第九話 楓からみた義藤


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 私の仕事は貴人の警護である。

 普通であれば、貴人の側にはべられるのは身分の高い武士や小姓だけ。

 身分の高い武士が常に貴人の側にいられるわけでもなく、小姓は男色のお相手も兼ねていて線の細い見目麗しい者が多く、これもまた警護には向かない。


 対して女中は、戦陣には付き従えないが、屋敷の奥でも表でも、顔を出しても不自然ではない。

 また貴人を害する意図を持つ者も女子であれば油断しやすい。


 そういった状況を踏まえ、女忍び、通称くノ一は貴人の警護を任務とすることがある。


 もちろん、仕事の重大性を鑑みて腕の立つ忍びでなければならない。

 そこで白羽の矢が立ったのが私である。


 和田家当主の妹として厳しい忍術修行を課された私であれば、そうそう後れを取ることはない。


 しかし、しかしだ。

 貴人というのは、いけ好かないやつが多くて困る。


 特に、現在の護衛対象である足利義藤という輩。

 我ら忍びの者を蔑み、武士にあらざる者として兄上に忍びの技を捨て武士らしくせよと命じたらしい。


 それを聞いた私は総毛立った。

 おそらく人に見せてはいけない顔をしていた気もする。


 誰が暗殺を防いでいると思っているのだ!

 そもそも、あの阿呆将軍は忍びの技のお蔭で安穏と暮らしていれるのだぞ。


 数年前には自陣営が三好長慶を暗殺しようとして失敗。

 暗殺が露見し、逆にその事で三好に脅され、朽木谷へ逃げたというのに。


 まったく。武士のくせに情けない。

 自分たちが暗殺をしようとしているのだから敵だって暗殺を狙うのは当然だろう。


 しかし、あの阿呆ときたら自分は殺されないと高を括っている。

 我ら甲賀衆が離れているときに襲われれば良いのに。



 そして最近、耳を疑うことを言われた。

 つい昨日のことだ。


 兄上からの指示で京から朽木谷に向かうように指示されて帰ってきた日だ。

 屋敷の掃除や炊事の準備をしていると、チラチラと視線を送ってくる阿呆。


 その怪しい仕草に寝所に誘おうとしているのかと一瞬頭をよぎったが、すぐにその考えを否定した。

 私は殿方が好むような、ふくよかさとは対極にある細身な上に、そこらの殿方よりも背が高い。

 一般的な女子としての魅力の尺度からすると低いってもんじゃない。


 幸いなことに阿呆将軍は、馬鹿みたいに背が高いので、私であっても気にならないかもしれない。

 かと言って求められたい訳ではない。断じてない。が、相手にされないのも癪に触る。


 自分でも面倒臭いと思わぬでもないが、これは私の女子である証でもある。

 こればかりは、どうしようもない。


 何にせよ、魅力に乏しい私が夜伽に求められることはないだろう。



 そういう事情もあるので、きっと私の仕事ぶりを確認して粗探しをしているのではと殊更気を付けて仕事をこなした。

 程なくして、そろりそろりと近寄って阿呆は何て言ったと思う?


「あのー、お茶淹れてもらえませんか?」だと!

 あの阿呆は自分で言った言葉を忘れたのではないだろうか。

 私は、あの阿呆に言われた言葉を一生忘れないだろう。



 側に仕え始めたばかりの頃の話だ。

 その時も茶を淹れろと命じられて、茶を点てる準備をしていたところ、ニヤニヤしながら近づいてきて、こう言った。

「ほう、下賤な者にも茶の点て方が分かるのか」と。


 その時はまだ愛想笑いでやり過ごした。

 忍びは下賤な者であるという風潮は理解していたし。

 流石に直接言ってくる神経はどうかと思ったけど。


 私はキッチリ作法通りに茶を点てると、阿呆将軍は難癖を付けることが出来ず悔しそうにしていた。

 だからか、渡された茶に口をつけたフリして、皮肉を言ってきた。


「ふん、貧乏人の淹れる茶は薄くて敵わん。もうお前には頼まぬ」


 その時、ぶん殴らなかった私を褒めてもらいたい。

 私も随分大人になったものだと今でも思う。


 もちろん、仕返しはした。

 寝静まった夜に寝所に忍び込み、履き古した草履で頭をはたいてやったのだ。

 明くる日の早朝、挨拶に出向いたら頭が埃だらけだったので、笑わぬようにするのに苦労した。


 宿直の侍にも気が付かれず完全犯罪である。

 これぞ忍びの技。

 陰警護をしていた忍びもいるが、昼間のことを知っていた同僚は見逃してくれた。



 そんな事があった私に茶を淹れろと言ってきたのだ。

 正気かと疑ってしまい、思わず返事が遅れ、変な間が出来てしまった。


 阿呆は「それじゃあよろしくね」とヘコヘコしながら自室へと戻っていった。

 また薄いと言われぬように、徹底的に濃くしてやろうと思い至ったのは当然のことだろう。


 抹茶を一匙増やしても、味音痴であれば気が付かないかもしれない。

 いっそ濃茶の倍の量の抹茶を入れてしまえば、どれだけ阿呆でも気が付くだろう。

 そう思い至った私は、茶杓にこんもり山盛りとなった抹茶を六杯入れた。


 濃茶は練ると形容されるほどに濃い。

 それの倍量の抹茶を入れたものだから、ギリギリ液体かというくらいに粘度が増した。

 ちょっとやりすぎたかなと思わないでもなかったけど、もともと嫌われてるしと開き直って、素知らぬ顔で出してやった。


 茶を持ってきた私を見て嬉しそうだった阿呆は、茶碗の中身を見て固まっていた。

 それはそうだろう。

 飲むと形容して良いのか悩むほど固体に近い液体。

 苦み、渋さ、味など飲まずともわかる。


 それをあやつは、いただきますと意を決したように一気に飲み干した。

 うん、粘度のせいで、あれをすぐに飲み干せないのは拷問に近かったように思う。

 少しだけ同情してしまった。


 いくら何でも以前の仕返しだろうと気が付くだろうし、それをなじると思っていたのだ。

 だと言うのに、阿呆は驚いたことに全てを飲み干し、涙目になりながら美味しかったと言った。

 余りの邪気のなさに頭がおかしくなったのではと心配になるし、やり過ぎたかと反省してしまう。


 褒められると思ってなかったから、ついつい可愛げのない返しをしてしまった気がする。

 ビックリして、何て返事をしたか覚えていない。


 なんか変だ。私に礼を言うような殊勝なやつではなかったはず。

 戦に出てから人が変わったように思えるが、そんな短期間に人が変わるわけもないのに。


 きっと私を追い出す口実を見つけたと、ほくそ笑んでいるに違いない。

 なんせ朽木谷へ帰着した際には出迎えに来て、今日は休んで良いとまで言ったのだ。

 そこまでして私を追い払いたかったのであろう。


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