第四十四話 天文二十三年という年②

 この年、逆に上手くいかなかったのは、停戦斡旋である。考えていた以上に大規模な合戦に至ることが無く、第三者の斡旋が必要なほど、いがみ合うような状態にはならなかった。

 停戦というのは両者の力が拮抗しないと交渉にならない。

 今年の合戦では、勝つために入念に準備して、そこが順当に勝ったという印象で幕府の出る幕はなかった。


 他の事業は悪くないといった感じ。写本事業部も硝石製造事業も大きく成長とはいかないが、順当な推移。その中でも成長したのは、楓さん発案の西陣巾着である。忍者営業部が拡大するに従い、行商で扱う商品の増産が急務であった。そこで忍者営業部の奥様方に依頼する内職仕事が増え、甲賀の人々が裕福になった。


 この流れが波及して、忍者営業部への加入希望者が伊賀、甲賀から増えたことで、さらなる好循環を生み出している。

 すでに忍者営業部は、西は中国地方や四国、東は関東や越後に至るまで人員を配する規模になっている。


 硝石製造については、厠の土から作り出す方法は進んでいるが朽木谷の土は使い切ってしまった。効率が悪いのではと気にしていた家屋の床下の土でも、十分に硝石を作り出せるのが幸いだった。

 これは古い家屋でないといけないので、材料が有限なのには変わりない。ただ、この時代の家屋は平屋が基本であるため建坪が大きくなりやすく、農民の家であってもそれなりの広さがある。

 そのおかげもあって、床下の土が獲れる量も多く、一般的な農家の家でも一軒当たり五貫(18.5㎏)ほどの硝石が作り出せた。これは、二千三百発分の硝石量となる。


 作り出せた硝石の量を見ると、とても効率の良いように思えるがこれを作り出すために運び出した土は六百貫(2220㎏)にものぼる。つまり煮込んだ土の1%にも満たない量しか取り出せないのだ。

 この苦労が伝わっただろうか。是非とも伝わって欲しいものだ。


 それに二千三百発分の硝石量と言っても、百人で撃てば二十三発分である。修練で簡単に使い切ってしまう程度なのだ。ちなみに鉄砲隊十人の場合は半月と持たない量である。



 このような作業を行うには、俺と楓さんだけでは手に余った。屋敷の床下の土を運び出すという作業の性質からも朽木谷の領民にバレてしまうことが明白だったので、朽木の爺さんに正直に話した。そのうえで、手の空いた領民に日当を払って土の運び出しから、煮出しなどの工程もお願いした。

 もちろん、俺が領民の前に立って指示するわけにもいかないので、楓さん頼みとなった。


 これらの朽木谷製造分は、谷で保管している。

 清家の里でも製造していて運ぶ必要は無いし、備えという観点では、朽木谷の方が大事だったからである。


 清家の里で行っている硝石製造は単年で作り出せるものではないようなので、まだまだ先になる。

 代わりに忍び火薬を買い取っているが、この分は試射と幕府歩兵隊の中から選抜した銃兵隊の練習で使い切ってしまっている。


 この忍び火薬については、忍者営業部の拡大によって生産が減っているという痛し痒しの状況が発生してしまった。

 忍者営業部に加わる忍家が増えているが、忍者営業部の仕事には火薬を用いるような遁術は必要ないので、当然のように生産量が減ってしまったのだ。


 幕府が戦いに赴くようになると、荒事も発生するので、このバランスが難しい。

 今のところ、人の糞尿だけでなく、蚕の糞でも発酵が進んでいるとのことなので、いずれ生産量が増大すると見込まれているのが救いである。

 その生産方法で硝石が作れるまでは外縁部の村の厠や家屋の床下の土から煮出す製法を取ってもらっている。

 これのおかげで朽木谷と同量程度は備蓄できた。


 畜産事業は、猪だけに絞ることにした。野兎も繁殖させることには問題ないが、肉を取るのに手間がかかる。この事業の目的は肉食による身体作りと糞尿を集めることだった。その観点からすると猪と野兎の両方を育てる意味はないという結論に至った。


 俺からすると兎肉より豚肉の方に興味があったということも少しだけ影響している。


 この猪肉は、長期保存や美味しく食べる方法を研究している(主に俺が)。

 今のところ、以前から行われていた味噌漬けが一番うまい。味噌に漬けることで臭みが減り、柔らかくなった。そのままの肉を焼いたのと比べると雲泥の差だった。


 もう一つの長期保存用として、ポークジャーキーのようなものを作った。現代のように調味料が安くないので、すりおろした生姜に漬け込み、塩漬けにしただけのもの。あとはそれを干物のように干すのだ。

 現代の物より風味が足らない気がするが、十分に美味しい。肉が食えるというのは幸せなのだ。


 この干し肉は、清家の里にも送って試食と感想を求めた。当初、肉ということで何となく避ける感じがあったようだが、猪肉を食べたことのある人たちが手を付けると他の面々も試食してくれたらしい。


 思いの外、好みに合ったようで干し肉の生産を決定した。この干し肉はそのまま食べても良いが、鍋や粥に入れたりすると調味料のようにも使えて重宝するのではという意見も得られた。これは糧食としていけそうだ。


 詳しく聞いてみると、どうやら合戦では芋茎ずいきと呼ばれる里芋なんかの茎と葉の間の部分、つまり葉柄を味噌で煮て干したものを糧食として持参するのだそう。これを縄のように編んで腰に巻いて移動するのだとか。中々シュールだと感じるのは俺だけだろうか。


 まあ、それはともかく、そのように干したものを戦地では刻んでお湯に入れればみそ汁になるし、雑炊に入れて具材や味付け代わりになる。マストアイテムと言えるほどに重宝されているので、同じ使い方も出来る干し肉は充分に価値があるらしい。

 むしろ、そのままでも火を使わずに食べられるので便利そうという意見があった。


 これで少なくとも幕府軍で肉食の推進ができそうである。俺も肉も食えるし万々歳だ。



 この一年は、飛躍のための準備段階とも言えた。翌年以降はさらに大きく強くなるために必要だったのだ。朽木谷に籠っていると、世の中が動いているのに、その流れから自分だけ取り残されている気がしてならなかった。強い者はより強く、金がある者はより金を得て、支配を強化している。


 世間一般からすれば三好家が隆盛していくのと対照的に、幕府は日に日に存在感が薄くなる。俺は、それに耐えながら皆の働きを見守るくらいしか出来なかった。


――――――――――――――――――――


次幕の「外の世界」から主人公と外の世界との関わりが増えてきます。

この辺りが歴史から少しずつズレが生じてくる転換点になります。

明日以降の更新をお楽しみに!

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