第六十話 停戦斡旋と思いきや
弘治二年卯月(1556年4月)
避けて通れない相手から朽木谷に連絡が入った。
この時代の最大最強の宗教集団である一向宗の総本山 石山本願寺。その門主である
正式には、浄土真宗本願寺派第十一世宗主・真宗大谷派第十一代門主という肩書のようだ。覚えきれないので本願寺顕如さんとしよう。
問題は連絡してきた目的。朝倉家との停戦斡旋を依頼したいということだった。
長年、朝倉家と戦いに明け暮れており、あの朝倉宗滴(朝倉教景)がいたこともあって、加賀国江沼郡を奪われていた。
ただ、前回起こった川中島の合戦の停戦理由にもある通り、朝倉宗滴さんが亡くなったことで、戦線は膠着。本願寺は、ここが停戦の良いタイミングと見て取ったようだ。
いや、そもそも俺に連絡が来たことが問題なのだが……。本願寺顕如さんは、そこらの大名より力も金もある御方なのだ。そして、加賀国守護の富樫氏は一揆勢にその座を追われ、困窮した暮らしを強いられながら失地回復の機会を窺っているという。若干、俺と同じような境遇なので同情してしまう。
それはそれとして、本願寺顕如さんは、恐ろしいほど強大な一向一揆の主導者である。そして本願寺は信長さんですら、散々手を焼いた宗教勢力でもあるので、あまりお近づきにはなりたくなかったのだが、機嫌を損ねて敵にもなりたくないという非常に面倒臭い相手と言える。
本願寺顕如さんが俺に停戦斡旋を依頼してきたのはどういう意味があるのだろうか。
本願寺派からしても朝倉宗滴さんが亡くなれば、失地回復の機会であったはず。それが出来ないくらいに苦しい立場ということか。
そこへ長尾家、武田家の停戦斡旋の実績のある幕府に依頼してきたという流れだろうか。朝倉家は越前国守護であるし、現当主の
もしかすると、朝廷よりも組みしやすいと見られたのかもしれないのだが。
それでも停戦斡旋は、こちらの飯の種でもあるので、ありがたく仲介させてもらうんだけどね。
話が面倒になったのはその後のこと。
朝倉家としても停戦の話は大賛成のようでスムーズに進んだ。それを本願寺顕如さんは、幕府の力関係を良い方に見てくれたようだ。是非とも良好な関係を築いていきたいとお願いされてしまった。
詰まる所、この時代の定番である縁戚関係を結んで、歴とした同盟を結ぶという方向で話が進んでいる。しかし、俺に子がいないので、幕府のナンバーツーである細川晴元さんの娘でいく予定だ。
ただね、懸念はたくさんある。本願寺と幕府は争ったり和睦したりを繰り返している。細川のおっさんは、一向宗を三好長慶の父親と戦うために煽るだけ煽って参戦させた。戦いには勝ったが、一向宗徒は勢いに乗りすぎて暴徒化し、コントロールが利かなくなった。その一向宗徒を鎮圧するため、別の宗教組織である法華宗を唆し、挙兵させ、嚙み合わせた。
それでも事態が鎮静化しなかったため、当時、山科にあった山科本願寺を燃やすという愚行をしでかし、本願寺と幕府軍(細川晴元が首魁)の全面戦争に至ったという過去を持っている。
その幕府と本願寺が和睦を繰り返してきた原因でもある人物。その人物の娘を嫁入りさせるという何とも政治的な判断である。
しかし、仇敵とも言える細川晴元の娘では、さすがに体面が悪いということで、
まったく困ったもんだ。細川のおっさんは人に恨まれ過ぎである。あの人と行動を共にするのは、考え物な気がする。しかし諸大名に顔が利き、実力者であることは間違いなく手を切るほど、俺に力も無い。
そんなわけで、朝倉家と本願寺の停戦斡旋は、複雑怪奇な婚姻同盟という形で話が転がっていったのだった。
「これ! また気を抜きおったな! じゃ、走ってこい」
「はい! すみませんでしたー」
準備運動がてらの走り込みは楽々こなせるようになり、その後の素振りも苦労することも無くなっていった。むしろそれ以上の修行が課されないので物足らなさを感じるほどだ。
そういう気持ちが出ていたのか、素振り中に気が抜けていると注意されることが増えていき、見かねた師匠は、気が抜けた素振りをしたら走らせるという罰則を定めた。
ということで、ただ今走らされております。
まだまだ卜伝師匠に習っているというよりも練習を見てもらっているくらいでしかない。具体的にアドバイスを受ける段階じゃないようだ。それも仕方ないけどね。
最近、やっと身体が武術家の身体に変わってきたような気がする程度なのだから。
さりとて、修行とは言いながら、走ってばかりの繰り返しなので、ちょっと飽きてきたのも事実。まあ、亀の甲羅を背負わされたり、牛乳配達をさせられないだけマシだろう。
「戻りました!」
「うむ。戻るまで大分早くなってきたな。素振りもマシになってきおったし、次に進めてやろうかの。でないと足ばかり達者になりおる」
くそっ! この爺さん、嫌味を言いやがって。剣豪じゃなければ引っ
「……随分な言い草ですね」
「間違ってなかろうて。くぁっかっかっか!」
癖のある師匠の笑い。随分楽しそうだな。やっぱり俺をいじめて楽しんでいるのではなかろうか。しかし、ここは耐えてやろう。次の修行というのが気になるしな。
「それで次の段階とは?」
「兄弟子を背負って山を走ってこい。藤孝でも良いぞ」
「へっ?」
それ坂道ダッシュする程度までのやつでは?!
山道を走り回るような負荷じゃないと思うのですが……。
それと藤孝くん、俺と同じように剣を習い始めた。
しかし、いつもの何でも出来るイケメンスキルが発動し、剣の腕前は俺を超えていった。
そもそも、彼はしっかり武芸の修練をしてきたから最初から上なんだけどね。
「くふふふ。冗談じゃよ! 冗談! 兄弟子と打ち合え。試合稽古というやつじゃ。怖ければ防具でもなんでも着けて良いぞ?」
ニヤニヤとしながら煽ってくるな、爺さん。ここで防具なんか着けていったら、師匠に馬鹿にされそうだし、絶対着けないでおこう。兄弟子たちの稽古でも防具を付けているところなんて見たことないし。
「いえ、兄弟子方も着けておられぬのですから、私も防具など着けません」
「そうか。心配せずともお主程度を相手に木刀を当ててしまう弟子などおらん。ノビノビやるが良いて」
くっ、言い返せない。悔しいが何も間違ってない。兄弟子たちの稽古は、鬼気迫るもので、彼らも剣豪と呼ばれてもおかしくない気がする。彼らの師匠である卜伝師匠は、一体どれだけ高みにいるのだろうか。
こうして構ってもらっているだけでも充分ありがたいと思わねばならぬのかもしれない。師匠には感謝しなければ。
「そうじゃ! 兄弟子たちの剣が恐ろしければ、袋竹刀でも良いぞ?」
……前言撤回。
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