第五十三話 朽木谷で待つ者は
朽木谷を出た時も夕暮れであったが、戻ってきた時も夕暮れだった。
しかし胸を占める思いは全く違う。
初陣を済ませたこと。これは大きい気がする。色々と情報を集めて、策を立て、実行する。目の前で命のやり取りを命じて、それを見届けた。
幸いにも、味方の損害は無く、敵方の損害も出来るだけ抑えられたと思う。
敵方といっても、義弟である
ただでさえ若狭国は石高が低い。それに従って動員兵数も少ない。代わりに立地が良く海運や水運などの物流の要所である。つまりお金は稼げるけど、兵を養うための米が多く獲れる土地ではない。物流から得られる税を軍事費に回せば、石高以上の力を持てるが、そこまで極端な政策を取っていない。
つまり周辺国が恐れるほど強い国ではないということだ。今のところ、細川晴元陣営で戦ってきた経緯もあって、親幕府の立ち位置を維持している。そのおかげか若狭一国を保てていた。
だが、今回の内乱が拡大していけば、周辺大名が指を咥えて見ていることはないだろう。丹後一色家とは領地の奪い合いをしてきた仲で、丹波の一部や京は三好家の勢力圏である。東には朝倉家がいる。特に東側は、今回幕府軍が打ち取った粟屋勝久の領地がある。ここをしっかり抑えないと朝倉家が黙っているとは思えない。
越前の軍神とも称された
食べごろの餌があれば、若狭に侵攻してきてもおかしくない。直接的に手を出してこなくても、粟屋一族と連携して若狭国の運営を妨害するかもしれない。
という訳で、朽木谷に帰っても考えなければならないことは山積みである。
そろそろ出陣に使った広場が見えてくる頃。幕府軍は、きっちり整列しながら行軍している。先導していた忍び衆や藤孝くんらが横に広がりペースを落とす。
まるで俺を先に行かせたいと言わんばかりに。
もしかしたら、先触れを聞いて駆けつけてきてくれたのかもしれない。
もしかしたら、俺に一番に会いたくて、屋敷から飛び出してきたのかもしれない。
もしかしたら、いつ帰ってくるのか心配で何度もここへ足を運んでいたかもしれない。
いや、最後はかなり希望的観測を含んでいるかな。そうだったら嬉しいけど。
数日離れていただけなのに、凄い久し振りな気がする。いつも傍にいてくれたからそう思うのかな。
えーと、こういう時は、なんて声をかけるのが正解なのだろう。出陣する時とは違う意味で緊張してきたぞ。
彼女もこちらを見ている。じっと目を逸らさず。
出陣前の着替えの時のように、胸の前で手を重ね祈るような仕草のままで。
ふざけるタイミングじゃないのは分かるけど、変な緊張感でムズムズする。どうしよう。もうかなり近づいた。何か声を掛けなきゃ。
「ただいま。楓さん」
「義輝様のお帰りを一日千秋の思いでお待ちしておりました。お怪我などはございませんか?」
「うん。大丈夫。心配かけちゃったみたいだね」
「はい。とても心配でした。でも元気なご様子。これで夜も眠れそうです」
可愛いなぁ、楓さん。普段のクールさはどこへやら。
これがクーデレのデレか! 三年近くかけてやっとデレか! 次は何年後なんだ?!
多分、馬上の俺と下から見上げる楓さんっていう構図も影響している気がする。
どうやっても上目遣いのようになるんだもん。反則でしょ、それ。
まだ部隊を解散してないから、みんなで一時停止をしている状態。なので、俺だけ馬から降りて楓さんと良い雰囲気になる訳にはいかない。
けど、このまま「じゃあまた後で」と言うのも味気ないしな。
貴重な楓さんのデレタイムを自分から終わらせる心の強さは俺には無い!
「よ、夜も眠れないくらいに心配してたの?」
「そうなんです。眠ろうとすると思い返してしまって。いっそ
普通の人には、一走りでいける距離じゃなかったんだけどね。
それにしても過保護な母親のようなこと言ってないか。しかも、それ俺には言わない方が良い気もするし。多分、俺は覗かれてても気が付かなかったと思うけど。
「心配かけてごめん。眠いようだったら今日はもう休んでいても良いからね」
「ちゃんと義輝様のお世話できますから! それに忍びの者は一晩くらい眠らなくとも大丈夫ですから!」
そこまで力説されると俺が一人じゃ何もできない子みたいじゃないか。ほら、和田さんも藤孝くんも笑ってるし。
「そ、そうか。じゃあお世話お願いします。……あー、えーと、うん。皆、待たせた。出陣の際に使用した広場で論功行賞を行う。行軍再開」
なんだろうな。みんなニヤニヤしてて締まらない歩みになってしまった。最後までピシッとやるつもりだったのに。
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