新人が入ってくるのって緊張するよね

第八話 待ち人来る

 和田さんを含めた打ち合わせをしてから数日。

 朽木谷にたくさんの荷車が届いた。


 そして待ち焦がれていた、あのお方も。

 到着の報告を聞いて、思わず屋敷を飛び出し迎えに行ってしまったほどだよ。


「上様、只今帰着いたしました。女中仕事を蔑ろにしてしまい、ご不便をおかけしました」

「仕方ないさ! 幕臣たちの屋敷を回って書籍や私財を回収してきてくれたんでしょ? 和田さんから聞いてるよ」


 ああ、楓さん。

 予想に違わず奇麗でした!

 黒髪ロングのモデルさんって感じだね!


 話し方に抑揚がなくて、少し冷たい感じがするのも悪くないです。

 ちょっとお兄さんの和田さんのように距離感を感じるのは、かつての俺のせいなんだろうな。


 これから少しずつ距離を縮めていく必要がありそうだ。


「今日のところはゆっくり休んで明日から頼むよ」

「いえ、お気遣い結構です。私も曲がりなりにも武家の子女。お役目は全う致します」


 長旅で歩き通しだからと気を遣ったつもりだったのだが、ピシャリと断られてしまった。

 重ねて休むように言おうかと思っていたところで藤孝くんが困惑顔で近づいてきたため諦める。


「上様、ちと相談が」

「どうした?」


 なんだろうか。

 良くない相談事の匂いがプンプンする。

 三好に屋敷を荒らされたか?


「それが、若手の幕臣たちが写本作業に気が乗らないようで。木版印刷にしたらいいんじゃないかという意見まで出てまして」

「そうなの? 先日説明した時は承諾したんだよね? それに木版印刷なんて言うけど、自分たちで版木作れないでしょ? そしたら職人さんにお金払わなきゃならないし、完成するまでの時間どうすんのさ」


 この話は最初に説明した時にも意見として上がったけど、お金が無いという理由で落着したはずだ。

 つい二、三日前のことだし忘れているわけではないはず。


「そうなのです。私が思うに実際に作業が始まるとなって面倒くさくなったのではないかと」

「まあ、彼らからしたら田舎でのんびりと休暇気分なのに、仕事を押し付けられたように感じたんだろう」


「おそらくはそのような事かと」


 戦に負けようが、身分の高さから許されてきた彼らは、いずれ京に戻り幕府の仕事が始まると思っているのだろう。

 実際、歴史の流れでも俺は京で殺されるわけだから、幕政復帰できるのは間違いないのだろうけど。


 つまり彼らは良くても俺は良くないわけ。

 何より朽木谷の人々に食わせてもらってるのに、グータラ暮らしを認められるわけないでしょ。


「でもね、幕府うちには人を遊ばせておく余裕なんてないよ。ただでさえ、食料は朽木谷の皆さんからの好意で頂いているのだし。働かざるもの食うべからず。……そうだ! 幕府の仕事はないし、給与は差し止め。写本の出来高で給与を支払うことにしよう。それが嫌なら必死に働けって言っておいて。藤孝くんのお兄さんの三渕さんがまとめ役っぽいから、お兄さんの口から言わせたら上手くいくと思うよ」


「ありがとうございます。では、そのように」


 驚いたことに、室町時代でも木版印刷があって、お寺なんかでは経典の複製に使われているんだって。

 てっきり、どこもかしこも手書きだと思ってたよ。


 ただ、さっきの話のように版木を彫らなきゃならないし、木だから摩耗して使えなくなるのでコストも手間もかかる。

 必然、書籍の価格も高くなるのだけど、幕府うちのお仕事では、人件費無視の材料費だけという低コスト。


 紙は和紙が一帖(48枚)で四十文ほど。

 想像より安かった。

 四十文あれば塩を升で二杯は買えるらしい。

 手漉きの和紙がそんな値段で買えるんだよ?

 戦国時代の日本って凄いよな。


 あと予定外だったのは、本を読む習慣は珍しいとのこと。

 こんな殺伐とした時代だと、そんな余裕ないのかね。


 でもさ、武田信玄が掲げている風林火山って孫子でしょ。

 ビジネス書にもなっている有名な奴だよね。

 単に信玄さんがレアなのか?


 本を読む習慣がないとすると、写本の売れ行きが厳しくなるだろうと予想される。


 ……はい、そこで考えました。

 幕府製の写本には、俺こと将軍 足利義藤のサインを入れます!


 サインなら字が汚くても成立するもんね。

 この前、身分証書いてなかったかって?

 字が汚くて読めないって言われて藤孝くんが書き直してくれたよ。


 だって筆記用具は筆しかないんだもん。

 書ける? 筆だけで文章。


 身体が覚えてるなんて都合の良いこと考えてみたけど、俺の意識で体を動かしてるんだから手が勝手に動くこともなし。


 という訳で、サインのみならオッケーという状況です。

 この時代だとサインのことを花押って言うんだって。

 花押は時折変更されることがあるから、前のを真似しなくても良いらしい。



 写本を買ってくれた人たちが読む習慣がなくても将軍のサイン入りの本なら、ありがたがってくれるでしょう。

 偉い人からの感謝のお手紙が家宝になるみたいだからね。


 朽木谷にも大事に仕舞われてたよ。

 歴代の足利将軍のお手紙が。


 そのお手紙たちを見た俺は、将軍逃げ過ぎじゃないかと思わずにはいられなかったけど。


 ちなみに一番多かったのは、十三代将軍 足利義藤からの感謝状だった。

 逃げすぎだよ、俺。



 幕府製の写本には俺の花押が付くということで付加価値として価格にも転嫁してやろうと計画中。


 あとは文官のニート集団が働いてくれれば、単なる紙束が価値ある書籍に早変わり。

 さあ、彼らは出来高か現状維持か。

 俺からしたら、手を動かしてくれるならどっちでも良いか。


 ああ、余計な話のせいで楓さんはどっかに行ってしまった。



 結局、楓さんは言行一致で、旅装を解いたら、すぐに働き始めた。

 どうにか話すキッカケはないかと様子を窺って、お茶を頼んでみた。

 何故か楓さんはビックリした様子で返事もしないで下がっていってしまった。


 ちょっと睨まれた気がしないでもないけど、気にしたら負けだ。

 美人さんって怒った顔も綺麗だったよ。


 そわそわしながら部屋で待つこと三十分。

 無事に楓さんがお茶を淹れてくれました。

 茶碗を見た俺は、意を決して口をつける。


「美味い! 楓さんの立ててくれた茶は最高だな!」


 正直苦みが強くて美味いとは思えない。

 現代の感覚で茶をお願いしていたので油断した。


 この時代に茶と言ったら、抹茶でした。

 高級な抹茶は甘みや清涼感があると言うが、あまりの苦みに他の味を感じる余裕はない。


 昔、観光地で飲んだ抹茶はもう少し薄くて飲みやすかった気がするのだが。

 しかし、せっかく楓さんがててくれたお茶だし、褒めの一択しかないでしょう!


 そんな思いを見透かしてか、楓さんからは、それはそれは厳しい返しが。


「茶はいつもと同じです。こちらのお水がお口に合うのではないですか」


 これは皮肉か?!

 京ではなく朽木谷に逼塞しているのがお似合いだとでもいうのか?!


 もしや、お茶がやけに濃い気がするのは嫌がらせなのか?!


 どうにも楓さんの冷たい視線を受けると卑屈になってしまう。

 でも、それも悪くない。悪くないんです。


 キリっとした眼差しから放たれる冷たい目線。

 少し顎を上げて見下す感じ。


 母さん、僕は新しい世界の扉を開いてしまいそうです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る