外の世界

第四十五話 不穏な知らせ

 天文二十四年(1555年)。そして弘治元年となった年。

 ついに二度目の川中島の戦いが起きた。

 信濃国善光寺の国人衆が武田方へ寝返ったことにより、緊張が高まり、武田勢は弥生(3月)、長尾勢は卯月(4月)に再び川中島に集った。


 お互い相手の動きの読み合いで陣地取りを繰り返し、ぶつかり合うことも無く三か月が経つ。まさに停戦斡旋の出番と読んだ俺は、忍者営業部を通じて武田家、長尾家の両者に停戦の仲介をする旨を伝えた。


 しかし、その話を持って行った数日後、長尾勢が突如、犀川を渡り攻勢をかける。もしかすると、俺が和睦話を持って行ったので、武田家の気勢が削がれたのかもしれない。


 長尾景虎は、その気配を察知して停戦斡旋の返事をする前に攻撃を仕掛けたのではないかと。しかし、武田信玄もさるもの。大きく崩されることなく、弾き返す。

 これも俺の予想だが、停戦の話で安堵している空気をわざと作ったのではなかろうか。長尾家を渡河させ、退路を断ち包囲殲滅を狙ったのではと。


 両者とも俺の動きをこれ幸いと仕掛けるキッカケを作り出したように思える。


 結局、痛み分けで大きく戦況が動くことも無く、にらみ合いに戻った。

 そこで再度、声をかけなおすと幾分態度が軟化してきたらしい。和睦条件に付いて話が進むようになった。


 現地で動いている忍者営業部からの報告からでは、武田家は本拠地である甲斐国甲府から遠く、補給に難があり、長期対陣は苦しそうとのこと。

 対して長尾家は、相変わらず家中が落ち着かないようで、越後を長く空けている状況によからぬ考えを持つ輩が増えているようだ。


 思うんだけど、これ絶対、武田信玄の策略だよな。去年の北条きたじょう何某の反乱も、この人が裏で糸を引いていた可能性があるって報告あったし。対陣して膠着こうちゃく状態になってしまえば、何か変化を生み出すには必要なことだろうし、ズルいとは思わない。

 けど怖いな。信玄さんと戦う時、思いもよらぬ所から刺されそうだ。俺はそういう策略というか謀略みたいなの苦手なんだよな。どうしても目の前のことばかり気になっちゃって。


 そうやって色んな方面から敵の戦力を削ぐのも才能なんだろうなぁ。まあ、武田家も甲斐守護の伝統ある家柄。幕府とも相性が良いはずだし、仲良くしておこう。



 川中島からの戦況は、日を追うごとに続報が入ってくる。

 俺は、楓さんからの指導を受ける日々を過ごしながら、それらの報告を受けていた。

 朽木谷に逼塞してからというもの、意識が入れ替わったせいで出来ないことが多く、楓さんに指導を受けていたのだ。

 字の読み書き、馬術、軍学の勉強、武家言葉や作法などなど。


 立場上、気軽に出歩けないので、こういった習い事の日々である。毎日何かしらの習い事に追われる現代っ子のような忙しさである。

 そのおかげで楓さんとの距離が縮まったから良いんだけどね。といっても、具体的に何かあったわけじゃない。そういう気がするというだけなんですよ。ヘタレですみません。


 でもね、小笠原さんが朽木谷に来て間もないころ、馬術や弓術の指導をしましょうかと提案されたのだが、もう少しうまくなってからと断ったんだ。何となく楓さんが悲しそうな顔をしていた気がしたからなんだけど、あれは良い判断だった気がする。


 楓さんがその後の馬術指導でとても張り切っていたから、きっと喜んでくれたんだと思う。そのせいで、何度も何度も落馬の危機を迎えたが、何とか重大な事故が起きずに済んだ。

 その後、ある程度馬に乗れる自信が付いたので、小笠原さんが戻ってきたときには、小笠原流弓馬術と礼法も学ぶようになった。武家として修めるべきものだからだ。

 これにより、さらに忙しくなったのだが、それは仕方ないと諦めた。



 そして話は川中島に戻る。長月(九月)。それは川中島の戦いの当事者ではない別のところでの出来事。

 越前の戦国大名である朝倉家。その宿老で越前の軍神とも呼ばれた朝倉宗滴あさくらそうてき(朝倉 教景)が亡くなったらしい。彼は朝倉家において軍事面を一手に担い、加賀の一向一揆勢との戦いに明け暮れていた。

 今年になって一向一揆勢と戦うことになったのは、長尾景虎の要請によるものらしい。朝倉家は加賀一向一揆勢と長いこと争っていたから、朝倉宗滴はこれを受諾。

 しかし、その最中の不幸であったという。


 この加賀一向一揆が動き出したのは、やはり武田信玄の策謀の匂いがするという。信玄さんは、一向宗本願寺のトップである本願寺顕如ほんがんじけんにょと義理の兄弟らしいのだ。

 そして加賀は長尾家の本拠にも近い。川中島の戦いに臨む武田信玄が、長尾家の戦力を削ぐために企てていても不思議ではない。


 そう言った背景もあり、加賀一向一揆勢の抑えとしていた朝倉家が引き下がってしまったことで、長尾家の尻に火が付いた。

 このまま川中島に主力が張り付いていると、本拠地の周りが騒がしくなる。


 この当事者以外の武将の死。意外にもこれが原因で川中島の戦いが終わる。

 双方、あっさりと停戦に合意して兵を引いた。停戦の条件は犀川を境にすること。


 この度の停戦の主導は幕府である。大規模な合戦であり各地の大名たちも注目していた。そのおかげで幕府の存在感を示せた。謝礼も武家官位と同じように甲州金と越後の青苧。これは両手取引のように両者から謝礼を頂けてかなり儲かった。

 もともと、武家官位の任官でのやり取りもあったから、取引はスムーズであった。


 長尾家には米を売って青苧を引き取る取引をしていたので、長期対陣には望める体力はあったが、一向一揆勢の抑えが無くなるという結末は如何ともしがたかった。



 他方、安芸国毛利家でも大きく動いた。

 ついに大内家の実質的権力者である陶晴賢すえはるかたを厳島にて打ち取ってしまった。戦力差では、大内家が圧倒的に有利で、どう見ても毛利家が勝つとは思えなかった。

 これで負けてしまっては、俺の知っている大毛利にはならないのだから当然と言えば当然。それでも勝てる戦力差とは思えない状況だったのだ。それをひっくり返した、毛利元就もうりもとなりの手腕。恐ろしい。


 これで俺の知っている歴史に近づいているように思える。やはり毛利もマークするように、忍者営業部へ指示していたことは間違いではなかった。今後も要チェックである。

 もしかすると、守護職の任命にまで及ぶかもしれない。それほどに中国地方の勢力図が変わりそうな出来事だった。



 このように遠方での出来事に気を取られている俺に身近なところから手紙が届いた。

 隣国で蔵を貸してもらっている若狭武田家の嫡男 武田義統たけだよしずみさんからである。

 何とその内容というと……『本格的に嫡男の座が危うくなってきた。廃嫡されるかもしれない』と。

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