第四十二話 動き出す歯車
先日発生した丹波の事件では、非常にまずい状況になってしまったのだが、今のところ身の回りで大きな変化は起きていない。
まあ、気になる事といえば、当事者の
それと、これからもよろしくだって。俺としては、物騒な人とあまりよろしくしたくないなとか思っちゃったり……。
あと、自分の通称を決めたらしいですよ。それもお手紙に書いてありました。
その通称は
とりあえず彼には、「お手紙ありがとう」くらいで終わりにしておく予定。特に何かするわけでもないし。
ただし、細川のおっさんには苦情を申し立てた。最初こそ驚いたような顔をしていたが、だんだん不機嫌となりそれっきり。わかってはいたけど謝罪のようなことも無く余計なことに口を出すなと言わんばかりの態度だった。
今まで、義藤は三好とともに細川のおっさんに敵対したり、逆におっさんの言いなりのように従ったりしていたから、何をいまさらという思いがあるのもわからなくはない。力も無く、何も行動してこなかったのに、都合が悪いと文句を言うのは筋違いだろう。
だがしかし、身分制度上では俺の方が偉い。今さらだと言われても、ダメなことはダメと言わねばならんのです。
それが利いたのかどうかわからないが、翌月には俺の官位が上がった。
あったのは、細川のおっさんがご機嫌伺いに来たくらいだ。あのおっさんは、さも自分の手柄のように話をしていた。実際、俺の官位を上げる話があったところに、細川のおっさんがせっついたらしい。
これで俺に恩を売ったと思われるのは何か癪だったが、上がって悪いことでもないので、その話はそれで終わったのだが……。
帰り際に、おっさんが妙なことを言い出した。昇官の御礼として朝廷に送った書状で俺が改名すると伝えたらしい。三好家との間で続く敵対関係に終止符を打つべく、気分を一新して奮起しようという意味らしい。なんかそれっぽいことを言うだけ言って去っていった。
正直、俺には名を変える意味がわからなかった。相変わらず良くわからないおっさんである。
他の幕臣の人たちは昇官を純粋に喜んでくれたので、そのお蔭で少しくさくさしていた気持ちが落ち着いたものだ。
改名話については、幕府のナンバーツーが朝廷に対し、公式に書面で通知してしまったし、その上でやっぱり止めますというのも、組織の体面上悪い気がする。
名前を変えること自体は別に良いんだけど、一体何がしたかったんだろう。藤孝くんに相談してみるか。
「藤孝くん。細川のおっさんが名を変えたら言ってたけど、あれ何なの?」
「あの御方のお考えは分かりかねます。問題は上様のご意思を無視して動いていること。先日の意趣返しで自分が主導権を握りたかったのかもしれません」
「この間、勝手なことをするなと注意したもんね。それのお返しにもっと大掛かりに好き勝手やるとは。あのおっさんの考えは確かにわからん」
「もしや上様が主体的に動き出すと、この逼塞生活を嫌って三好家と和睦すると考えたのでは? そうなれば細川晴元殿が単独で三好家と戦わなければならなくなります」
「流石にそんな節操ないことはしないでしょ? でもそれが改名と何の関係が?」
「そういう動きは政治闘争の場では日常茶飯事ですし、細川晴元殿もそういう事をされてきた御方ですから。上様の御名(諱)は朝廷より授かりしもの。それをこっちの都合で一方的に変えると伝えれば良い気はしないでしょう。そして和睦や停戦の斡旋は、幕府だけでなく朝廷も行うのです」
「なるほど。つまり朝廷を怒らせて和睦の仲介をしないようにした訳ね。将軍より上位なのは朝廷だけだから。俺が和睦する口実を潰してしまおうと」
「邪推かもしれませんが。これで上様の三好家敵視の路線を変えられないようにする狙いがあったのではと。上様の改名であの御方が得するようなことはありませんから」
「まったく面倒なことを。かと言ってやっぱり改名するの止めますなんて言えないしね」
「恐らくそのように弁解しても気を悪くさせた事実は消えないでしょう。それにあの御方が、この程度の動きを予想していないはずがありません。動いたところでもっと狡猾な手段を取ってくる恐れが」
「癪に触るけど、俺らが良いように翻弄されたと思わせておくのが吉ってことね」
「今はそれくらいしか出来ることはなさそうです」
「じゃあ改名するしかないか……」
改名ねぇ。おっさんは、名を変えて気分を一新とか言ってたけど、それって何だか再起を図る芸能人みたいだなぁ。名前を変えるイベントって、やっぱりアレだよね。あの名前に変えろっていう歴史の力が働いてんのかね。ちょっと抗ってみようか。
「うーん、改名ってことは、"義"か"藤"のどっちかを変えるんだね。藤孝くんたちに"藤"をあげてるし"義"の方を変えようかな」
「お待ちくだされ! それはなりません!」
三淵さんや一色さんにも"藤"の字を上げているので、変えてしまうのはどうかと思って言ってみたんだけど、すっごい怒られた。
色々と考えてみた結果だったのに、何かマズかったらしい。
「"義"の字は変えちゃいけないの?」
「左様にございます! "義"の字は足利将軍家ひいては源氏たる者の証。"義"は、その証明たる通字なのです。"義"を名乗るのは由緒ある武家の証明でもあるのですよ」
通字なんて知らなかった。代々引き継ぐ漢字って意味合いらしい。足利家などのルーツである清和源氏の流れであることを表しているのだそう。
テスト勉強で歴代将軍を覚える時に、同じ漢字を使った名前ばかりで覚えにくいなと思っていたけど、そう言う理由があったなんて。
徳川将軍って家なんとかばかりで覚えにくかったよなぁ。当時は分かりやすい名前にしてくれと思ってたけど、そんな重要な意味があったとは。
ややこしいのは、藤孝くんたち。義藤という俺の名前の後ろの漢字である"藤"をあげた訳なんだけど、偉い人から偏諱を受けると、前の漢字を置き換えて使うらしい。後ろに付けるのは失礼という理由だそうだ。だから、細川藤孝、三渕藤英、一色藤長となっている。
ということで、"義"は確定で、”藤”の方を変えることになる。でもさ、もう決まってるよね、これ。歴史上の剣豪将軍、足利義輝。俺、清家和輝。”輝”しかないじゃん。
着々と歴史の流れに乗っていますね。あえて義和にしたら歴史変わって殺される運命から逃れられたり……な訳ないよな。そもそも今の段階で義輝という名は存在していない訳で。そこで字を変えてみたところで、名前が置き換わるだけで何も変わらないのだから。
漢字を変えてみたからこれで安心なんて、どんだけお気楽なんだって話ですよ。
はい、そこ。そもそもお前は、お気楽じゃないかという指摘は受け付けておりませんよ。
歴史に意思があるか分かんないけど、義輝にしたうえで、どうにかしろってことなのかな。俺の名前も和輝だし、何かしらの意図があるように思えてしまう。
「わかった。では、本日を以て
「御改名、おめでとうございます。幕臣一同に代わりまして、さらなる忠節を誓いまする」
また一歩、将軍殺害事件という未来に近づいた気がする。これで名前の整合性は整ってしまった。このあと三好とどういう風に関わっていくかはわからないけど、歴史通りに動くと殺される運命が待っている。
俺は歴史の流れを知らないから、どう動いたら歴史通りなのかわからない。歩んでいる道が殺害ルートなのか、回避ルートなのか分からないのだ。
これでは、まるで一つ一つの意思決定がロシアンルーレットのようだと感じてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます