第七十一話 厄介事
摂津国
日頃のように愛息である
軽口を言い合える関係は貴重である。
このような関係は少ない。心当たりがあるとすれば、信頼のおける兄弟と松永久秀くらいだろう。
日々安穏と家族のことを考えていられたのはいつの頃だったであろうか。もしかすると、そのような時期は無かったのかもしれない。
昔の記憶を思い返すせば霞んだ記憶しか出てこない。最近は色のない世界が増えてきた気がする。
「毎度のことだが、
「いつものことですな。して、関白殿は何と?」
「新帝が即位され、改元するそうだ。しかし幕府には相談したくないらしい。それより問題は儂に相談したという体裁を取ってきたことだ」
「それはまた。朽木谷が騒ぎそうな話ですな」
朽木谷を刺激する。子供でも分かるくらいに単純な話だ。
関白の若造は、それを狙ってここへやってきた。
わざわざ見せびらかすように下向して、それを喧伝しながら帰っていった。
おそらく京の都では、朝廷が幕府を見限ったという噂が広がるだろう。
「それだけなら良いがな。親幕府派の諸大名まで騒ぎ出すと厄介だ」
「それは困りますな。まだ些か時期尚早かと。和泉国も完全に掌握したと言いきれませぬし、河内国や大和国、丹波国もまだまだこれからです」
松永はそれはマズいとばかりに言葉を並べる。
こやつは、あえて分かっていることを言葉にして、焦った様子を示している。
しかし本当に焦っている訳ではない。片方が焦れば、もう片方は落ち着くものだ。
それのために焦っているように装っている。
そういう気遣いをする男だ。
「そうだ。畿内の足場はまだ不安定。親幕府派の切り崩しも充分とは言えん。せめて河内国を押さえて阿波国との行き来を安定させておきたい」
「河内国が抑えられれば、本貫の地との行き来の安全性だけでなく、南に敵対勢力がいないことで他方面に戦力を集中できますな」
「ああ。他方、親幕府派は河内に援軍を送れない。援軍を出せても、せいぜい大和国くらいだろうが、あそこは問題なかろうて。宗教勢力が乱立しておって、他国を救いに行くほど、纏まりはない」
「となりますと、もう少し時間が欲しかったですな。獲れる河内国を放り出して、来るかどうかわからぬ幕府軍に備えなければならぬのですから」
全く余計なことばかりする。あえて刺激せずとも、立ち枯れさせて何も出来なくするよう周到に事を進めていたというに。
時間をかけさえすれば、余計な血を流さずに済むのだ。なぜ争いを生むようなことをするのだ。儂の努力を無にしおって。
「まったくだ。来ても来なくても迷惑千万。もう京の民は戦乱に厭うておる」
「殿が寝食を忘れ、畿内の安定に努めておるというのに不届千万の輩ですな。将軍様も根無し草の如く、強き風に吹き流されておるようで」
「それが最近はそうでもなさそうだぞ?」
「はて?」
呆けた老人のように口を開いて記憶を探るような顔をする。こやつのことを詳しく知らなければ、人が良く、頭の回りの遅い男と思ってしまうだろう。
その内実は正反対だと思いもよらず。いつの間にやら、こやつの術中にはまり言わずとも良いことまで話してしまっていることだろう。
それにしても、ここまで真剣に惚けられるのも才能だな。
儂なら知っていることは隠せても、ここまで呆けた顔は出来ん。
「そなたも掴んでおろうが。細川晴元を叱り飛ばしたり、独自の資金集めの動きをしておるようだ。それに優秀な忍びを雇い、朽木谷の防諜だけでなく、大掛かりな忍び組織を作っているようだ」
「さすがは殿! 千里彼方の音まで聞き取れるとは!」
ふっと笑ってしまう。
この男の憎めないところは、こういうところだ。
馬鹿になれる。変な矜持を持ち出さず、場を和ませるために道化にもなれる。
かといって、決して馬鹿ではない。でなければ、和泉国や大和国の攻略を任せたりはしない。
機を見て自分を変化させられる有能な男なのだ。
「戯言は止せ。お前も掴んでいるだろう。畿内で生き抜くには忍びを飼わねばならん。魑魅魍魎の跋扈する京で適切に情報を得られねば、自分の命を捧げねばならなくなる」
「京とは誠に奇怪な場所にて。真面目な話、将軍様は朽木谷に籠ってから人が変わったようだと言う者がおる様子。某も興味を持って注視しておりました」
「うむ。儂も興味がある。あの意志薄弱な男が何故変わったのか。どう変わったのか。もしかすると、周りの有象無象を排除すれば案外モノになるやもしれん」
「なかなか期待が高そうですな。殿のご期待に沿うのは大変ですから、将軍様には同情してしまいまする」
こやつめ! 言いたい放題言いおる。ならば期待に応えてくれようぞ。
「いつも期待以上の働きをしてくるお前が言うか。何なら、将軍殿を京に据えた後にお主を目付け役にしてやろう」
「これはこれは。新たな厄介事が増えてしまいました。ここはやはり将軍様には朽木谷で大人しくしておいていただかねば」
何とか話の終わりには、いつものような和やかな雰囲気になった。
気の重い話題であったが、これでいくらか気が楽になったように思う。いつもながら松永には感謝だな。
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