第4話


 その日から私と炉神の共同生活が始まった。神と贄の夫婦のために用意された住まいに、二人で暮らし始めた。食事を共にし、二人で語らい、共に村を歩いた。

 炉神は現界し続けられるワケではなく、夜の間は姿を消す事が多かった。それでも、概ね私の望み通り、側にいてくれた。

 それだけで私は満たされた。不思議だった。私の命はもうすぐ尽きる。一緒に過ごす神に私の全ては奪われるというのに。心は凪いだ海のように静かだった。

 私は時々、炉神が神であることを忘れそうになった。確かな体を持って、私の前にいるからだ。今の彼は人で、そして私の夫だった。そんな風にしか思えない。

 残念なのは、彼が私以外の人間には見えないことで、胸を張って存在を自慢できないことだ。

 日中、彼は「村が見たい」と主張して、散歩に行くことを促した。

 神の姿は村人たちには見えないが、行く先々で、私は村人たちと挨拶を交わしていた。

 それまでの扱いが嘘だったかのように、皆私に親切に接してくれた。それは同時に、私の残り時間が少ないことを、彼らが理解しているからだろうかと私は考えた。

 私は悲観しなかった。彼らに比べれば食うものにも困らずに、労働力として拘束されることもない。ひもじい思いをしている者もいるだろうに、私はこんなに自由で、幸せでいていいのだろうかと思った。

 そんな風に考えるのは、私の贄としての自覚なのかもしれない。

 皆がひもじい思いをすることなく生きるには、やはり私が炉神に食べられることが必要なのかもしれない。

 日々を過ごすうちに、私はそんなことを自然に考えるようになった。

 とある日の夕食時に、想いを神に打ち明けると驚かれてしまった。

「何故そんなことを言う? まるで神に健気に仕える巫女のようだ」

 私はムッとした。少なくとも、夫に対しては健気であるつもりだった。

「最初、君は儀式をぶち壊そうとしていただろう? あれぐらいの気概があった方がいい」

 確かにそれはそうだけど。

「贄がそんな態度では、儀式は上手くいかないのでは?」

「上手くなどいかなくていい」

「何を言ってるんです?」

 私は驚いた。炉神はふざけたことを言って私を笑わせたりすることもあるが、今はそんな気配はなかった。声は真面目に聞こえたし、表情も真剣だった。

 彼は言葉を続けた。

「最近よく考えるんだ。生け贄に意義などあるのかと。誰かの命を奪ってまで、私が生き永らえる必要はあるのかとね」

 それは思ってもみない考えだった。彼が村を歩いて人々の生活を見るのは、自身がこの村に豊穣をもたらそうとしていることの事前の確認だと、私は考えていたのだ。

 炉神は私を見た。

「そして、君は言ったよな。自分の道は自分で選ぶと。私にも、自分の道を選ぶ時が来たのかもしれない」

 彼は何か覚悟を決めたようだったが、その真意は分からない。改めて尋ねると、炉神は意外なことを口にした。

「ミチを、生け贄にせずに済む方法があるかもしれない」


 炉神には企みがあったが、それは私もおなじだった。私はそれを実行に移すため、神に完全に受肉した状態になるまでにどれぐらいかかるのかを聞いた。「四、五日」だと言う。

 自分でも彼の身を探って、体の状態を確かめつつ、私は待った。そして彼の体が完成した日、私は彼を風呂に誘った。

「何を言っている?」

 彼は困惑していた。あくまで紳士のつもりらしい。

「夫婦なんですから、お風呂ぐらい一緒に入るのは普通です」

「そうなのか。しかし……」

「二人とも神聖な儀式に参加しているのですから、日々身を清めるのは必要不可欠かと」

 実際この家には風呂が付いており、私は身を清めるために毎日入浴していた。

 まだうじうじしている神を押し切り、風呂に入れさせた。私たちはお互いの体を見せ合い、そして洗い合った。彼に私の体を意識させるのは当然だったが、私も彼の体を意識した。もしかしたら、存在しないかもしれないと思ったが、神の体には立派なものがついていた。

「やっぱり!」

「うわっ、よせ!」

 彼は慌てて前を隠す。

「隠さなくたっていいじゃないですか」

「いや、これは無理だ。元からついていたが、受肉すると、色々と困る事が増えた。意に反して勝手に動いてしまったりな」

「それが自然です」

「そうかもな。儀式による受肉にここまで必要なのかと思うが、これは神が人に限りなく近付くためのものなのかもな」

 そして、私たちは生まれたままの姿で、床に入った。とはいえ、流石に寒いので、火をおこそうと思ったら、炉神が虚空から火を点けた。

「凄い!」

「まあ、私は炉の神だからな」

 神はこともなげに言う。暖まりながら、火に関する小話を色々と聞いた。神は私の思惑に感付いているのか、違う方向に誘導しているのかもしれなかった。でもそれでも良かった。彼の話はいつも面白いのだ。

 炉神は異国の神の話をし始めた。

「そこには私に少し似た神がいてね。名をプロメテウスという」

「プロ、メテ?」

 何だか発音が難しい。

「私よりもずっと凄い神だな。人類に火を与えたと言われている。その代償に彼は罰を与えられた。生きながら、その身を鳥に啄まれられるというものだった」

「酷い……」

「それぐらい重罪だったのかもしれないがね」

「それで、どうなったんです? そのプロメテは?」

 神は微笑んだ。

「彼は神の子に助けられた。名をヘラクレスという」

「神の、子?」

「そうだ。ヘラクレスは神と人との間に生まれた者なんだ」

「そうなのですか」

 何だか出来過ぎた流れのようだと思った。彼なりの肯定の合図なのかもしれない。私は言った。

「私たちも出来るのでしょうか?」

「何がだ?」

「そのヘラクレ……のように、私たちも交わったら子供を作れるのでしょうか?」

 神は驚いた顔を見せたが、すぐに微笑んで言った。

「試してみるか?」


 私は間違いなく、人生で一番満ち足りた時間を過ごしていた。だが、そんな時間は長くは続かない。儚いからこそ、愛しく思えるのだ。私は幸福に酩酊して、そんな当たり前のことを失念していた。

 神と交わった翌朝、彼は姿を消した。村中を探しても見つからない事が分かると、以前待ち合わせをしていた丘へと向かった。勿論見つからない。

「炉神さま!」

 何度呼びかけても彼は答えなかった。

 彼は神なのだ。一日ぐらい姿を現さないことがあっても不思議じゃない。そういう可能性もあると柔軟に考えようとしたが、無理だった。

 彼がいない。今の私にとってはそれは半身を失うに等しいことだった。その上、霜月はもう終わりに近付いていた。

 何故唐突に消えてしまったのか、理由が知りたかった。人と神が交わったから? 私たちは禁忌を犯してしまったのだろうか。それが原因で彼は……。

 他にも彼が姿を消した理由を色々と考えたが、答えは思い浮かばなかった。気付くと夕方を過ぎ、私は村に戻った。

 帰り道をとぼとぼ歩きながら思考に耽った。

 私には彼と連絡する手段がない。今までは彼の方が姿を表し、私がそれを迎えるだけだった。彼が姿を消すまで、そんな事にさえ、気付かなかった。なんと不甲斐ないのだろう。彼は毎日、私に会いに来てくれた。狼藉を働いても、感情的になった私が当たり散らした次の日も──

 待てよ。私が彼と初の対面を果たし、台無しにしたかと思われたその日、結局は儀式は続行になった。その知らせは誰が届けた? 村長だ。ということは、村長は炉神と連絡する手段を持っているのでは? 

 善は急げだ。私は村長の家を訪ねて、単刀直入に聞いた。村長は渋った。確かに交信する手段はある。だが、それは村の中枢の者にしか明かせない情報だと言う。私には知り得ない情報ということだ。

「では、このままでよろしいのですか? 儀式を放棄して、村にどんな災いが訪れても知りませんよ」

「いや、それは……」

 なおも情報を出し渋る村の長。キリがないと思い、私は彼の目を見据えていった。

「ここで出してくれないのならば、私は勝手に死にます」

「……」

 こうでも言わなければこの人は動かないだろうと思った。

「分かったよ。少し待ってろ」

 村長は両膝をポンポン叩き、どっこいしょと言いながら立ち上がり、家の奥へ行った。

 しばらくすると、戻ってきて「これだ」と差し出してきた。何かの板のようにしか見えないが、文字が浮かび上がっている。詳しいことは分からないが、これで神たちとやりとりをするのだろう。

 そこで村長はあっと声を上げ、「見ない方がいいぞ」と言った。何を今更と思ったが、直後に言葉の意味を知る。

 板にはこう書いてあった。「あんな女、贄として相応しくありませぬ! チェンジで!」

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