第五十九話 忙しくとも、やらねばならない事がある

 それはそれは厳しい剣術修行を課された俺であるが、他の仕事をしなくて良いという訳でもない。論功行賞は藤孝くんが前例を基に考えてくれたから、問題は無かった。

 しかし若狭武田家の内乱に介入した戦後交渉については少々骨が折れた。


 根本的に、幕府が介入したことは公にされない。知っているのは当事者くらいなので、若狭武田家の家臣団でも事情を知らない者たちがいる。

 そういう前提があるので、大々的に幕府へ謝礼なり権益の譲渡なんかは出来ないという訳だ。


 だからといって、義弟の武田義統たけだよしずみさんが何もしないという訳にもいかない。自分の危機を知らせてくれた上に、命を救ってくれたのだ。これで何も無しにしては、信用問題となり、良好な関係にヒビが入ってしまう。

 という訳で、何かしない訳にもいかず、わかりやすい形でお返しする訳にもいかないという非常に面倒臭い状況なのである。


 義弟殿の手紙では、討ち死した粟屋勝久の領地を幕府に献上したい気持ちであるとか言ってくれたが、それはマズいだろうと言うのが主要メンバーの答え。


 そもそも、若狭国守護として幕府から任されているのに、一部を返上するとなれば、能力的に守護職の任に値しないと言っているようなものだし、家臣団も恩賞がもらえるつもりなのを余所にあげてしまうのは、さらなる内乱の火種になるからという考えだ。


 それは分かりすぎるほど良く分かるので、気持ちだけ受け取っておくという返事になった。

 おそらく、感謝の気持ちと共に、弱まった東への備え。つまり朝倉家との緩衝地帯を作る意味合いもあるのでは、というのが和田さんの読みだ。

 この辺りの老練な提案は、義弟派の重臣の入れ知恵だろうと。こちらがその提案を受け入れないことも折り込み済み。その上で、朝倉家との武力衝突を避けたいという意思表示にもなっているらしいです。政事とは難しい。


 悩んだ末、謝礼話の落とし所として、貸与されている蔵の使用料をタダにしてもらい、港の優先使用権を渡すというものになった。

 このくらいであれば、家中混乱の失態を幕府に釈明するために差し出したという形を取れるだろうという思惑だった。

 それ自体、ありがたいお話しだったが、俺としては義弟殿の命が安全になって、今後も一層協力すると言ってくれたことの方が嬉しかった。



 気を揉んだ幕府と若狭武田家の戦後交渉もそうだが、内乱の後始末も少し心が痛んだ。

 結局、頼みの綱の粟屋勝久あわやかつひさが後瀬山城に辿り着くことはなく、強硬手段を取った当主=信方ラインの動きを察知した義弟派閥は、容赦なく当主を切り捨てる決断をした。追放である。


 うわさに聞くと甲斐武田家の信玄さんも、親父さんを追放したらしい。親が子供に追放されるなんて世知辛い世の中である。普段なら感傷的になる俺でも、今回の経緯を知ってしまうと同じ場所にいる方が不幸になるということが良く分かった。

 きっと好きで追放している訳じゃないだろう。そう思いたい。



 そしてこれで、今日の執務は終わりとなった。

 それはつまり……


「さっ、楽しい修行の時間の始まりじゃな!」


 相変わらずヘロヘロになるまで走らされることは変わりないが、素振りをする余力くらいは残るようになった。

 この棍棒もとい木刀にも慣れてきて、これはこれで悪くないかと思えるようになってしまった。俺は影響されやすいのかもしれない。


「やっと剣を振るう下地が出来始めたか。余計な力も入らず、素直に剣に従って振れておる」

「もしや、ひたすら走るのはその為でしたか?」


「そうじゃな。最初の内は腕の力で剣を振ろうとし過ぎるので、強制的に余計な力が入らんようにするのよ。こればっかりは、どれだけ口で言っても伝わらんのでな」

「それならそうと言ってくださっても……。それに、ぶっ倒れるまで走る必要は無かったような気も……」


 はっきりとは言わないけどね!

 でもあれば過剰なランニングだったと思いますよ!


「うん? なんじゃ。師匠に口答えしているように聞こえるな。素振りの数を追加してやろうか?」

「師匠に口答えなど。滅相もございません」


「そうか。そもそもお主は剣を学ぶには身体が出来ておらんかったからの。走るのは今後も変わらんぞ?」

「それはもう。走ることによって足腰が強くなり、重心が下がったように思えます」


 実際、走るだけでも自分の身体を動かすという、運動に慣れさせる意味合いでは最適だった。

 ドスドスと重い足取りが、軽やかな駆け足になり、疲れないような走法が自然と身に着く。

 あまり跳ねるように走らず、腰を落として重心を下げる方が疲れないことが良く分かった。昔、部活をやっていた時は当たり前の感覚だったのに、久し振りに走ると、ただ走るという動きすら忘れてしまっていたようだ。


「ほう。随分分かったような口を利くではないか」

「はあ、昔、剣道を少々……」


 最初はあんなにヘロヘロになっていたのに、素振りをしながら師匠と会話できるようになっていた。そのことに楽しくなってしまった俺は、余計なことを口にしてしまった。


「剣道とは面妖な。お主の腕前で剣の道を進んだと言うか。面白い。それなら儂が剣の道にどっぷり引きずり込んでやろうか」

「あははは……。お手柔らかにお願いします」


 口は禍の元である。素振りに集中すべきでした。


「まあ、良かろう。素振りは追加するがな」

「ええ?! その話は終わったはずじゃ?」


「終わっとらんよ? 儂は結構、気にしいなもんでな」


 絶対嘘だ。俺をいじめて楽しんでいるだけにしか思えない。

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