第六十二話 手段と目的

弘治三年睦月(1557年4月)


 かねてからの話し合いの成果が実を結び、室町幕府管領である細川晴元の娘さんが六角義賢ろっかくよしかたの猶子(相続権の無い養子)となって、本願寺顕如ほんがんじけんにょに嫁いだ。


 これにより、形式的には六角家と本願寺家の同盟が結ばれた。内実は、俺つまり幕府と本願寺の同盟である。そして六角家と幕府も協力関係にあるから、東を六角家、西を本願寺で三好家を挟む形となった。


 しかしながら、六角家とは協力関係と言いつつも、その関係は歪である。

 幕府にとっては強力な支援者であり、六角家が支援してくれているから三好家とも立ち向かえているとも言える。

 言い換えれば、六角家が手を引いてしまうと、三好は何の遠慮も無く幕府を叩き潰すだろう。


 逆に六角家は、幕府という御輿があるので、周辺諸大名との連携が取れ、強大な三好家に立ち向かえているし、自分の主張を将軍の意向として吹聴できる。


 六角家も幕府も単独では三好家に立ち向かえない。だからといって六角家と幕府が対等かというとそうでもない。実情は御輿として担いでもらっていると言えば良いのか。

 担ぎ手にも相応の力が必要だし、御輿を担ぐことで得られる利益がなければ放り出されてしまう。


 上に載せてもらっている幕府には六角家を顎で使えるほど力はなく、対等に依頼する程度の力も無い。

 むしろ顎で使われる。もしくは輿を良いように動かされて望まぬ場所にも連れ回される側と言えるだろう。

 御輿の上に乗っている俺には、口出し出来ても、実際に方向を決め、足を動かすのは六角家である。これが幕府の現状だ。


 それはそれとして、今までは本願寺を抜きにして三好家と拮抗していたが、本願寺との同盟が成ったことで三好家に圧力がかけられるだろう。これにより、三好家がどう動くのか読めないところであるが、一先ず優位に立てたことは間違いないのだ。



 話は変わるが、今年も川中島の戦いが起きた。結構な長丁場の対陣となったが、武田家が決戦を避けた様で大きなぶつかり合いもなく、停戦の意向も出ないままに終戦した。俺が知る限り、既に三度目の川中島の戦いだったはず。そしてあと何度か発生してお互い損耗し合うんだったよな。


 長尾景虎さんは幕府と協力的だった気がするから、この消耗戦に区切りをつけたいと思ってはいる。けれども、利益が複雑に絡みあう人間関係に、将軍が口を挟んだところで、できるのは停戦調停くらいだ。それだって、お互いの利益になる時だけに限定される。


 何か抜本的に動かなければ、川中島の戦いを終わらせることは出来ないだろう。

 そして、俺には今のところ具体的な考えは出ていない。何十、何百という利害関係者の意見を整理して調整するなんて、どうやったらできるのだろうか。


 既にこんがらがってしまった状態では、全員納得なんてできないから、結局は力技で言うことを聞かせるしかないのだろう。つまり合戦である。

 いかん、川中島の戦いを止めようとして合戦を仕掛けては元も子もない。


 詰まる所、こうやって戦国時代は出来上がってきたのだろう。

 問題は、争いを鎮める調停者がいないこと。力のある調停者がいれば、武力に寄らず話し合いの場に引きずり込める。

 最終的に幕府はそうあらねばならないが、まだまだ先は遠いな。

 いつまで経っても名ばかりの将軍だ。俺が存在する意義。師匠からも考えろと言われたな。



 結論は出ないまま、時は過ぎる。

 そして俺は悩みを抱えながら走る。


「どうじゃな。自分が何故この世に生を受けて、この地に存在するのか。答えは見つかったかな?」

「し、師匠。今……は、走ってきた……ばかりなので、話は後に……してもらえませんかね」


 結構話しかけるタイミングあったよ?

 何で走らされて、ゼーゼー言っているこのタイミングでそれを聞く?


「しんどそうだから話しかけておるんじゃろ。ほれ、今のうちに剣を振れ」

「くっ。やってやりますよ!」


「かかか。そうせい、そうせい」

「さっきの答えですけど、全然見つかりません! 理想はありますけど、そこに至るには程遠いですね」


「ふーむ。では、一つ話を聞かせてやろう。あれは儂の名が売れ出してから、ずいぶん経った頃の話じゃった。近江国を経由して故郷に帰ろうかと歩みを進めておったらの、名を挙げたい武芸者に絡まれてしまったんじゃ」


 あー、有名な人を倒して自分の宣伝に使うアレですね。でもさ、この話を今する必要あるかな。話に気が散って素振りが雑になったら、また走らされるんだよ?


「それは災難でしたねー」

「なんじゃ。ずいぶんと雑な対応をするな。そんなんじゃ儂、拗ねちゃうかもしれん。年若い弟子に邪険にされる老人師匠。嗚呼、儂は何と可哀そうなのじゃろうか」


「わかった! わかりましたから! ちゃんと聞きます! だから素振りは止めても良いですか?」

「駄目に決まっとるじゃろ。身体と意識を分けて聞きなさい」


 師匠がふざけるから、その流れで聞いたのに、急に真面目な指導をしてきた。

 仕方が無いので耳だけ師匠に意識を向ける。


「あれは儂の名が売れ出してから、ずいぶん経った頃の話じゃった。近江国を経由して故郷に帰ろうかと――――」


 そこから始めるのか! さっきも聞いたところというか、出だしからじゃないか!

 ちょっと長いので、端折らせてもらおう。



 師匠が近江国を通る時に若い武芸者に声を掛けられたそうだ。

 師匠は相手をするのが面倒臭くて適当に対応していたが付きまとわれてしまった。

 鬱陶しいので真剣勝負を受けてやると言って、琵琶湖の小さな離れ小島を指定し、自ら舟を漕ぎ、若い武芸者を連れて行ってやったという。


 離れ小島に着くと舳先を島に向け、若い武芸者に着いたから降りろと告げる。

 若い武芸者は意気揚々と飛び降り、足場を整え振り返るころには、師匠は舟で沖まで戻っていた。

 若い武芸者は小島から叫ぶが舟も無くどうすることも出来ない。

 鬱陶しい武芸者とは、これでおさらばとなったそうだ。


「どうじゃ? 戦わずして勝つ。これぞ無手勝流よ」

「何かズルくないですか? 真剣勝負もしてないのに勝ったとも言えない気がするのですが……」


「何を言っとる! 真剣勝負をしたいのは向こうの都合。儂は鬱陶しい武芸者を追い払いたかった。儂の目的は達成できておる! じゃから、儂の勝ちじゃ」

「うーん、そう言われればそうなのかもしれないけど」


「まだ不満そうじゃな。良いか。兵法とは効率良く勝つための手段じゃ。真剣勝負と言えども、剣で切らねばならぬ道理はない。殴っても蹴っても相手を倒せばよいのじゃ。剣は勝つための手段の一つに過ぎん」

「剣が一つの手段……」


「さよう。目的と手段。混同してはいかん。目的をしっかりと見定めねば、勝ち筋も見えなくなろうぞ」

「目的と手段……。それらをしっかりと見定める」


 とても深い話をしてくれているようなのだが、霧がかかったように曖昧で形が無い。

 おそらく師匠は悩む俺を導いてくれているのだろう。


「たくさん悩み、しっかり考えよ。それがお主の糧となる。そうそう、手が止まっとるぞ。罰じゃ。走ってこい。悩むなら走るのが一番じゃ」

「はい! わかりましたよ!」


 いつもなら罰ゲームのランニングは嬉しくないのだが、師匠の優しさと方向性が見えそうな気がして今回ばかりは嫌じゃなかった。

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