室町武将史 鬼と呼ばれた男 其の二

幕間 服部正成 伝 天狗か鬼か

 私の一日は、上様がお目覚めになる前から始まる。

 上様の護衛として近侍していなければならぬので、当然のことである。


 最近は平穏そのもので、同じ屋敷内にいれば目の届かないところにいても良いと言われている。だから私は、もっぱら庭で槍を振るう。

 私が誇れるものは槍だけ。上様や仲間のためにも槍の腕を磨かねばならない。


 しかし、最近気が付いたことがある。


 三河にいた頃、大人たちに交じって槍合わせをしていても、相手に引けを取ることはなかった。

 自分では年の割に大柄で膂力があるからだと思っていた。しかし、それは勘違いであったと気が付いた。


 足の運び、呼吸、間の取り方。それらが普通の武士とは違っていたのだ。

 それらは全て、父である服部半蔵保長はっとりはんぞうやすながから指導を受けた忍びの技術だった。

 幼少の頃より、兄弟とともに忍びの技を仕込まれ、知らず知らずのうちに槍を遣う際にも、それが出ていたらしい。


 私自身は忍びの者としての道を進まなかった。そして、その道を否定していた。

 だから武者働きができるよう槍に賭けたというに。


 結局は父上の教えによって、槍でも優位に立てていただけだった。己に才があったわけでもなく、生まれつき恵まれた体格の良さでもなかったのだ。

 それに気がついた私は恥ずかしさを感じるとともに、父上の教えをありがたく思った。父上のように恵まれた体格であるという事実。それもまた


 父上が苦労された忍びの者としての道を歩まず、武士として名を挙げる。当初は、父上を蔑ろにした幕府をそうやって見返すつもりだった。


 しかし、私は父上が歩んだ道の先を進んでいたのだ。父上が過酷な道を歩んできてくださっていたからこそ、私の道はここまで順調に来れたのだ。


 朽木谷に来て、一人で槍を振るっていると、ある時にふと理解したのだ。そういうことだったのかと腑に落ちた。


 人間とは不思議なもので、頭で理解していることと腑に落ちるのとは違うのだ。

 何かが自分に降りてきたように。気が付いたことが、さも当然のように。ああ、そうだったのか、と身体が納得するように。


 それに気がつくまで、私は少し増長していたようで恥ずかしかった。幸いなのは増長して、鼻が伸びきらなかった事か。

 三河の父上の念が届いたのかもしれないな。頼りない私を見かねて伸びかけた鼻をへし折ってくれたのでは、と考えてしまう。



 自分が優れた武勇を持つ男だと思い始めていたが、それに気が付いてからは身を律するようになった。

 夜が明ける前から寝床を抜け出し、野山を駆け、槍を振るう。

 ひたすらに突く、払う、突く、払う。決まった流れを繰り返していると夜空に明るさが増し、やがて夜が明ける。


 朽木谷は山深く、朝は霧が立ち込める。

 日によっては、まとわり付くような濃密な霧になることもある。

 私はそういう霧の方が好きだった。敵を想像して急所を突く。僅かな手ごたえのようなものを感じた気になれるし、槍の軌道が霧を押しのける。僅かな間、押し退けたことにより、霧の中に槍筋が残る。


 上手く突けた時は、想像した敵の首まで綺麗に槍筋が伸びるのだ。それができると後は乱戦を想定して槍を振るう。突く、払う、打ち下ろし、斬り上げる。石突を使ったり体術も交えて想像した雑兵どもを打ち倒す。


 楽しい。いくらでも思ったように身体が動く。そして思う前に身体が動き出す。自分でも予想しない体制からの打ち払い。敵の足を払い、その流れでとどめを刺す。


 この間は興が乗って随分長いこと暴れまわってしまった。そのせいで麓まで下りていたようで、猟師の子供を驚かせてしまったのだ。想像上の敵との戦いに夢中になりすぎて気配を読むのを怠ったせいだ。

 それも含めて反省したものだ。それの代償というべきか、その猟師の子供に付きまとわれるようになってしまった。


「ねえねえ、お侍様は霧の中に住んでいる天狗様なの?」

「霧の中に住むとな? あれは霧の中で修行していただけだ。それに天狗は止めてくれ。あのように鼻は伸びておらん。よく見ろ。叩き折られて普通の大きさであろう?」


 あの遭遇から数日後、驚かせてしまった猟師の子と山の麓で出会った。

 そうしたらこの質問だ。上様のお側に仕えている武士だというのは知っているだろうが、随分懐かれたものである。


 不思議な質問をしてくる子だが、先日の出来事の衝撃が大きかったということだろう。少し意地悪な気持ちが沸き起こり天狗じゃない証拠とばかりに顔を近づけ鼻を見せてやった。


「? 良く分かんないけど、天狗様じゃないのか。霧の中で何かが飛び回っていたから、おいら天狗様が隠れ鬼(かくれんぼ)をしているのかと思ったよ」

「天狗が隠れ鬼か。それは天狗なのか鬼なのか。坊、面白いではないか」


「さっきからお侍様の言うことは、良く分かんないや。弥助にいちゃんみたいに分かりやすく話してよ」

「ああ、坊は猿飛弥助さるとびやすけ殿と良く一緒にいる子か。そういえば、あの御方はいつも屋敷におらぬ」


「弥助にいちゃんは、お仕事だって言って、いつもお世話している猪を抱っこしたり、スリスリしているよ。弥助にいちゃんって変だけど面白いんだ」

「そうか。お仕事なら仕方ないな。坊、驚かせて悪かった。今後は気を付ける」


「良いよ! 隠れ鬼のお侍さん、またね!」


 猿飛殿と良くいるせいか、武士に対する恐れを持たぬ子だったな。まあ、子供は多かれ少なかれ、あのような態度になるやもしれんが。


 ふふふ。天狗が霧の中で隠れ鬼とはな。なかなか面白い。

 しかし、隠れ鬼の侍では、遊んでいるようだな。

 鬼か。敵に鬼と恐れられるくらいに武勇を誇れると良いのだがな。


 それに天狗にはなりたくないからな。鬼と呼ばれなければ。

 そう畏怖されるよう槍の修練を励むとするとしよう。今度は坊を驚かさぬようにな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る