第四十三話 天文二十三年という年①

 後で振り返ってみると天文二十三年(1554年)というのは、有名大名の戦ばかりだった気がする。

 まず大きく動いたのは毛利元就もうりもとなり率いる毛利家。下剋上を成し遂げた陶晴賢すえはるかたが実権を握る大内家との手切れ。そして大内家の内乱に乗じる形で大内領に侵攻。


 この動きを受けて、九州の大友家は毛利家と対立を深めた。大内家の当主である大内義長おおうちよしながは、その大友家から養子として入っていたのだ。

 これで新興の毛利家は大内家、大友家と二家の大国と敵対するわけだが、大内家はまとまりが無く、毛利家が優勢。大友家とも大きなぶつかり合いは無く、結果的に毛利家の独り勝ちとなった。


 敵が強い云々ではなく、総大将の毛利元就の資質がこの混迷極まる戦乱において、しっかりと勝ち筋を掴んだのではなかろうか。和田さん曰く、元々は大内家や尼子あまご家に従属するような家だったらしい。

 最終的には、中国地方の雄となっていたのは知っていたが、そんなに厳しいスタートから成し遂げたのだとは知らなかった。


 俺にも優れた資質があれば、毛利家のようになれるのであろうか。……資質とは、なんぞや。

 今になって軍学書やらを学んでいるような俺にもあるのか? はなはだ疑問である。



 別の地域に目を向ければ、播磨はりまでは三好家と明石家が争い、地力の差で三好家の優勢のまま推移している。

 この明石家は赤松家に従っており、赤松家は細川晴元陣営である。つまり幕府の味方が負けそうなのだが、どうしようもない。


 停戦の話をしたところで、幕府に明確に敵対している(発端は幕府陣営が三好家を敵視しているからなのだが)三好家がわざわざ従うこともないだろう。

 三好家の方が力もある。余計な口出しをすれば朽木谷に逼塞していることで許されている立場すら危うくなる可能性すらある。


 仮に三好家が負けそうなら、まだ話に乗ってくる可能性はあるが、そうなると幕府が停戦を主導する意味もなくなる。停戦斡旋とは難しい。



 尾張では織田信長さんと今川義元さんの小競り合いがあったし、越後の長尾家では北条高広きたじょうたかひろが謀反。


 これには、武田信玄が唆したらしいと忍者営業部から報告があった。直接戦わなくても、相手の力を削げるんだね。まともに合戦の指揮すら怪しいのに、そんな搦め手まで出来る自信は無いんだけど。

 いや、何事も正道を抑えているからこそ、奇策が活きる。焦ってはいけないと自分を戒めた。



 話は変わるが、この一年で幕府の収益に関しては、かなり伸びた。

 特にうまくいったのは、武家官位の任官と火縄銃の製造販売。


 相も変わらず、合戦は日ノ本に溢れかえっていて、褒賞目的や支配の妥当性を得るために需要が高かった。


 そして火縄銃の販売。昨年から火縄銃製造事業部を立ち上げて、月間生産量百丁を目指した。

 これに関しては、複数名の職人を勧誘できたことにより春先には余裕でクリアできる体制が整った。しかし、今後大きく生産量を増やすには、後進を育てなければならないと判断。

 職人たちの生産量は月に百丁までとし、残る時間を後進の指導に充てた。


 その結果、後進の人たちが出来る作業の割合が増えたので、生産目標の百丁は維持しつつ、職人の手が空く時間が増えるという状況になる。

 そこで、その手の空いた時間でライフリングの研究を進めてもらうことになった。

 まだ時間は必要だろうが、良い結果が出てくれることを祈っている。なお、銃身に溝を付けること自体は時間をかければ出来るとのこと。まだ弾丸が完成していないので、どれくらいの螺旋を描けばよいのか確認が出来ていない。



 火縄銃製造事業部では、スタート以来、だいたい千丁ほどの火縄銃を作り出した。

 この完成品は、ほぼ全てを売却している。まだまだ完成度が高まるという目算と材料の調達費、火縄銃製造事業部の拡大のための資金源とするためである。


 市場では五貫~六貫で売買されている火縄銃であるが、清家の里製の清家筒せいけづつは名も知れぬということで下値の五貫での販売となってしまった。

 建前上、幕府が斡旋しているが、幕府のお墨付きを与えている訳ではないので、信用が低いということだろう。もしかすると新興の火縄銃産地ということで足元を見られたのかもしれない。


 何事も黎明期の苦労はあるものだ。価格については甘んじて受け入れた。その代わり、輸送については購入者に任せることで、余計な手間と危険負担を無くした。

 幕府には、大量の火縄銃を運ぶ伝手がないし、海路、陸路どちらにしても紛失や破損などの故障が付き物である。それを先方負担にすることで、余計な手間とリスク回避を図った。


 それに、この方法であれば、忍者営業部が営業をかけて発注を受け、清家の里で出荷の準備さえすれば良いので、遠方でも営業をかけやすいという利点もある。


 それらの事情があったものの、火縄銃の販売で五千貫の売り上げとなった。これは、原材料さえ仕入れられれば、来年以降もその売り上げが見込めるということでもある。

 これにより、今後どの事業に資金を割り振るか、計画的に予算を組めるようになった。これも大きな進歩だ。


 火縄銃製造事業部の後進たちの裾野が広がれば、生産量は増える一方。今年得られた資金で清家の里に人員を追加できたし、この人たちが戦力になれば、さらに増産が見込める。順調に年間三千丁という目標に向けて進んでいる。

 火縄銃製造事業部は五十名という大所帯。これは銃兵隊や歩兵隊に配置転換された後の職人と職人候補生の人数である。



 売らずに残した火縄銃十数丁は銃兵隊用だ。予想していた通りではあるが、銃兵隊の適性がある人は多くなかった。火縄銃も火薬も貴重なので合格ラインを高くしたことも要因の一つと言える。結果として通過できたのは十名のみ。


 この中でトップ通過は、杉谷善住坊すぎたにぜんじゅうぼうさん。彼だけは外のメンバーとは明らかに別格らしい。他のメンバーも修練を積めば滝川さんを超える才を見せているそう。


 銃兵隊は完成品の試射と各自に貸与している火縄銃で定期的に修練を積んでいる。彼らは高い技術を持つ人たちだから、ライフリング関連が完成したら、狙撃隊にしたい。ただでさえ、一般的な銃手の倍の有効射程を誇るのだから、これを活かさない手はない。


 幕府歩兵隊の人員は三十名と思ったより多くなった。生産職に向かなかったり歩兵隊を希望する人が多かったせいだ。

 彼らは滝川式ブートキャンプを朝から晩まで受講している。この人数に滝川さんの甥御さんである滝川益重さんが付きっ切りでトレーニングをしているのだから、サボりようがないので、相当ハードだ。でも彼らは嬉々としてトレーニングに励んでいるらしい。

 因みに彼らは常備兵なので、給料を支払っている。衣食住を幕府持ちで、年に五貫(50万円)。とても安い。

 武具も支給されるので金の使い道がない。これでも充分過ぎると感じているようだ。

 三十名の給与は年額百五十貫。この位はなんて事ないと思えるほど、幕府の収益は安定している。


 この歩兵隊訓練には、益重さんの息子さんも隊士として参加している。服部くんとも仲良しで槍の訓練を一緒にやっているとのこと。


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