第3話


「よし、じゃあ行こう」

 次の日、現れた炉神が開口一番にそう言ったので、私は虚をつかれた。

「行く? 何処へです?」

「ミチの村へだよ」

「何故です?」

「そこへ行けば、証明できる」

「何をです?」

 神は心外そうな顔で私を見た。

「昨日、言っただろう? 君が私にとっては特別だと」

「いや、聞きましたが……」

 私に告げれば良い話ではないのか。何を証明する必要があるのだろう。何だか妙に心が冷めてきた。

「それに私の体が整い次第、村の神の家に共に住まう、というのは聞いていただろう? 私にはもう準備が出来ている」

 確かに聞いていたが、随分いきなりな話だった。そして、あの家に神と共に住む、というのは比喩ではない、ということを知る。だけど、疑問がひとつあった。

「でも、行くって、貴方はここにしか居られないんじゃないんですか?」

 炉神が顕現けんげんできるのはこの磐座いわくらの近くのみだと聞いていたのだった。

 神はにっこり笑う。

「今なら大丈夫だ。大分ポイントが貯まったからな」

「は?」

「私はミチと逢瀬を重ねたおかげで、現界する時間が増えたのだよ。言うならば逢瀬ポイントだな」

「???」

 聞き慣れない単語に私は困惑する。ともかく移動するのは大丈夫らしい。


 正直、村に向かうのはバツが悪かった。村での私と、炉神と接している時の私はかなり違うからだ。

 だが、神を連れて村を歩き回るというのは小気味がいいかもしれない。私に冷淡な村人たちへの意趣返しにもなるだろう。普段は私を無視する人々も、流石に神を無視することは出来ないだろう。

 私の心中をよそに、神は村の光景をしみじみと眺めていた。不思議だった。村には特筆するべきようなものはない。見すぼらしい竪穴式の家が点在し、あとは水田が広がっているだけだ。だけど、神がそれらに向ける視線はどこか愛おしげに見える。

 歩き続けていると、村人が視界に入った。

「おはようございます」

 私を無視する人々のことはしっかり頭に入っていて、そういう人には私からも挨拶をせずに素通りするのだが、神の前ではそんなことも出来ない。今の私は立派な猫被りだった。

「お、おはよう……」

 その男はいつも私も無視していた。だから返事をされた記憶がなかったのだが、流石に神を前にしていつも通りには振る舞えないようだ。

 ぎこちなく会釈をする男とすれ違い、私は神に向かって微笑んだ。だが、炉神は特に表情も変えず、私を見返すだけだった。違和感を覚えたが、気にしないことにした。

 それからも私は村人に挨拶をし続けた。今日はすれ違う全ての人が私を無視しなかった。皆ぎこちなくも返事を返してくれた。それだけのことなのに、心が軽くなり、気分が良かった。

 人々はどこか後ろめたそうな目をしていることに気付いた。

 贄としての役割を果たしているのを哀れに思い、村人たちは私を無視できないのかもしれないと思った。

 同時に、何か引っかかるものを感じた。それが何なのかは分からない。


 殆ど交流を持たない私でも、気にかけてくれる人はいる。

「あら、ミチちゃん」

「お婆ちゃん」

 皺だらけの老婆がいた。血縁はないが、彼女は私の殆ど唯一の知り合いと言って良かった。久しぶりに会ったので近況を色々と聞いた。

「お役目、今日はもういいのかい?」

 役目も何も、今それを果たしている真っ最中だった。変な事を言うなと思った。私は紹介しようと思って、背後にいる神を掌で示した。が、老婆の反応は鈍かった。私の手と顔を交互に見てから、「どうしたんだい?」と言った。

 私は困惑した。神が目の前にいるというのに、まるで見えていないような──

 私はそこで先程から感じていた、違和感に気付いた。皆、私に挨拶を返してくれていた。それは神を伴っているからだと思った。

 だけど、神を前にしたら、もっとかしこまるものではないのか? そもそも村人は神の姿に気付いていたのか? 

「ミチちゃん、本当に済まないね。こんな事になってしまって」

 気付くと話題は移っていた。私が贄になった事についての話だ。

「……ううん、大丈夫です。神様は良くしてくれますから」

「そうかい。出来ることなら、私が変わってやりたいぐらいだよ」

「そんなこと言わないで。お婆ちゃんにも良くしてもらってます」

「ふふふ。まあ、こんな婆さんじゃ神様には気に入って貰えないかもしれないがね」

「その通りだな」

 あはは、と笑う老婆に合いの手を入れるように唐突に神が言ったので、私は飛び上がった。

「ちょっと!」

 思わず声を上げてしまったが、それは老婆を困惑させただけだった。神の声は、彼女に届いていないようだ。

「どうしたんだい? ミチちゃん」

「な、何でもないの。最近よく眠れなくて……」

「そりゃ無理もないね」

 老婆は慈しむように私の手をとり、自分のものと重ねた。

「辛かったら、いつでも訪ねておくれ。話ぐらいなら私にも聞けるから」

「ありがとう」

 老婆を見送ると、私たち2人だけになった。

「……どういうことですか?」

「君はどう思ったんだ?」

 またそれか。

「貴方の姿は誰にも見えない。声も聞こえない」

「その通りだ。何せ神だからな」

 いつも朗らかに笑うはずの神が、今は無表情だった。どこか虚ろげにも見える。だけど、彼は本来そういう性質だったのかもしれない。私が神の前で見せる姿が、村での私とは違うように。

「貴方にとって、私は特別。それはこういう意味だったんですか……?」

「そうだ。私の姿を見たり、声が聞けるのは伴侶となる贄だけなんだ」

 神は見えない。言われてみればその通りなのに、私は衝撃を受けていた。というより、神が見える私の方が異常なのだと感じた。

「贄になれば、誰でも貴方と交流が出来るということですよね?」

「いいや」

 神は首をふった。

「贄には資質が必要だ。誰にでもなれるわけではない。神の存在を感じ取れなければいけないんだ」

 その言葉で私は腑に落ちた。初めて炉神と対面した時の不思議そうな顔。彼は自分の姿が私に見えて、言葉が私に届いていることに感心していたのかもしれない。

「何故私だったんです?」

「贄には巫女的な資質を持つ者が選ばれる。それが君だったというわけさ」

 神の言葉が染み込みように、私の中に入ってくる。それは深い納得を私にもたらした。

 気付くと、私はくずおれていた。

「ミチ!」と神が叫び、駆け寄ってくれた。

「……分かりました。私は最初から贄になるために、この村に置かれていたんですね」

 この村に暮らしながら、ずっと感じていた疑問が氷塊した。それは知らないままで良かったことだった。


「私は元々、この村の人間ではなかったんです」

 私は神に打ち明けた。

「何処で生まれたのかは知りません。でも、両親も居なくて、ずっと余所者よそもの扱いを受けながら育つと、嫌でも分かるんですよ。自分はこの村の人間ではないんだって」

 神は口を挟まず、じっと私の話を聞いていた。

 私は神を伴って家に戻っていた。今日は姿を消さずにいることを指摘すると、「逢瀬ポイントがあるから」とまたよく分からないことを言われた。以前より長く現界する事が出来るようになったらしい。

「私のような立場の人間は他にもいました。今は私一人ですけどね。そりゃ辛いけど、大きな迫害を受けるワケでもなく、村の人も何となく受け入れてるって感じでした」

 私は嘆息した。

「自分の出自はずっと気になってました。でも、以前何かで耳にしたことがあったんです。村は、神への捧げもののために余分な人間を用意しておくんだって。それは他所から連れてこられるんだって。それが生け贄だって」

 自嘲するように笑ってしまう。

「何でそれをすぐに自分に結びつけなかったんですかね。……いや、分かってます。私は分かっていて、現実から目を逸らしてきたんです……」

 嗚咽が漏れた。

「私はこの儀式のためだけに今まで生かされていたんです。でも、そんなこと……認められるワケないじゃないですか……」

 熱い何かが頬を伝うのが分かった。それを拭おうとしたのか、頬に何かが触れる。そこで私はおかしな事に気付く。隣にいる彼の伸ばした手が、私に触れていたのだ。

「炉神さま?!」

「ああ、これか? これも逢瀬ポイントのおかげだ。部分的にだが、この身は受肉の状態に移行した」

 よく分からないが、今の彼になら触れられるらしい。

「それよりも、すまない。私は君を悲しませてばかりだな。私が見える理由を知らせれば、君がショックを受けるなんて、考えれば分かることだった」

 気付くと、涙も嗚咽も止まっていた。

「……いいえ。現実から逃げ続けても仕方ありませんから。いずれは向き合わなきゃいけなかったんです」

 神は微笑んだ。

「常にありのままの現実を受け入れる必要はないよ。逃避だって、自分を守るための立派な選択肢なんだ」

 私は苦笑した。

「人と接した事がない、なんておっしゃるのに、随分人の心に詳しいのですね」

「そうだ。私はずっと、遠くから人々を見つめるばかりだった。本当は人と接してみたかった。人の役に立ちたかったんだ」

 神は私の顔をじっと見つめた。

「ミチは私が初めて接する人間だ。というより、君にしか見つけてもらえない、という方が正しいか。だが、皮肉なものだ。唯一私を認識できる者に巡り会えたというのに、私の役割は君の命を奪うことなんだ」

 改めて言葉にされると身構えてしまう。ただ、にわかには信じ難い。この温厚な神が本当に私を無惨に食い殺したりするのだろうか?

「やはり贄というのは神に食べられるのが役割だと?」

「ああ、確信した」

「何故です?」

 神は困ったような顔を向けてきた。

「怖がらせたくはないのだが、受肉の影響か、肉への渇望を覚えるようになってしまった」

「それは単にお腹が空いてるんじゃないですか?」

 私は神のために食べるものを用意した。ふたつきの釜をかまどにかけ、薪を焚べて米を炊く。

 それは本当なら私のような身分の者が口には出来ない、白米だった。こんなものが村に置かれていること自体が珍しい。

 だけど、ここは神と贄のために用意された住まいだった。神をもてなす私にも、上等な米を食べる権利があった。

 正直に言って、それを一人で味わうのは後ろめたかった。だが、一人の食事の時間はもう終わったのだ。

 神は私が用意した米をかきこんだ。

「美味い!」

「良かった」

「ミチは料理上手だな」

「私の腕と言うより、良いご飯なだけですよ。ていうか、食べ物を食べたのは初めてじゃないんですか?」

 その割には箸の使い方が手慣れている。

「そうだが、美味いものは美味い」

「ふふ」

「ミチは良い嫁になるな」

 私は首を振った。

「もう伴侶がいます」

「しまった。そうだった」

 神は額に手を当てた。私たちは笑い合った。

「不甲斐ない伴侶ですまない」

「いいえ、私は貴方がいいです」

「本当か?」

「貴方といると安心するんです」

「だが、私は君を……」

「いいんです。炉神さまが私を食べるなんて信じられないけど、その時が来たら、受け入れるだけです」

 神は私の顔をじっと見た。

「私は、君に何もしてやれない」

「側にいてくれればいいんです」

「側に?」

「そうです。これからずっと、側にいてくれれば、それでいいんです」

 そう言って私は炉神の方へ身を寄せた。逞しくて温かい、彼のぬくもりがそこにはあった。神は私の動きに戸惑ったようだが、受け入れてくれた。

「私たち、お似合いだと思います」

「何を根拠にそんなことを言う?」

「孤独な女と、神様。お互いに、ようやく必要なものを見つけた、って気がします」

「私たちの関係が、あらかじめ決めれられたようなものであってもか?」

 実際そうだった。私は神が見えるという、巫女のような役割を果たすために、この村で育てられた。そして神に見初められた。

「それでもいいんです」

「意外だな。君はそういうことはしゃくに触るものだと思っていた」

 彼の言う通りだった。以前の私ならそうだっただろう。

「ものは考えようです。私と貴方が結び付くことが仕組まれたものだったとしても、それを受け入れたのは、私なんです。自分で選ぶ。それが大事なんです」

「自分で選ぶ……か。成る程な」

 私の言葉に感じるものがあったのか、神はじっと考え込んでいるようだった。私は彼に身を寄せたまま、気付くと寝入ってしまった。

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