまうくらいに冴えわたる。俺の頭の中とは対照的に。


 どれだけ木刀を振っても、頭がスッキリすることはない。自分なりの奥義『一之太刀』を考えてみても、三好家との合戦について考えてみても、思考は堂々巡りで終わりがない。いつまで経っても素振りは終えられなさそうだ。


 何度か楓さんが様子を見に来た雰囲気はあったが、部屋に来た時と同じように何も言わずに立ち去って行った。

 夕食の声掛けなのか、言えなかったことを言いに来たのか。それもわからない。


 あまりにも雑念が多すぎて、今のままではどうにもならないと思い、素振りを止める。集中するためにも木刀ではなく、刀を抜き放と思いつく。


 そのタイミングで「義輝様」と声がかかった。楓さんである。

 今回は縁側から眺めるのではなく、庭に降りてきた。

 いい加減、止めに来たのかもしれない。


 湯気が立つ身体に休息を与え、顔の汗を拭ってから振り返る。

 着物は湿気を含んでいて拭った顔が気持ち悪い。


「――どうかしたかな」


 思っていたより固い声が出た。何時間も声を出していなかったせいで、上手く喋れなかったようだ。


「そろそろお身体を虐めるのは終わりになされてはいかがでしょうか」

「身体を虐めたいわけじゃなかったんだけどね。このままじゃ眠れなさそうで、考え事をしながらやってたら、こんな時間になっちゃったみたい」


 軽く夜空を見上げて言い訳をする。何故か言い訳をしてしまった。


「それほど悩まれているのに出陣せねばならぬのですね」

「仕方ないさ。将軍という重責を投げ捨てて、どこか山奥に逃げ込まない限り、いつかは戦わなければならなかったんだ。ただ、流されて戦うことになるとは思ってなかってけどね」


「逃げても良いのではないですか。義輝様の御命が助かるなら」

「そうしたら楓さんもついてきてくれる? 俺だけじゃ生活力が無さ過ぎて生きていけないよ」


 冗談のように話すけど、気持ちとしては冗談ではない。

 かなり真剣だ。実際、逃げたところで俺一人では生きていけない。


「良いですよ。私が義輝様をお守りいたします」

「幸せだろうな。そんな生活も。……他の仲間や日ノ本の民のことを考えなければね」


 楓さんと二人きり。食べるくらいなら何とかなるだろうし、三好に怯えて夜に目を覚ますこともない。素晴らしい生活だ。

 だけど、逃げてしまっては、きっと他のことで夜に眠れなくなる。


「義輝様なら、そんな事できませんね」

「難儀な性格だよ。あれもこれも手放したくないなんて」


「そういうお優しいところが義輝様の良いところです。でも、私どものような下々の者を気にしすぎるあまり、貴方様の御身をやたら危険に晒されぬよう。くれぐれも御身を大事にしてください」


 優しいなぁ。楓さんは全部分かっているんだよな。分かってて色々と言ってくれている。真剣な彼女の瞳はとても綺麗だ。


「大丈夫とは言い難いけど、楓さんの気持ちはわかったよ」

「でも無理をなされるのですよね」


「立場のことも理解しているけど、やっぱり仲間を失うことは許せないと思う。自分から戦いに行くのにおかしいよね。でも、そう思っちゃうんだ 」

「おかしくないです! 切り捨てるのはいくらでもできます。でも高貴な方で、そのようなお優しさを持ち続けるのは素晴らしいことだと思います」


 そうやって、みっともない俺の味方でいてくれる楓さん。

 いつも俺の側にいて、俺のことを大切に思ってくれた人。

 そのために、乗馬指導なんかは厳しくなっちゃったけど、それも愛情だと思っている。彼女は、かけがえのない女性だ。


「……やっぱり怖いよ。すぐにでも山奥に逃げたしたいほどに」


 俺は情けない顔をしているのだろう。

 悲しくも慈愛に満ちた顔をした楓さんが抱きしめてくれた。


「どのような決断をされても私が御伴します」


 ――駄目だ。目の奥がジーンとしてきた。気を強く持たないと涙がこぼれてしまいそうだ。澄み渡る夜空には星々が煌めいている。

 俺は何て言葉を発したら良いか思考が纏まらない。


 いや、言いたくなる言葉の全てが弱音だったのが嫌だったからだ。

 これ以上、彼女に弱いところを見せたくない。

 今は、抱きしめてくれた彼女を抱きしめ返すくらいしかできない。


 細くて華奢なのに強い。とても敵わないほどに。彼女の芯の強さは、どこからくるのだろうか。

 彼女は少し上体を反らし見つめてくる。その瞳にも、何か決心したような意志の強さを感じた。 


「上様のお情けを……私に頂戴できませんか」

「――えっ? お情けって言うと……あ、あれだよね?  あれで合ってるよね?」


 急にそんなこと言われるとは……。雰囲気からしてキス的なやつでお見送りとかなら想像してたけど、一気にそこまでステップアップですか?!


「……はい。戦陣まで御伴できませんから、少しでも上様をお側に感じておきたいのです。私のような女では、……駄目でしょうか?」


 ぐはっ? 破壊力強すぎ! 

 楓さんの上目遣いからのお誘い。


 これほどの美人さんが謙遜しながら縋るように抱きつかれたら断れるやつが居るのか? 否、居まい!


 それにしても長かった! 抹茶事件から始まり冷たい視線の数々。それに耐えながら身の回りの世話、文字の勉強や乗馬の指導を潜り抜けてきた。五年近く共に時間を過ごして、ゆっくりと育んできた関係。ついにここまで来れました。


 自分から言うのではなく、楓さんから言われるのは予想外だったけど、結果に文句はない。


「ダメじゃないです! それに楓さんほど美しい人は見たことありませんから!」

「まあ、上様はお上手ですね。……では今夜、寝所に参りますから」


 そう言うや否や、俺から離れて屋敷の方へ駆け去って行った。

 さすが忍者。相変わらず足が速い。


 恥ずかしくて駆け去ったんだよな、きっと。

 汗臭かったからってわけじゃないよな。

 ……水浴びしてから部屋へ戻ることにしよう。

 うん。それが良い。何事も最初が肝心だ。



【室町将軍の意地 -信長さん幕府ぶっ壊さなくても何とかなるよ-】

 第一章 朽木谷逼塞編 了


―――――――――――――――――――――

これで第一章が終わってしまいました。

三月一日から公開開始して毎日更新で本編68話+幕間3話で71話。約18万文字となりました。

ここまでかけて、やっと戦国の世に出ていくという、とても長いお話になってしましましたが、ここまでお読みくださいましてありがとうございました。


次話からは『第二章 畿内動乱編』が開幕いたします。


第二章以降は、主人公の視点とライバル関係の武将視点の二軸を主軸として+αの視点も絡み合いながら推移していきます。

それぞれの熱き想いのぶつかり合い。譲れぬ矜持。その辺りをうまく書いていきたいと考えています。


それでは、末筆ですが改めてお読みくださった皆様に感謝の気持ちを。

ありがとうございました!

第二章も頑張ります^^


――――――――


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